旭川競馬場の開催が今年からなくなったことにより,門別競馬場に舞台が移り,距離も短縮された第21回ブリーダーズゴールドカップ(動画)。
先手を奪ったのはフリオーソ。スマートファルコンが2番手で,その後ろにアドマイヤスバルとトップサバトン。サカラート,アロンダイト,マイネルアワグラスといった勝負になりそうな馬が中団を占めました。
3コーナー過ぎにスマートファルコンが先頭に並び掛け,アドマイヤスバルも外からこれを追って3頭が雁行状態に。直線に入るとスマートファルコンが抜け出し,フリオーソはここで一杯。そのまま楽に抜け出したスマートファルコンが優勝し,2着にアドマイヤスバル。3着はアロンダイトがフリオーソを捕えました。
優勝したスマートファルコンは5月のさきたま杯以来の勝利で重賞8勝目。連勝こそ前走で止まりましたがこれで実に12戦連続連対。フリオーソは遠征競馬では結果を残せていない馬ではあるものの,これを撃破したのは,この馬のこれまでの対戦メンバーから考えれば大きいといえそうです。父はゴールドアリュール。
鞍上は岩田康誠騎手で,管理しているのは小崎憲調教師。共にこのレース初制覇です。
このときの僕の精神に生じていたことは,『エチカ』に定義されています。それが第三部諸感情の定義四。「驚異とはある事物の表象がきわめて特殊なものであってその他の表象と何の連結も有しないために,精神がその表象に縛られたままでいる状態である」。
この定義を読めば一目瞭然,これは第三部諸感情の定義の中に含まれているのですが,その実,感情ではなく,精神の一状態についての定義です。このことはこの定義の直後の説明で,スピノザ自身もいっていることです。ただ,デカルトは驚異を基本感情のひとつに数えていましたので,おそらくそれに対する反論の意味もいくぶんか込めて,スピノザはここに定義したものと思います。
それからここで驚異と訳されているラテン語はadmiratioです。定義されている内容からしてこの訳は適当であると思いますが,僕は驚異とはいわずにここではパニックといいました。また,僕がパニックという場合には,常にこの驚異を念頭に置いていると考えていただいて構いません。しかし,では驚異とはいわないかといえばそうでもなく,文脈にしっくりいくと僕が感じる方を選んで用います。つまりこのブログにおいてパニックと驚異は同じ意味を示すと思ってください。
さて,このとき僕にパニックを生じさせた表象は,血で真赤になった両手の表象です。だから僕はその手を洗うこと,救急車を呼んで病院に行くこと,傷口を押さえることなどには思い至ったのですが,財布を持つとか眼鏡を掛けるといった,パニックに陥っていなければまず忘れる筈のないようなことの方に表象像が連関していかなかったのでしょう。ただ,自分がこのようなパニックを起こすことがあるということをよく知ることができたという意味では,この経験は僕にとっては貴重なものではありました。
先手を奪ったのはフリオーソ。スマートファルコンが2番手で,その後ろにアドマイヤスバルとトップサバトン。サカラート,アロンダイト,マイネルアワグラスといった勝負になりそうな馬が中団を占めました。
3コーナー過ぎにスマートファルコンが先頭に並び掛け,アドマイヤスバルも外からこれを追って3頭が雁行状態に。直線に入るとスマートファルコンが抜け出し,フリオーソはここで一杯。そのまま楽に抜け出したスマートファルコンが優勝し,2着にアドマイヤスバル。3着はアロンダイトがフリオーソを捕えました。
優勝したスマートファルコンは5月のさきたま杯以来の勝利で重賞8勝目。連勝こそ前走で止まりましたがこれで実に12戦連続連対。フリオーソは遠征競馬では結果を残せていない馬ではあるものの,これを撃破したのは,この馬のこれまでの対戦メンバーから考えれば大きいといえそうです。父はゴールドアリュール。
鞍上は岩田康誠騎手で,管理しているのは小崎憲調教師。共にこのレース初制覇です。
このときの僕の精神に生じていたことは,『エチカ』に定義されています。それが第三部諸感情の定義四。「驚異とはある事物の表象がきわめて特殊なものであってその他の表象と何の連結も有しないために,精神がその表象に縛られたままでいる状態である」。
この定義を読めば一目瞭然,これは第三部諸感情の定義の中に含まれているのですが,その実,感情ではなく,精神の一状態についての定義です。このことはこの定義の直後の説明で,スピノザ自身もいっていることです。ただ,デカルトは驚異を基本感情のひとつに数えていましたので,おそらくそれに対する反論の意味もいくぶんか込めて,スピノザはここに定義したものと思います。
それからここで驚異と訳されているラテン語はadmiratioです。定義されている内容からしてこの訳は適当であると思いますが,僕は驚異とはいわずにここではパニックといいました。また,僕がパニックという場合には,常にこの驚異を念頭に置いていると考えていただいて構いません。しかし,では驚異とはいわないかといえばそうでもなく,文脈にしっくりいくと僕が感じる方を選んで用います。つまりこのブログにおいてパニックと驚異は同じ意味を示すと思ってください。
さて,このとき僕にパニックを生じさせた表象は,血で真赤になった両手の表象です。だから僕はその手を洗うこと,救急車を呼んで病院に行くこと,傷口を押さえることなどには思い至ったのですが,財布を持つとか眼鏡を掛けるといった,パニックに陥っていなければまず忘れる筈のないようなことの方に表象像が連関していかなかったのでしょう。ただ,自分がこのようなパニックを起こすことがあるということをよく知ることができたという意味では,この経験は僕にとっては貴重なものではありました。