スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

パロクサイド&水嚢

2012-05-17 18:42:58 | 血統
 クイーンエリザベスⅡ世カップを優勝したルーラーシップの母がエアグルーヴ。この母仔の輸入基礎繁殖牝馬は1959年にイギリスで産まれたパロクサイドです。Peroxideは過酸化物。ファミリーナンバー8-f
                         
 アメリカで2頭の産駒を産んだ後に輸入。いくつかの分枝が現存していますが,最も繁栄しているのはシャダイフェザーの分枝で,この産駒のダイナカールは1993年のオークス馬。エアグルーヴはダイナカールの産駒なので,オークスは母仔制覇だったのです。エアグルーヴの姉にはカーリーエンジェルという馬がいて,その産駒に重賞2勝のエガオヲミセテと2006年の高松宮記念を勝ったオレハマッテルゼ。さらにカーリエンジェルの孫には重賞1勝のウォータクティクスがいて,カーリーエンジェルの妹,エアグルーヴの姉のセシルカットの孫に現3歳で重賞2勝,日曜のオークスに出走予定のアイムユアーズ。エアグルーヴ産駒にアドマイヤグルーヴ,フォゲッタブル,ルーラーシップですから,この分枝は現在でもかなりの活力を維持していて,さらに広がっていくことになるでしょう。
 シャダイフェザーの妹にヨドセローナがいて,こちらの分枝もそれなりに広がっています。2002年にマイルチャンピオンシップを勝ったトウカイポイントは,ヨドセローナの曾孫。したがってパロクサイドを祖とする大レースの勝ち馬は,ルーラーシップで6頭目ということになります。

 それから2週間ほどが経過して1月17日の火曜日。この日はの磯子中央病院の内科の診察日でした。内科の場合は診察が午後で,火曜日は妹を作業所まで送っていかなければならない日ですが,それは問題ありません。この日は予約時間がきちんと設定されていまして午後2時。いつもより詳しい検査を実施するとのことで,昼食を抜いてくるように指示されていました。
 その検査の結果が出るまでに多少の時間を要したそうです。一般的にいえば,検査結果が出るのに普段よりも多くの時間が掛かるというのは,病院がよほど混雑している場合か,そうでなければ検査で何らかの異常が発見された場合です。この日の母の場合は後者。検査でレントゲン撮影を行ったのか,MRIだったのか,あるいはCTだったのかは僕には分からないのですが,肝臓に水嚢と呼ばれる水の溜まった袋のようなものがあるのが発見されたとのことです。ただし,これはただこうしたものが発見されたというだけのことであって,それが何か重大な問題であるというわけではなかったらしく,とくに何か治療を施さなければならないという性質のものではないとのこと。ということで,そうしたものがあるということが分かっただけで,そのまま放置するということになったそうです。
 一方,血液検査の方ですが,GOTはこの日も標準値よりも高い数値が示されていました。ただ,それ以前と比べてみた場合には改善されていましたので,こちらも特段の処置はされませんでした。肝機能の問題は,母が処方されていた血圧降下剤と関係していたのではないかと思われていたわけですが,この時点では降圧剤の中止という処置が継続されていたわけです。つまりこれ以上,肝機能が悪化すると考えられる要素はありませんでしたし,また,異常であるとはいっても,数値だけでみてみれば改善傾向にあったわけですので,この処置は妥当なものであったのではないかと思います。
 こういった事情から帰宅はいつもよりは遅くなり,おそらく午後4時を回っていたのではないかと思います。ただ,この日は当初から夕食を作る予定であったようで,母が作ったものを食べています。
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星旗&汎神論の意味

2012-04-17 18:33:41 | 血統
 一昨日の皐月賞を勝ったゴールドシップの基礎輸入繁殖牝馬は,1924年にアメリカで産まれた星旗。明治から続く日本古来の血統のひとつで,小岩井農場とともに日本競馬の発展に寄与した宮内省下総牧場の輸入で,ファミリーナンバー16‐h。星旗はもちろん輸入後につけられた和名で,英名はFairy Maidenです。直訳すれば妖精少女といったところでしょうか。
                         
 歴史が長いですから活躍馬は多数あり,現在もいくつかの分枝が残っています。日本競馬史の中で有名な馬といえばまずは星旗直仔で第8回の日本ダービーに優勝,種牡馬として13頭もの大レース勝ち馬を出し,殿堂入りを果たしたクモハタ。ダービーの前に蹄の病気を起こし,戦後には伝染病に罹患し,殺処分されてしまった馬です。
 そしてもう1頭,星旗の曾孫で第23回の日本ダービーを優勝したのがハクチカラ。その翌年に秋の天皇賞と有馬記念を連覇し年度代表馬に選出されるとその翌年夏からアメリカ遠征を敢行。ずっと現地に滞在し続け,11戦目となるワシントンバースデイステークスを優勝。これが記念すべき日本馬による史上初の海外重賞制覇でした。この馬も殿堂入りを果たしています。
 実は大レースの勝ち馬は僕が産まれた翌年の菊花賞を勝ったニホンピロムーテーを最後に途絶えていました。よってゴールドシップの皐月賞は,実に41年ぶりのこの一族による大レース制覇。ただし活力が完全に衰えていたというわけではなく,たとえば一昨年の目黒記念を勝っている現役のコパノジングーもこの一族を祖に持つ馬です。

 今回の考察における第一部定理二四系証明第一部定理三六別の証明のように,事物の実在ないしは事物が自身の実在に固執する傾向conatusを力potentiaという観点から把握してみるということは,さらに『エチカ』のほかの部分,ひいてはスピノザの哲学の全体に関する理解という観点からも,多大な影響を及ぼしてくるであろうと僕は考えています。それは主だってはふたつの点に関係してきます。そこで,今回の考察の主旨からはやや逸れるかもしれませんが,僕の考え方をここで示しておきます。
 スピノザの哲学は一般的に汎神論であると評されています。僕自身は必ずしもそうであるとは認識していないのですが,それはここではおいておきましょう。ところで,一般的に汎神論という考え方がどのようなイメージで把握されるだろうかということを考えてみれば,それはごく簡単に示すなら,万物には神Deusが宿っている,というようなものだろうと思います。第一部公理一の実在的意味というのは,自然Naturaのうちに実在し得るものは,神であるか,そうでなければ神のある属性attributumの変状affectioであるということでしたから,一般的な意味における汎神論のイメージに『エチカ』の哲学を合致させるならば,この点が該当するということになると思います。
 しかし,実際に神のある属性の変状というのが何を意味するのかといえば,それは神の有する力を分有したものであるということです。そしてそうであるがゆえに,第一部定理三六で意味されていることは,ここから直ちに結論されてくるのです。つまり,スピノザの哲学における汎神論というのは,ただ単に万物には神が宿っているというように理解されるような,いわば静態的なあるシステムないしは組織に関わるような言及ではありません。むしろダイナミックな自然の生成に関わるような言及であると理解されなければならないわけです。以前にも説明したように,スピノザの哲学における神は,信仰fidesの対象ではなくむしろ認識cognitioの対象ですから,万物に神が宿るということを,森羅万象に対する信仰のようなものと考えることは大いなる誤りですが,ただ単に万物に神が宿っていると理解することも,同様に誤解であると僕は考えているのです。
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クリアアンバー&借金返済

2011-12-21 18:29:49 | 血統
 日曜日の朝日杯フューチュリティステークスアルフレードが勝って3戦3勝としました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は1967年にアメリカで産まれたクリアアンバーファミリーナンバー4-mですから,チップトップダイナゴンと同じです。
                         
 輸入は社台。サンデーサイレンス以前に社台の屋台骨を支えた種牡馬は何といってもノーザンテーストですが,そのノーザンテースト産駒で最初に大レースを勝ったのがこのクリアアンバーの仔のアンバーシャダイ。1981年の有馬記念でした。1983年には春の天皇賞も勝ち,引退後は種牡馬に。メジロライアンなど多数の重賞勝ち馬が輩出し,成功を収めました。
 アンバーシャダイの妹にはダイナクラシックがいて,その仔が1990年の阪神3歳ステークスを勝ち,翌年の弥生賞でリンドシェーバーを差し切ったイブキマイカグラ。この年はNHK杯も勝ち,菊花賞では2着となっています。
 さらにダイナクラシックの妹がサクラハゴロモで,この馬がサクラバクシンオーの母になりました。
 これ以後,やや空白があったのですが,アンバーシャダイの妹で,ダイナクラシックの姉になるダイナアンバーの孫から,重賞2勝,2002年の菊花賞では2着になったファストタテヤマが出て,一族の活力が衰えてはいないことが証明されました。
 そしてサクラバクシンオーの妹のスプリングコートの孫から,今年の朝日チャレンジカップを優勝したミッキードリームが産まれました。アルフレードの祖母であるラトラヴィアータはスプリングコートの妹ですので,ミッキードリームとアルフレードははとこという関係になります。
 輩出した重賞の勝ち馬がすべて牡馬ということもあり,枝葉が広く分布しているというわけではありません。ただ,現在でも大レースを勝つだけの活力が残っているということがはっきりと証明されましたから,すぐに淘汰されてしまうような一族ではないでしょう。

 もしもこのルートを使って戸塚まで行くということになれば,当然ですがまずは地下鉄に乗らなければ話になりません。そこで僕の家から最も近い地下鉄の駅はどこかということになりますが,これは阪東橋駅か吉野町駅のどちらかということになります。戸塚へ向うということになれば,吉野町駅を選択する方がベターでしょう。これらふたつの駅は,どちらも歩いて行かれないわけではありませんが,普通はバスを使うことになります。ただ,吉野町とか阪東橋というのが僕の家からみれば北の方角にあるのに対し,戸塚は西になりますから,いきなり見当違いの方向へ回り道をしているということになり,ちょっとばからしい気がします。一方,上大岡は西寄りで,これなら遠回りをすることにはなりません。そして上大岡にもバスは出ているのですが,こちらはおおよそ2時間に3本程度だけで,時間の目途が立てにくいというリスクがあります。ちょうどよい時間にバスがあればいいのですが,下手をすれば吉野町周りの方が早かったというケースも大いに考えられるわけです。
 一方,戸塚というのは横浜市営地下鉄だけではなく,JRも走っています。僕の家の最寄り駅はJRの根岸駅ですから,距離を無視して利便性だけを考えるなら,こちらを選択する手もあります。この場合は根岸線で大船まで出て,東海道線か横須賀線に乗り換えるということになります。ただ,大船というのは単純に直線距離だけで考えても戸塚より僕の家から遠いですから,戸塚へ行くということだけを考えれば大回りしているということになります。
 実際に僕が使ったのはJRを使うルートでした。距離は大回りで,時間的にも必ず早いとはいえなかったのですが,どのくらいで戸塚に到着できるかということを考えれば,やはりこのルートが最も確実性が高いと思えたからです。事前の計画通りに午前中にひとつの仕事を終らせ,家に戻って昼食を摂ってから再び家を出たのが午後1時過ぎ。戸塚支店は戸塚駅前を通っている東海道を藤沢方面へ少し歩いていったところにあったのですが,午後2時くらいには到着できました。通帳が非常に古い,現在の労働金庫のものではなかったためにそれを新しくしなければなりませんでしたし,すでに口座の残高が借金を下回ってしまっていたために,そのための専用の手続きもしなければならなかったようで,1時間以上を要することになってしまったのですが,無事にこの日のうちに借金の返済を終わらせることができました。
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ミスチャネル&リハビリの効果

2011-12-17 18:46:21 | 血統
 タマモクロスの輸入基礎繁殖牝馬は1951年にオーストラリアで産まれたミスチャネル。馬は登録されれば登録された通りに表記され,したがってそのように読まれることになりますが,英名表記はMiss Channelです。敗戦後は馬の資源も枯渇傾向にあり,オセアニアからわりと多くの馬が競走馬としても繁殖牝馬としても輸入されていたのですが,この馬もその1頭。ファミリーナンバー21-aは,日本では多くの馬が繁殖として輸入されている血筋。
                         
 繁殖生活は日本のみ。最初に産んだのがクニハヤという馬で,この馬は1961年に春の中山大障害を勝ちました。この時代の障害競走は,少なくとも現在よりは活気があったと思われますが,これを大レースの勝ち馬といっていいかどうかは見解が分かれるところでしょう。
 その後は重賞の勝ち馬すら長らく出現しませんでした。そんな中から出てきたのが,タマモクロス。ミスチャネルはタマモクロスの4代母で,輸入されてから30年が経過していました。
 タマモクロスが最後の大レースとなる秋の天皇賞を勝ったのは1988年10月30日のこと。それから半月ばかりが経過した11月13日に,タマモクロスの半妹となるミヤマポピーが,当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯を勝ちました。このレースにはルイジアナピットも出走しています。ミヤマポピーは重賞勝利自体がこのレースのみでしたから,成績的にはタマモクロスとは対照的な一発屋的存在。ただしこれはその後は牡馬を相手にレースをしなければならなかった影響もあったでしょう。
 クニハヤを除けばこの一族からの重賞勝ち馬がこの2頭だけ。こういう牝系はどうしても淘汰されていきますから今後の発展は難しそうです。

 これで必要な書類の一式が揃いましたので,この日のうちに再び労働金庫に電話をしました。先方の話ですと,借金は金利があって日毎に膨らんでいきますから,なるべく早いうちに相続してしまった方がよいとのこと。しかしこの当日はもう時間的に無理でしたし,翌11月2日は僕は仕事がありました。さらに3日も僕は仕事でしたし,そもそもこの日は祝日ですからそうでなくても無理。4日にもふたつの予定が入っていたのですが,ひとつは午前中に終わらせ,もうひとつは逆に手続きを終えた後でも可能に思えましたので,時間をずらし,その日に行くことにして,その旨を伝えておきました。
 3日は祝日でしたから妹の作業所も休み。そこでが妹を連れて祖母が入院しているみなと赤十字病院へ見舞いにいきました。先述したように僕はこの日も仕事でしたので,帰ってから母に話を聞いたのですが,祖母が栄養を補給するために装着していた鼻から胃へと通すチューブが外されていたとのこと。要するにこれは,それを装着する必要がなくなったこと,すなわちリハビリの効果で祖母がものを飲み込む力を取り戻したということを意味していました。そして同時に,胃瘻を装着する必要もなくなったということです。
 ただ,飲み込むことができるようになったといっても,それはたとえば僕たちが普通に食事をするのと同じような意味で摂食することが可能になったという意味ではありません。そもそも祖母は,まだ有料老人ホームに入所する前,僕の家で一緒に暮らしていた頃から,あまり堅いものを食べるということはできませんでした。これは年齢的にいってもごく自然なことでしょう。よって柔らかいものを摂っていたわけですが,これはその後で特別養護老人ホームに入所してからも同様。ここでは食事には様ざまな段階の配慮というのが凝らされていまして,祖母は刻み食というのを与えられていたようです。僕は現物を見たことはありませんから正確なことは分かりませんが,その名称から察するに,おそらく調理したものを噛みやすいように細かく刻んだもののことでしょう。
 このときに祖母が飲み込めるようになったのは,段階でいえばそれより上の,さらにそれを柔らかくしたものだったようです。
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ムーンインディゴ&眼鏡の破壊

2011-11-18 18:53:13 | 血統
 先月16日の秋華賞を優勝,日曜のエリザベス女王杯でも日本馬では最先着となる2着になったアヴェンチュラの祖母は1986年にアメリカで産まれたムーンインディゴという馬で,この馬が輸入基礎繁殖牝馬になっています。ファミリーナンバー1-p
                         
 繁殖生活は日本のみ。ただし順調というには程遠い繁殖成績で,馬名を登録することができた産駒は2頭だけ。1頭は母の名をいただいたインディゴグリーンという牡馬で,もう1頭がアドマイヤサンデーという牝馬。この馬は阪神牝馬特別で2着になるなどなかなかの競走成績を収めて繁殖入り。この系統を後世に繋ぐ唯一の馬となりました。
 2頭目の産駒がアドマイヤメガミで,この馬は1勝しかできませんでしたがチューリップ賞で2着に入り,桜花賞,オークスにも出走。4頭目にジャングルポケットが配合相手に選ばれると,重賞3勝のフサイチホウオーが産まれました。翌年もジャングルポケットが配合され,阪神ジュベナイルフィリーズオークスを優勝したトールポピーが輩出。翌年はキングカメハメハが相手になりましたが,全日本2歳優駿で2着のナサニエルが産まれました。
 そして1頭を挟んでみたびジャングルポケットを相手として産まれたのがアヴェンチュラ。よほどジャングルポケットとの相性がよいのでしょう。2頭の大レース勝ちの牝馬が出ましたから,一族は今後は拡大していくものと思います。
 全兄のフサイチホウオー,全姉のトールポピーは共に,競走結果からみますと早熟タイプで成長力に欠けたという一面はあると思います。アヴェンチュラは秋になってから大レースを制覇したわけで,これからも成長してさらなる活躍を続けられるかどうか,一競馬ファンとして楽しみにしていたのですが,前脚を両方とも骨折してしまい,休養に入るということで残念です。

 虫歯治療をした翌日,9月17日のことになりますが,きわめて個人的な大事件が勃発しました。眼鏡が壊れてしまったのです。
 僕は極度の近眼で両目とも視力が0.1もありませんので,眼鏡は生活必需品です。初めて眼鏡を掛けるようになったのは小学校4年生のときで,もちろんその当初は現在ほど視力が悪かったわけではありませんが,それ以降は眼鏡とともに生活を続けてきたわけです。この日に壊れてしまった眼鏡を作ったのは7年前のこと。それだけの月日が経過していますから,消耗はしていまして,とくにレンズをはめておくためのビニール状のひもはやや緩くなっていて,とくに右側ですが,レンズを磨いているときにそれが外れてしまうというようなケースはそれまでにもありました。ただそれは自分ではめ直せばすむことですから,そのままにしておいたのです。この日に壊れてしまったのはそこではなく,鼻当ての部分。ここが完全に取れてしまい,修復不能になってしまったのです。
 僕は予備の眼鏡というのは作っていません。以前に使っていたものならばありますが,7年前に眼鏡を作ったときには度を少し強くしています。つまり以前の眼鏡は使用はできますが,この眼鏡ほどには見えないのです。鼻に当たる部分が壊れてしまっただけで,レンズ自体に損傷はありませんでしたから,使えないということはありませんでしたので,週末は仕方なしにそれで過ごし,19日の夕方に時間を作って眼鏡屋へ赴きました。最初のうちは眼科に紹介された眼鏡屋で眼鏡を作ったので違ったのですが,おそらくもう20年以上は僕はここで眼鏡を作っていたのです。
 厳密にいえばレンズは使えるわけですから,フレームだけ作り直せばよいわけです。ただ,僕はどうせならば新しい眼鏡を作ってしまおうと思っていました。とくにこうしてブログを書いているときなどに,視力が以前よりもさらに悪くなっているように感じられていたからです。そのためには精密な視力検査を行う必要があり,実際にこの日もやったのですが,意外にも視力は7年前とほとんどといっていいほど変化なし。見えにくくなっていたのは,長期使用によるレンズの細かい傷のせいであろうというのが眼鏡屋さんの判断でした。
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フォルカー&特有

2011-10-21 19:18:18 | 血統
 スプリンターズステークスを制して現在の日本のスプリント路線のトップに立ったカレンチャン。彼女の輸入基礎繁殖牝馬は1948年アメリカ産のフォルカーです。ファミリーナンバーは日本で多数の系統から活躍馬が出ている13-c
                         
 1952年にアメリカで初仔を産んだ後,社台によって輸入。枝葉はものすごく広がりましたが,その大部分を占めているのがカレンチャンも属するブラックターキン,競走名ミスヤマトの分枝。その娘,シャダイターキンは1969年のオークスを勝っていますが,これは僕の競馬キャリアより前,というより生年月日からも分かるように産まれる前の話。このシャダイターキンの孫になるのが,レッツゴーによって僕にとっては特別の印象があるレッツゴーターキンで,1992年の秋の天皇賞を制しました。
 カレンチャンはこの一族からは3頭目の大レースの優勝馬。4代母がシャダイターキンの妹ですから,レッツゴーターキンとはもはや近親とはいえないような間柄。大レースではなく重賞の勝ち馬ということに限ればかなり多く出ていて,僕の競馬キャリアの中だけでも,レッツゴーターキンとカレンチャンを含めて9頭。カレンチャンにとって最も近いのは当然ながら兄であるスプリングソングということになりますが,この兄妹の叔父には,一昨々年の皐月賞で2着,一昨年にはダービー卿チャレンジトロフィーを勝ったタケミカヅチがいます。

 第二部定理三八ではなく,第二部定理三九証明の方を検討したのは,たぶんこちらの場合の方が,人間の精神による共通概念の獲得が,その人間の精神による純粋な思惟作用とはいい難い一面があることを示すためには便利であろうと思うからです。ですから実際にはここから述べていくことは,第二部定理三八の仕方で人間の精神が共通概念を獲得するという場合にも妥当します。
 この仮定では,Xというものが,AとBにのみ特有であるとしています。これは逆にいえば,XというのはAとBの本性のうちには特質として含まれているけれども,その他のもの,といってもこれは物体に限る必要があるでしょうが,ほかの物体の本性のうちには特質としては含まれていないということを意味しています。一方,第二部定理七系からして,Xの観念は神の無限知性のうちに含まれていますし,その意味からしてそれは十全な観念として含まれています。ただしそれは神が無限である限りにおいて神の無限知性のうちに含まれているというよりは,神がAの観念を有する限りにおいて,またはBの観念を有する限りにおいて含まれているのだといわれなければなりません。このことは,示されていることの意味合いは異なっているにしても,第二部定理九系からもそうでなくてはならないということになるだろうと思います。
 一方,第二部定理一三によれば,ある人間の身体の観念とはその人間の精神にほかなりません。したがって,Aの観念を有する限りで神のうちにXの観念があるということは,Aの精神のうちにXの観念がある,それも十全な観念があるということと同じです。ここではBについては単に物体と仮定し,人間の身体と仮定しているわけではありませんが,スピノザの哲学における精神というものがどういう意味を有するのかということに注意した上で,Bの精神のうちにもXの十全な観念があるということは,同じ論法で証明することができます。ただしここではその精神とは何かということの説明を繰り返す必要性は皆無ですから,納得がいかなければ,Bもまた人間であると考えて構いません。
 このように,Xの十全な観念が共通概念としてAの精神のうちにあるということは確実です。問題となるのはその発生の仕方です。
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ディープディーン&検査結果詳細

2011-07-11 19:18:38 | 血統
 宝塚記念で待望の大レース制覇を達成したアーネストリー。牝系の輸入基礎繁殖牝馬は4代母にあたるアメリカ産のディープディーンという馬。ファミリーナンバー3-n
                         
 輸入は社台で繁殖生活は日本のみ。3頭目に産んだアスコットラップという馬から枝葉が広がりました。このアスコットラップが最初に産んだ産駒がギャロップダイナ。条件馬の身で挑戦した1985年の秋の天皇賞で,日本競馬の最強馬の1頭,シンボリルドルフを差し切って優勝。フロックでなかったことは翌年の安田記念を優勝したことからも明らか。秋の天皇賞はサクラユタカオーの4着。引退レースとなった同年の有馬記念,僕の競馬キャリアで最初の有馬記念ですが,ここでもサクラユタカオーやメジロラモーヌを相手に2着に食い込んでいます。
 ギャロップダイナの妹がダイナチャイナで,1997年の目黒記念を勝ったアグネスカミカゼの母。この馬はブリンカーを装着することで一気に勝ち進み,その目黒記念が最後のレースだったのですが,もしも無事ならばさらに活躍できていたかもしれません。
 これを最後に一族から10年ほど重賞の勝ち馬は輩出しませんでした。しかし一族の復活を予感させたのがダイナチャイナの妹の孫として産まれたヴァンクルタテヤマで,2008年にプロキオンステークスとサマーチャンピオン,一昨年は北海道スプリントカップサマーチャンピオンと重賞4勝。この流れを引き継いだのがアグネスカミカゼの妹の産駒となるアーネストリーで,ギャロップダイナ以来,一族から2頭目の大レース勝ち馬となりました。
 活躍馬が牡馬ばかりなので,これがすぐに一族の復権になるとは限りませんが,枝葉は続いていますので,またどこかで優秀な馬が誕生するという可能性はあるだろうと思います。

 いつものように引き取ってもらう使用済みの注射針を携えて再びみなと赤十字病院に。この日は4月の通院の際にはもらうことができなかった,検査内容のオーダーとその結果が印字された検査詳細情報をもらうことができました。
 糖尿病の患者にとって最も重要な検査といえるヘモグロビンA1cですが,この日は6.9%。4月のときよりもさらに改善されていたわけです。何度かいっていますように,僕の場合はこの値は,今年の2月の検査のときに異常に高くなったときを除けば,およそ7%前後で推移していたのですが,実際に7%を下回る値が出たのは,昨年の7月26日の通院のとき以来。そのときも同じ6.9%でした。
 それから糖定性ですが,この日は1+という結果。つまり若干の尿糖が出ていたものと思われます。これも説明したことですが,尿糖の有無というのは,尿の採取時における血糖値がどれくらいであるのかということと比例します。実はこの日は血糖値が247㎎/㎗と高めでしたので,その影響で尿糖が出たものと思われます。この日は起床時に自宅で血糖値を計測していましたが,なぜか330㎎/㎗という,この頃にはなかったような異常な数値が出ていました。これだけの数値が出てしまいますと,そうもすぐには血糖値は下がってくれませんので,血糖値が高いであろうということは僕の想定していた通りです。もちろんこんな数値が続けて計測されるようであれば大問題ですが,これはあくまでもこの日だけのこと。翌朝も計測しましたが,そのときは72㎎/㎗で,むしろ副作用としての低血糖を心配しなければならないような値でした。どうしてこの6日の朝だけこんなにも異常な数値が出てしまったのかは分かりません。
 もうひとつ,このブログでいくらか気にしているのは尿クレアチニンですが,この日は50㎎/㎗でした。これはどうやって計測しているのか分からないのですが,僕の場合,この検査の結果は必ず10㎎/㎗か,そうでなければ50㎎/㎗であるかのどちらかです。これは正常の下限が10㎎/㎗で,たびたびいっていますように,筋肉質な体型である方が高くなるようなので,僕はそうも高くなることは考えられず,どちらかしか出ないのなら50㎎/㎗の方がよいのでしょう。ただし体重は依然として増加には転じていません。
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グランマスティーヴンス&第二部定理四二の意味

2011-05-17 18:54:11 | 血統
 東京開催となった今年の皐月賞オルフェーヴルが優勝しました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は1977年アメリカ産のグランマスティーヴンス。オルフェーヴルの曾祖母にあたります。ファミリーナンバー8-c
                         
 アメリカで1頭の産駒を産んだ後,社台が輸入。記録をみますと,種付けはされたものの産駒はなしという年も多く,体質的にはやや問題があったのかもしれません。ただ,輸入後に登録されたのは4頭続けて牝馬で,このために枝葉は伸びました。
 この4頭のうち,3頭目がオルフェーヴルの祖母になります。一族から重賞の勝ち馬はなかなか出てきませんでしたが,ついに2006年になって,オルフェーヴルの全兄にあたるドリームジャーニー朝日杯フューチュリティステークスを制覇。つまり一族の最初の重賞制覇が大レース制覇となったのです。ドリームジャーニーはその後も大レースを2勝するなど,近年の名馬の1頭になりました。
 オルフェーヴルはドリームジャーニーの朝日杯優勝の翌年に種付けされた産駒。配合相手にステイゴールドが選ばれたのは,ドリームジャーニーの活躍があったからでしょう。だからといって成功するというのは稀なパターンなのですが,この馬の場合は大成功。おそらくよほど相性の良い父と母の組み合わせなのだろうと思います。ドリームジャーニーもオルフェーヴルも牡馬ですから,一族をさらに繁栄させていくということはできませんが,この兄弟の間には牝馬が2頭いますので,そちらの子孫から活躍馬が出てくる可能性は大いにあるのではないかと思います。

 第二部定理四二は,個別の真理veritasについての言及ではなく,真理一般に関する定理Propositioであるというように僕は理解します。すなわちそこでいわれていることは,たとえばAの真の観念idea veraあるいは十全な観念idea adaequataがAについての真理と虚偽falsitasとを分つということではなく,むしろ何でもいいのですがあるひとつの真理は,すべての真理の規範である,いい換えればすべての真理と虚偽とを分つような力potentiaを有しているというようなことだと僕は考えるのです。
 僕がこの定理を上述のような意味に理解する根拠を説明しましょう。もしもこの定理が個別の真理に関する言及であるなら,たとえば人間の精神mens humanaは,Aの真理と虚偽を分かつために,Aの十全な観念を有していなければなりません。しかしこのAというのは任意のものですから,どんな場合にも妥当します。したがって人間の精神は,その十全な観念を有するものについてはそれに関する真理と虚偽とを分かつことができるけれども,そうでない場合にはそれが不可能であるということになります。しかし僕はこれをいうのは不条理なのではないかと思うのです。
 これは論理的に考えるよりも,経験的に反省してみた方がよく理解できるのではないかと思います。そしてこの場合には,人間の精神の一部を構成する混乱した観念idea inadaequataの代表である表象像imagoを例にするのが手っ取り早いでしょう。
 第二部定理一七の仕方で,ある人間の精神のうちに外部の物体corpusXの表象imaginatioが生じたとしましょう。もしも第二部定理四二が個別の真理に関する言及であるなら,この人間がそのXの十全な観念を有していない限り,この人間はXの表象像が真理であるか虚偽であるか,つまり十全な観念であるのか混乱した観念であるのか分からないということになります。しかしそんなことはあり得ません。たとえこの人間の精神のうちにXの十全な観念が現実的に存在しないのだとしても,この人間はXの表象像がXについての真理ではない,つまり虚偽であるということは知り得るでしょう。すなわち,Xの真理がどういうものであるかを知らない場合でも,このXについての表象像が虚偽であるということだけは,この人間は認識するcognoscereことができるのです。したがって,やはり第二部定理四二というのは,個別の真理と虚偽に関する言及というより,真理と虚偽一般に関連する言及だと理解するべきだと思います。
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種正&距離関係

2010-12-22 18:49:23 | 血統
 全日本2歳優駿を制したビッグロマンスの輸入基礎繁殖牝馬は,1920年にイギリスで産まれた種正という馬。もちろん種正は日本名で,イギリス時代はYoung Man's Fancyでした。この頃は,輸入された牝馬に,日本名をつけるということもあったようです。輸入したのは当時の宮内省で,ファミリーナンバー5-h
                    
 1920年というと元号では大正9年。これは産まれた年ですが,少なくとも昭和元年には輸入されています。よって当然ながら多くの活躍馬が出ていまして,これを逐一あげていくというわけにはいきません。僕の競馬キャリアの中での大レースの勝ち馬ということになりますと,まず1989年に春の天皇賞,宝塚記念,有馬記念と大レースを3勝し,この年の年度代表馬に輝いたイナリワンが代表的な1頭。面白いことに同時期に別の馬も活躍していて,この1989年の安田記念に勝ち,翌年の1990年にもスプリンターズステークスを勝って,2年連続で最優秀スプリンターに選出されたバンブーメモリーもこの一族です。
 ビッグロマンスは系統でいうならこの2頭とは異なっていて,ホマレタカイの分枝。その曾孫のマックスフリートという馬は地方競馬の名牝で,ナリタホマレの姉,ビッグロマンスの祖母になります。ビッグロマンスは兄のサンライズマックスも重賞を3勝していますが,伯父,つまりマックスフリートの産駒には,重賞2勝のミラクルオペラもいます。
 おそらく,種正の分枝で現在は最も多くの活躍馬が出ているのがこのホマレタカイの分枝でしょう。マックスフリートを基点に,さらに活躍馬が現れるのかどうかというのも興味深いところです。

 これらそれぞれの区間の距離関係を少し説明しておきましょう。
 まず僕の家から磯子中央病院までは,おそらく2キロか,それを少し超えるくらいではないかと思います。妹の作業所は,方向としては真逆で,磯子中央病院よりは少しだけ遠いですが,3キロまではなく,2キロ半くらいだと思います。直線距離にすれば同じか,あるいは作業所の方が近いのかも分かりませんが,当然のことながら道路というのは直線のみでできているわけではなく,これは実際に歩いた場合の距離ということです。磯子区役所というのは僕の家からは磯子中央病院より先ですので,ここまで歩けば作業所と同じか,あるいはもう少し距離があるかと思います。
 一方,WINS横浜から自宅ということになりますと,様ざまなルートがあります。ただ,最短のルートを通っても,自宅から作業所や磯子中央病院よりは遠く,おそらく4キロまではいかないにしても,それに近いくらいはあると思います。雨の日などはバスで行ってバスで帰ってくるということもありますが,バスで行って歩いて帰ってくる場合は,帰りのバスの待ち時間の関係もありますので,歩く場合の方が10分程度時間が掛かるくらいです。
 妹の作業所からみなと赤十字病院ということになると,自宅から作業所までよりは遠く,しかしWINS横浜から自宅までほどはありません。なのでおそらく3キロ半くらいではないかと思います。これは昔から変わりませんが,僕は平均的には1キロを10分くらいで歩きます。信号の状況や上り下りなどで多少の誤差はあるにしても,これは30分では行かれないけれども,40分は掛からないくらいの位置。ただ,このあたりは基本的に埋立地ということもあり,坂はまったくありません。もっとも,坂がないのはここまで説明したどの区間でも同じこと。ただ,僕の家と妹の作業所の間には,山というほどではありませんが,小高い丘があり,道はこれを迂回するようになっているので,直線距離よりは少し長くなるわけです。その小高い丘の上にあるのが,僕が中学校の頃に陸上部の練習で通った旧根岸競馬場跡地の森林公園です。
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アリアーン&病室

2010-12-10 19:00:05 | 血統
 先月のJBCクラシックで待望の大レース初制覇を果たし,返す刀で浦和記念も制したスマートファルコン。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は1968年にイギリスで産まれたアリアーンという馬です。ファミリーナンバー9-c
                         
 キョウエイやインターの冠の馬を多く生産しているインターナショナル牧場の輸入。アリアーンは1972年から日本でのみ繁殖生活を送りました。しかし重賞の勝ち馬を出すことはなく30年近くが経過。ようやく出た重賞馬が1999年の東京大賞典で,メイセイオペラなどを破って優勝したワールドクリーク。この馬は前走のオープン特別まで3連勝しての重賞初挑戦。つまりこの一族にとって重賞初制覇が同時に大レース初制覇となったのです。しかしワールドクリークはその後は重賞を勝てませんでした。晩年は九州に移籍し,6勝していますが,これは明らかに相手関係によるもの。そういう意味では一発屋に近い馬であったといえるでしょう。
 このワールドクリークの母がケイシュウハーブという馬で,同時にスマートファルコンの母でもあります。つまりケイシュウハーブは2頭の大レース勝ち馬を産んだことになります。しかもスマートファルコンが産まれたのはワールドクリークが産まれた10年後ですから,これはかなり珍しいケースといえるでしょう。
 初挑戦の大レースを制したもののその後は凡庸な成績に終わったワールドクリークと,堅実に走って重賞11勝目がようやく大レース制覇となったスマートファルコン。まったくタイプの違う大レースの勝ち馬2頭が兄弟というのも,競馬の面白いところではないでしょうか。

 2階から3階へ移動したといっていますが,実はは,2階でも何度か部屋を移動していたのです。
 最初はHCUから一般病棟への移動で,これは説明しました。しかしその一般病棟も,実は母は計3部屋使ったのです。最初に移動したのが4人部屋。しかしその部屋が,男性用になったために,2人部屋にまず移動しました。これはちょうど母の排泄状況が,ベッド脇に簡易トイレを設置した時期のこと。僕が2度めの主治医の話を聞いた頃のことです。ただ,差額ベッド代というのがありまして,2人部屋は4人部屋に比べてこれが高い。このときはベッドの空き状況の関係という完全に病院側の都合による移動で,僕たちの希望ではありませんでしたから,ほどなくしてまた4人部屋に移動となったわけです。そしてその部屋からリハビリ病棟へと移動しました。
 移動した3階の部屋も4人部屋。僕が入院したみなと赤十字病院の病室も4人部屋で,ベッドの設置の仕方に関してはそこと同じで,中央の通路を挟み片側に2床ずつでした。ただし,磯子中央病院の病室には,トイレはなく,廊下にあるものを共用で使う方式。しかし1部屋自体のスペースは,みなと赤十字病院よりも明らかに広く,したがって隣や向いの患者との距離というのは,より遠くなっています。ベッドの片側にはやはりテレビも視聴できるパソコンが備え付けられていること,それが冷蔵庫と連動していて,カードを入れて使用することはみなと赤十字病院と同様。母は回復してからは冷蔵庫で水やおやつを冷やすようになりましたし,またテレビも視聴するようになりました。これはカードも自分で買いに行くことができるようになってからのことで,その時期から財布を持っていき,母にも現金を渡しています。
 同じ4人部屋ですから,2階の緊急病棟も3階のリハビリ病棟も部屋の構造は同じ。ただ,移動して少しばかり驚いたのは,リハビリ病棟で同部屋になった患者の方が,緊急病棟で同部屋だった患者よりも,僕には重篤に感じられたことです。実際,この日に移動した部屋のほかの3人の患者は,自分で起き上がるということができず,排泄もおむつを使っていました。
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サワーオレンジとボウモント&新生血管

2010-07-06 18:43:40 | 血統
 エアジハードの母系を辿っていきますと,曽祖母にサワーオレンジという馬がいて,これが日本での母系祖先になります。ファミリーナンバー8-g
                         
 社台ファームの輸入で産駒はすべて日本産。2番目の子は1982年の3月にデビューすると,5月にはオークスを勝ってしまったというシャダイアイバー。この馬がこの系統の初めての大レースの勝ち馬です。ただしこれは僕の競馬キャリア以前。
 サワーオレンジの直仔にはもう1頭の重賞勝ち馬がいて,それは1988年の新潟記念を勝ったダイナオレンジ。さらにその娘となるセンターライジングは1996年のオークストライアルを勝ちました。
 シャダイアイバーの方も枝葉を伸ばしていき,産駒の1頭,オークツリーの子どもが,エアジハードが安田記念を勝つ直前の青葉賞や同じ年のステイヤーズステークスでテイエムオペラオーを破って勝ったペインテドブラック。エアジハードの母であるアイシーゴーグルはやはりシャダイアイバー産駒でオークツリーの姉ですので,エアジハードとペインテドブラックは従兄弟になります。さらにシャダイアイバーの子孫からは,2004年のCBC賞など重賞2勝のプレシャスカフェも出ています。
 サワーオレンジの母はLady Atticaという馬ですが,この妹が繁殖牝馬として輸入されていて,それがボウモント。ボウモントの孫には2002年のJRA賞最優秀障害馬のギルデッドエージがいます。エアジハードとギルデッドエージは日本での母系祖先は異なりますが,同じ一族ということになります。

 網膜症のもうひとつの代表的な症状として僕があげた新生血管というのは,網膜症が進行していく段階でいうなら,眼底出血,この場合には網膜前出血ないしは硝子体出血のことを指しますが,それよりは前の段階にあたります。もっとも,眼底出血を起こしてしまえば,そのまま放置すれば網膜剥離から失明へと至っていくわけで,いわば眼底出血は網膜症の最終段階であるといえますから,段階的にその前であるということは当然といえば当然かもしれません。
 これは読んで字の如くで,網膜に新たな血管が生じていくこと,ないしは生じようとすることです。なぜこうした事態が発生するのかということをごく簡単に説明しますと,毛細血管というのは詰まりやすい血管で,これが詰まってきますと,酸素や栄養分などが網膜の神経細胞にいきわたらなくなってしまいます。そして酸素が欠乏するような状態になりますと,この酸素を網膜に補うという目的で,網膜の中に新しい血管ができてくる,ないしは新しい血管を作る準備が開始されるわけです。したがってこれだけを部分的にみれば,これはいわば自己保存の法則としてこうしたことが生じるといえないこともありません。
 ところが,この新生血管が網膜にできてしまいますと,そこから眼底出血が生じてしまうのです。つまり,新生血管ができるということは,もしもそれ自体でみるならば何の問題もない,むしろ網膜にとってはよいことなのですが,その後の結果が非常に悪いものとなるというわけです。第一部公理三を用いて説明するならば,網膜に新生血管が生じれば必然的に眼底出血が生じるということであり,第一部公理四を用いるなら,原因である新生血管の認識のうちにはすでに結果としての眼底出血の認識が含まれているということになりますから,新生血管が発見された段階で,何らかの処置をしなければならないということになります。これが糖尿病患者が定期的に眼科検診を受けなければならないとされている最大の理由であるといえるでしょう。つまり,出血に至る段階の前で新生血管を発見し,未来に生じるであろう眼底出血をその段階で防いでおくという意味です。
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ナイスランディング&経験的観点

2010-05-15 19:14:41 | 血統
 先日の天皇賞を勝ったジャガーメイルの曽祖母はナイスランディングという馬で,この馬がジャガーメイルの日本での母系祖先にあたります。ファミリーナンバー1-w
                     
 この系統からの大レースの勝ち馬は初。これまでのこの一族最大の活躍馬は,僕の競馬キャリアの中でも初期に重賞を4勝したイクノディクタス。重賞4勝のうち3勝が5歳のときにあげたもので,この年,1992年にはJRA賞の最優秀古馬牝馬に選出されています。大レースは勝てなかったものの,翌年には安田記念でヤマニンゼファーの,宝塚記念ではメジロマックイーンの,それぞれ2着になりました。
 イクノディクタスとジャガーメイルは同じ一族とはいえ,両馬の日本での母系祖先となるナイスランディングで初めて祖先が一致しますので,関係としてはかなり遠め。ジャガーメイルにわりと近いところでは一昨年のスワンステークスなど重賞2勝をあげている同い年のマイネルレーニアがいて,この2頭はそれぞれの母が姉妹ですので,従兄弟という関係になります。
 イクノディクタス以降は,この一族からはマイネルレーニアまで重賞の勝ち馬が輩出しませんでした。しかしすぐにジャガーメイルが登場したわけで,競馬ではこういう場合にはさらに活躍する馬が続出するというケースもあります。これからしばらく,この一族を出自とする馬たちには注目の必要があるかもしれません。

 論理的に考えますと,なぜ僕たちは尿意は観念ideaそれ自体として,逆に我慢の思惟の様態cogitandi modiについてはそれを意志作用volitioとして意識するのかは,仮説めいたものを立てることができるだけであって,僕の手には負えない難問です。ただ,論理的な面を重視せずに,経験的な側面からのみこのことを考えるなら,次のように考えるのも僕にはリアルに感じられます。
 僕が第三部定理二を経験的な角度から分析したのは,一般的には人間は自らの意志voluntasによって自分の身体corpusをある運動motusないしは静止quiesに決定できると思い込んでいるけれども,それは誤りerrorであるということを例示するためでした。しかしこの思い込みが,このことと大きく関係しているように考えることができるのです。
 僕たちが排尿を我慢する意志作用を精神mensのうちに有するのは,我慢の秩序によります。すなわち尿意以外の外部の物体corpusの知覚perceptioがこれと大きく関係します。これをこの知覚によるひとつの判断,と考えるなら,それは現時点の状況下においては排尿をなさない方がよいという判断になるでしょう。そこで例の思い込みにより,排尿を我慢する意志作用というのを強く意識するようになるのです。つまりこの意志作用によって排尿という運動をなさないように自分の身体を決定できると思い込むからです。
 逆に,このときに尿意を観念としてではなくむしろ意志作用として意識すれば,すでに説明したようにこの意志作用は排尿という運動を肯定しますから,この意志作用によって身体は運動に決定され,実際にそこで排尿という運動をなしてしまう,つまり排尿の分節でいえば放尿をすると思い込むことになります。これは前述の判断と矛盾しています。よって人間はこの場合には尿意を観念として意識し,意志作用としては意識しないということになるのです。
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ホワイトウォーターアフェア&刺激状態の変化

2010-05-01 19:16:59 | 血統
 皐月賞を勝ったヴィクトワールピサの母は1993年にイギリスで産まれたホワイトウォーターアフェアという馬。ファミリーナンバー8-d
               
 繁殖生活1年目はイギリスでスタートしましたが,産駒は輸入されました。この後,2年目の産駒を受胎中に輸入されたので,産駒はすべて馬の国籍でいうところの日本馬,日本調教馬です。
 イギリスで産まれた唯一の産駒で輸入されたのが2005年の安田記念を勝ったアサクサデンエン。初年度産駒が大レースを勝ったのですから,これ以上ない繁殖生活のスタートを切ったということになります。
 輸入されると3年続けてサンデーサイレンスと交配されたことからも,期待の繁殖馬であったことがうかがえますが,サンデーサイレンスとの間の最初の産駒は2006年の小倉記念をレコードで勝ったスウィフトカレント。この年のサマー2000シリーズのチャンピオンとなり,多少の幸運はありましたが同年の秋の天皇賞でも2着となっています。ちなみにこのときの7着がアサクサデンエンですから,兄弟で同じ大レースを走ったということ。
 ヴィクトワールピサはスウィフトカレントの6歳下の弟ということになり,ホワイトウォーターアフェア産駒としては2頭目の大レースの勝ち馬,3頭目の重賞勝ち馬となりました。
 アサクサデンエンもスウィフトカレントもどちらかといえば古馬になってから力をつけてきた馬。ヴィクトワールピサが早くから活躍しているのは父がネオユニヴァースになったという点が影響しているのかもしれません。兄2頭の競走成績から考えれば,無事なら長くの活躍が見込めるのではないでしょうか。

 排尿という運動motusを我慢することを肯定するような思惟の様態cogitandi modiがある人間の精神mens humanaのうちに現実的にあるとき,この思惟の様態をある意志作用volitioであると考えてみます。このこと自体はそう無理がある仮定ではないと思います。するとこの意志作用というのは,第二部定理四九により,やはりこの人間の精神のうちに現実的にある何らかの観念ideaに含まれているということになります。いい換えれば,この意志作用がある人間の精神のうちに現実的に存在する場合には,この同じ人間の精神のうちに,この意志作用によって肯定されている観念が必然的にnecessarioあるということになります。今はこうした観念があるということさえ理解できれば十分ですから,この観念がどんな観念であるのかということまでは探求しません。
 そこで,もしもある時点において,この意志作用がある人間の精神のうちから消滅するということが生じるならば,具体的に現時点で考察の対象としている場合に関していえば,トイレで排尿をする準備が整った時点でこの意志作用は消滅するのですが,この際には,同時にこの意志作用によって肯定されていた観念も同時に消滅するということになります。これはそれ自体で明らかだといっていいでしょう。
 このように,これを意志作用の消滅としてではなく,観念の消滅という観点から考えるならば,これは第二部定理一七によって十分に証明できると僕は考えます。すなわちこの観念が消滅するときには,あるものの現実的存在を排除するような刺激を自分の身体corpusが受けたと考えることができるからです。つまり自分の身体の刺激状態の変化によって,表象像imagoすなわち観念が消滅し,したがってそれを肯定していた意志作用も同時にその人間の精神ないしは知性intellectusから消滅するのです。そしてその刺激状態とは,まさに自分の身体が排尿という運動をなす準備が整ったということにほかならないのではないでしょうか。
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リーガルローブ&一般と具体

2010-04-23 19:18:44 | 血統
 先週の中山グランドジャンプを勝ったメルシーモンサンの日本での母系祖先は1958年にイギリスで産まれたリーガルローブという馬です。ファミリーナンバー1-e
                
 イギリスで繁殖生活を送った後の輸入で,日本では7頭の仔を産んだようですが,活躍馬は1970年産のマミーブルーからの系統に集中。マミーブルー産駒には,1991年の日経新春杯を勝ったメルシーアトラ,1994年にアーリントンカップと毎日杯を連勝したメルシーステージがいます。このメルシーステージの父であるステートジャガーはマイナー種牡馬で,種牡馬引退が決まっていたのですが,この馬の活躍で再び種牡馬に起用されたという珍しいエピソードがあります。
 マミーブルーの曾孫にあたるのが2004年の暮れの中山大障害を勝ったメルシータカオー。騎乗した出津孝一騎手は12月25日にして2004年の初勝利。印象的なインタビューをご記憶の方もいらっしゃるかと思います。
 メルシーモンサンはこのメルシータカオーの姉の産駒ですので甥にあたります。
 この一族もそうですが,障害競走に集中して活躍馬が出る系統というのがあります。今後もこの一族から障害競走に出走する馬がいれば,注目する必要があるでしょう。

 第三部定理九証明されたことにより,尿意が知覚perceptio,すなわち混乱した観念idea inadaequataであっても,人間の精神mens humanaは自己の有esseに固執するperseverare傾向を有しているconariということは明らかになりました。したがって一般的に考えるなら,尿意の観念は排尿という運動motus自体の観念に直接的に連結するような観念ですから,すでに尿意のうちに,排尿という運動を自分の身体corpusに対して肯定する意志作用volitioが含まれているということも明らかになったといっていいかもしれません。なぜならそれ以前に,第三部定理一一も証明してあるからです。
 ただし,一般的にこのようなことがいえるということと,具体的に同じことがいえるということでは多少の,しかし無視することはできない違いがあります。もちろんたとえばある人間の知性intellectusというのがその人間の精神を構成している個々の観念の総体のことであり,意志voluntasというのが意志作用の総体のことであるように,一般的に尿意といわれるような観念は,個々の人間の精神のうちに発生する各々の尿意という観念の総体のことであるでしょう。しかしこれをいうためには,一般的にそうであるから具体的にもそうでなければならないというのではなしに,具体的にこうであるから一般的にそういえなければならないと説明するのがたぶんスピノザの哲学においては正しい方向ではないかと思います。といいますのも,事物はどのように把握される場合に明瞭に認識されるのかという観点からいって,その方がスピノザの一般性と特殊性の考え方に合致しているように思われるからです。
 そこで,具体的な尿意の中に,自分の身体に対して排尿という運動を肯定するような意志作用が含まれているということについて証明したいのですが,これに関しては『エチカ』の中で,そのことを直接的に導き出すことができると僕に思えるような定理Propositioがありません。そこでやや異なった角度から,この点に接近を図っていこうと思います。
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ダンシングキイとキーフライヤー&診察結果

2010-01-18 18:50:38 | 血統
 ダンスインザダークの母系の紹介です。
               
 日本での祖先はダンスインザダークの母。1983年にアメリカで産まれたダンシングキイという馬で,ファミリーナンバー7。アメリカで3頭の仔を産んだ後に輸入。2年目,すなわち日本での初種付けされた仔が1994年の青葉賞でサクラローレルを破って優勝した重賞3勝のエアダブリン。さらに翌年の産駒がオークスとエリザベス女王杯を勝ち,1995年に最優秀3歳牝馬,翌年は最優秀4歳以上牝馬となったダンスパートナー。さらに翌年の産駒がダンスインザダークですから,3年連続で重賞の勝ち馬,うち2頭が大レースを勝ち,JRA賞を受賞という素晴らしい繁殖成績を残しました。
 しかしダンシングキイの輝きはこれだけでは終りませんでした。間が開いて2001年の産駒は2004年の桜花賞を制して最優秀3歳牝馬を受賞,2006年にはヴィクトリアマイルを優勝し,アメリカでキャッシュコールマイルも勝ち,やはりJRA賞最優秀4歳以上牝馬に選出されたダンスインザムード。すなわち計3頭の産駒が大レースを勝ったのです。
 このダンシングキイの3つ下の妹がキーフライヤーでこの馬も輸入されました。この馬の日本での繁殖成績はぱっとしないのですが,1995年にイギリスで産んだスプリングマンボという馬は輸入され,2005年の春の天皇賞を優勝したスズカマンボが輩出しています。
 また,ダンシングキイの母は,イーグルカフェの曽祖母の妹にあたりますので,広くいえば同じ一族ということになります。

 m先生自身の手によるやり直しのエコー検査の後は,再び耳鼻咽喉科の診察室に戻り,検査結果の話を聞きました。
 端的にいえば,間違いなく何らかの異常が,僕の喉の右側には発生しているということでした。なお,ここでは右側といっていますが,もちろんこれは僕からみて喉の右側という意味です。
 なぜ確実に異常があるといえるのかといえば,エコー検査を行えば本来は見ることができる,すなわち検査の結果として画像に写る筈のすべての部分が見えてはいないからだということでした。左側に関してはすべてが写っているので何も問題はないが,右側はそうではなかったようなのです。僕自身はその映像というか写真を見せてもらったわけではないので,どこがどう写っていないのかまでは分かりませんでしたが,この話によれば左側と右側では写りに差があるということであり,しかし人間の喉は左右で異なった構造をしているというわけではありませんから,正常な状態ではないということは僕にもよく分かりました。
 ではなぜ映らなかったのかといえば,どこかに何らかの異物があるために,その奥を見ることができなかったということでした。しかし異物の正体が何であるのかということまでは分かりませんでした。というか,エコー検査という検査自体が,こうした異物の有無に関して調べるような検査なのであって,それが何かまでは調べることができないような検査なのだそうです。
 何であるのかを調べるためには,CTを撮る必要があるとのことでした。そうしなければ分からないのであれば僕としても断る理由はありません。ということで,今度はCTで検査するということになったのです。もちろんエコー検査と同様に,これも事前の予約が必要であり,この日のうちにはできません。検査日時はおよそ10日後の6月30日と決まりました。
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