王座戦五番勝負第一局。第一局ですので振駒。その結果,先手は久保利明八段となり,早石田を目指しました。注目されたのは羽生善治王座の作戦ですが,四間飛車。相振飛車になりました。
今日は親類の葬式で,帰って5時くらいから観戦できました。この段階では後手の矢倉は矢倉とはいえないような形でしたし,先手の穴熊もほころびのある形でしたので,僕にはどちらがよいのかまったく分かりませんでしたが,検討陣の評判は,先手が有望であったようです。
夕食休憩を挟み,69手目の▲6四歩の取り込みが指されたところで後手が長考。僕の想像ですが,ここで羽生王座はある程度の目算を立てたのではないかと思います。指された手は攻め合いを目指す△1七歩成。ここから△2七歩成も利かせて,74手目に△4五角と金銀両取りをかけました。控え室の評判も,このあたりでは後手よしになっていて,あるいはここではもう後手の勝ち筋に入っているのかもしれません。
この後,馬を切って90手目に△3九銀。ここから先手が王手の連続で迫り,97手目に▲6八飛と王手で逃げられるのはドキッとする感じでもありますが,ここで△6七歩が最後の決め手。先手はさらに迫りましたが届かず,羽生王座の先勝となりました。投了以下,▲6三銀△5一玉▲6一馬から盤面の左側に逃げられてしまいます。
79手目の▲3三馬は,結果的にみると少し緩い手であったように感じられますので,65手目に▲2二角と打って,後手の端攻めの根元の香車を取りにいったのが先手としてはどうだったかという気がします。
XはYではないという命題が真の命題である場合でも,少なくとも,主語であるXと述語であるYに,数学の左辺と右辺にあるような意味での等価性がない場合には,XがYによって限定されるということがないということは,否定と限定の関係からすでに明らかになったといえると思います。したがってこれを一般的にいうなら,あらゆる限定が否定であるのだとしても,あらゆる否定が限定であるとはいえないということになります。
それどころかむしろ,この関係は,XはYではないという命題が真の命題であり,逆にYはXではないという偽の命題であるような場合には,Xをあるひとつの全体と考えた場合には,Yはその全体の一部を構成するという関係にあたりますから,むしろ命題においてはYによって否定されているXの方が,同様に命題においてはXによって否定されていないYを限定するという関係になっています。したがって,単にXはYではないという命題が真の命題であるというだけでは,XがYによって限定されるといえないばかりでなく,むしろそれが真の命題であるから,Xの方がYを限定する場合もあると考えなければならないことになります。
よって,無限は有限ではないという命題が真の命題であるというだけでは,無限に対する有限による否定が成立しているとはいえないということになります。そこで,否定文の命題が真の命題であるとき,どのような場合にそれが主語に対する述語による否定であるのかをもう少し検討してみなくてはなりません。
今日はなぜか快調に投稿できました。
今日は親類の葬式で,帰って5時くらいから観戦できました。この段階では後手の矢倉は矢倉とはいえないような形でしたし,先手の穴熊もほころびのある形でしたので,僕にはどちらがよいのかまったく分かりませんでしたが,検討陣の評判は,先手が有望であったようです。
夕食休憩を挟み,69手目の▲6四歩の取り込みが指されたところで後手が長考。僕の想像ですが,ここで羽生王座はある程度の目算を立てたのではないかと思います。指された手は攻め合いを目指す△1七歩成。ここから△2七歩成も利かせて,74手目に△4五角と金銀両取りをかけました。控え室の評判も,このあたりでは後手よしになっていて,あるいはここではもう後手の勝ち筋に入っているのかもしれません。
この後,馬を切って90手目に△3九銀。ここから先手が王手の連続で迫り,97手目に▲6八飛と王手で逃げられるのはドキッとする感じでもありますが,ここで△6七歩が最後の決め手。先手はさらに迫りましたが届かず,羽生王座の先勝となりました。投了以下,▲6三銀△5一玉▲6一馬から盤面の左側に逃げられてしまいます。
79手目の▲3三馬は,結果的にみると少し緩い手であったように感じられますので,65手目に▲2二角と打って,後手の端攻めの根元の香車を取りにいったのが先手としてはどうだったかという気がします。
XはYではないという命題が真の命題である場合でも,少なくとも,主語であるXと述語であるYに,数学の左辺と右辺にあるような意味での等価性がない場合には,XがYによって限定されるということがないということは,否定と限定の関係からすでに明らかになったといえると思います。したがってこれを一般的にいうなら,あらゆる限定が否定であるのだとしても,あらゆる否定が限定であるとはいえないということになります。
それどころかむしろ,この関係は,XはYではないという命題が真の命題であり,逆にYはXではないという偽の命題であるような場合には,Xをあるひとつの全体と考えた場合には,Yはその全体の一部を構成するという関係にあたりますから,むしろ命題においてはYによって否定されているXの方が,同様に命題においてはXによって否定されていないYを限定するという関係になっています。したがって,単にXはYではないという命題が真の命題であるというだけでは,XがYによって限定されるといえないばかりでなく,むしろそれが真の命題であるから,Xの方がYを限定する場合もあると考えなければならないことになります。
よって,無限は有限ではないという命題が真の命題であるというだけでは,無限に対する有限による否定が成立しているとはいえないということになります。そこで,否定文の命題が真の命題であるとき,どのような場合にそれが主語に対する述語による否定であるのかをもう少し検討してみなくてはなりません。
今日はなぜか快調に投稿できました。