シルバーウィークは各公営競技でビッグレースが行われていましたが,競輪は5日制のGⅠオールスターで,昨日が決勝でした。ラインは平原-武田-神山の関東,海老根に稲村,永井-村上の中部近畿,石丸-合志の西国。
スタートを取ったのは稲村で海老根が前受け。3番手に石丸,5番手に永井,7番手から平原で周回。残り2周のホームで平原の上昇に先んじて永井が動き海老根を叩くと,バックではさらにその上を平原が叩きました。外を上がった石丸が上手く4番手に入り打鐘。平原の抑え先行に。車間が開いた6番手が永井で海老根は圏外の8番手。バックにかけて永井が動いていきましたが,3コーナーでは武田に番手発進され万事休す。そのまま後ろをほとんど寄せつけずに武田が優勝。マークの神山が2着に残り,きわどく迫った石丸が3着。
優勝した茨城の武田豊樹選手は7月のサマーナイトフェスティバルに続くビッグ4勝目。GⅠは3月の日本選手権以来の2勝目。自力を出せる選手が無風で残り半周まで連れて行ってもらいましたので,ここは楽だったでしょう。今回はすべて番手戦で,決勝は願ってもない展開となりましたが,今後は競られてどうかというのがあるいは最大の課題となってくるのかもしれません。
病室に入ってすぐ右側,つまり僕の自室の隣の患者は,見た目には70台に見えるおじいさんでした。病気のためだと思われますが,ひどくやせこけていました。
この患者は完全に寝たきりでした。手だけは自分で動かせたようですが,寝返りを打つこともできませんでしたので,看護士に身体を動かしてもらっていました。そういうわけですから排泄はおむつ着用。食事は点滴でした。インスリンの注射をしている気配がありましたので,糖尿病であったと思われますが,おそらくほかの病気を併発していたものと想像します。
寝返りを打てなかったのですが,痰を排出することもできませんでしたので,吸引してもらっていました。ところがこの患者はどんなことをされても「痛いよー,勘弁してくれよー」と大きな声で叫びました。本当に痛かったのか,本人が痛いものと思い込んでいたのかは定かではありませんが,ただ看護士がやって来ただけで騒ぐこともありましたので,後者の理由も間違いなくあったと思います。
寝返りとか痰の吸引というのは,3時間に1度くらいは必要だったようで,消灯時間中にも構わず元気な大声を上げました。よってこの部屋に移ってすぐの頃は,そのたびに僕は目を覚ましていました。夜中の方が静かですから,余計に元気に感じられたというのはあるかもしれません。しかしそのうちにはこの患者が騒いでも眠っているようになったのですから人間の適応力というのもすごいものです。
たぶん,僕がこの病室に来る少し前,1日か2日前に来た患者であったと思われます。僕が退院するときにも,まだ入院していました。
スタートを取ったのは稲村で海老根が前受け。3番手に石丸,5番手に永井,7番手から平原で周回。残り2周のホームで平原の上昇に先んじて永井が動き海老根を叩くと,バックではさらにその上を平原が叩きました。外を上がった石丸が上手く4番手に入り打鐘。平原の抑え先行に。車間が開いた6番手が永井で海老根は圏外の8番手。バックにかけて永井が動いていきましたが,3コーナーでは武田に番手発進され万事休す。そのまま後ろをほとんど寄せつけずに武田が優勝。マークの神山が2着に残り,きわどく迫った石丸が3着。
優勝した茨城の武田豊樹選手は7月のサマーナイトフェスティバルに続くビッグ4勝目。GⅠは3月の日本選手権以来の2勝目。自力を出せる選手が無風で残り半周まで連れて行ってもらいましたので,ここは楽だったでしょう。今回はすべて番手戦で,決勝は願ってもない展開となりましたが,今後は競られてどうかというのがあるいは最大の課題となってくるのかもしれません。
病室に入ってすぐ右側,つまり僕の自室の隣の患者は,見た目には70台に見えるおじいさんでした。病気のためだと思われますが,ひどくやせこけていました。
この患者は完全に寝たきりでした。手だけは自分で動かせたようですが,寝返りを打つこともできませんでしたので,看護士に身体を動かしてもらっていました。そういうわけですから排泄はおむつ着用。食事は点滴でした。インスリンの注射をしている気配がありましたので,糖尿病であったと思われますが,おそらくほかの病気を併発していたものと想像します。
寝返りを打てなかったのですが,痰を排出することもできませんでしたので,吸引してもらっていました。ところがこの患者はどんなことをされても「痛いよー,勘弁してくれよー」と大きな声で叫びました。本当に痛かったのか,本人が痛いものと思い込んでいたのかは定かではありませんが,ただ看護士がやって来ただけで騒ぐこともありましたので,後者の理由も間違いなくあったと思います。
寝返りとか痰の吸引というのは,3時間に1度くらいは必要だったようで,消灯時間中にも構わず元気な大声を上げました。よってこの部屋に移ってすぐの頃は,そのたびに僕は目を覚ましていました。夜中の方が静かですから,余計に元気に感じられたというのはあるかもしれません。しかしそのうちにはこの患者が騒いでも眠っているようになったのですから人間の適応力というのもすごいものです。
たぶん,僕がこの病室に来る少し前,1日か2日前に来た患者であったと思われます。僕が退院するときにも,まだ入院していました。