木村一基八段が3連勝して王手を掛けた後,深浦康市王位が2つ踏みとどまって迎えた第50期王位戦七番勝負第六局。
木村八段が先手で相矢倉森下システム。先手の3筋交換で1歩を手に入れた後手が,玉を囲わずに端から先攻する将棋。端の突破は初日から確定的で,後手は馬を作って攻め合いを目指しました。
▲6二馬と銀を取ったのに対し,玉の逃げ道を作りつつ3一の角を9七に成ったところ。ここで先手は▲9八香と打ちました。△同馬なら▲5三歩成としようということでしょう。
後手はここで2時間22分という大長考。△8五桂▲6八玉△7九馬▲同金△9八飛成▲5七玉△5五香▲5六桂△同香▲同金△8七龍▲4八玉まで王手を続け,△7九成香(第2図)と金を取りました。
第1図から第2図まで,先手には変化の余地がなさそう。それならこの局面で反撃しなければ,第1図からの▲9八香の意味がありません。そこで▲5二銀△3一玉▲4三銀成△同金▲5三歩成(第3図)と進めました。
後手は第2図から第3図の過程で銀を入手したので△4九銀という手が発生。しかしこれには▲5九歩。実は並べていて,これが受けの決め手で先手が勝つのではないかと思っていました。状況は後手玉はほぼ受けのない2手すきなので,少なくとも詰めろをかけ続けなければいけないのですが,難しいように思えたのです。しかし次の△3八歩(第4図)は詰めろ。
ここで3七の銀を上がって逃げ道を作るのかと考えていたら,▲2五角と4七の地点を受けました。しかしこれには△7八龍と入られ,▲5八香△同銀成▲同歩で△3九銀。▲5七玉△8七龍▲6七銀と駒を使わされたところで詰めろで△2八銀不成(第5図)と飛車を取られてしまいました。
この局面は後手がいいと思います。つまり,第3図から第4図周辺の僕の判断が間違っていたのでしょう。この後,感動的な白熱の終盤戦が続きましたが,その部分は僕にはどうこういう棋力も筆力もありません。しかし必ず並べてみてください。最後は華麗な長手順の即詰みに討ち取った後手が勝っています。
とうとう深浦王位がタイに追いつきました。第七局は29日と30日です。
前にも説明しましたが,病院は朝の6時になると看護士が部屋のカーテンを開けました。一方,消灯は夜の10時でした。したがってこの10時から6時の間はテレビを見ることができません。僕の少ないテレビ視聴時間は,その大半が午後11時以降の深夜というか夜遅くでしたので,普段見ていたような番組に関しては,入院中は見られなかったということになります。また,このパソコンで見られたのは,地上波とNHKのBS,カラオケ番組とお天気番組,放送大学と通販番組が2つだけでしたから,視聴時間の多かった囲碁将棋チャンネルも見られませんでした。僕は銀河戦に関しては極力見るようにしていますが,この間は一切見られなかったことになります。
母にテレビ視聴用のカードを買ってもらったのが2日。見舞い時間は普段は午後3時からでしたが,この年始の時期は,土日のように午後1時からの見舞いが許されていました。母が何時に来たのかは覚えていませんが,いずれにしても僕がテレビを見られるようになったのはこの日の午後ということになります。正月ですから,どんなのがあったのかはまるで覚えていないのですが,特別番組が多かった筈です。
で,僕が見た番組はその大半がニュースか歌番組でした。僕は普段からテレビをかけているときはチャンネルをくるくる変えることが多く,それは病院でも同様でしたが,あまり面白いと思えるような番組がありませんでしたので,どうしてもこのふたつに落ち着いてしまったのです。テレビを見始めた2日の夜は,NHKBSで,僕が産まれた頃の歌の特集番組をやっていまして,岡林信康さんが出演されていました。まさか山谷ブルースやチューリップのアップリケを病院で聴くことになるとは思いもよりませんでした。一方,ニュースに関していえば,この頃の僕が最も気にかけていたのは,イスラエル軍によるガザ地区への侵略と空爆でした。
木村八段が先手で相矢倉森下システム。先手の3筋交換で1歩を手に入れた後手が,玉を囲わずに端から先攻する将棋。端の突破は初日から確定的で,後手は馬を作って攻め合いを目指しました。
▲6二馬と銀を取ったのに対し,玉の逃げ道を作りつつ3一の角を9七に成ったところ。ここで先手は▲9八香と打ちました。△同馬なら▲5三歩成としようということでしょう。
後手はここで2時間22分という大長考。△8五桂▲6八玉△7九馬▲同金△9八飛成▲5七玉△5五香▲5六桂△同香▲同金△8七龍▲4八玉まで王手を続け,△7九成香(第2図)と金を取りました。
第1図から第2図まで,先手には変化の余地がなさそう。それならこの局面で反撃しなければ,第1図からの▲9八香の意味がありません。そこで▲5二銀△3一玉▲4三銀成△同金▲5三歩成(第3図)と進めました。
後手は第2図から第3図の過程で銀を入手したので△4九銀という手が発生。しかしこれには▲5九歩。実は並べていて,これが受けの決め手で先手が勝つのではないかと思っていました。状況は後手玉はほぼ受けのない2手すきなので,少なくとも詰めろをかけ続けなければいけないのですが,難しいように思えたのです。しかし次の△3八歩(第4図)は詰めろ。
ここで3七の銀を上がって逃げ道を作るのかと考えていたら,▲2五角と4七の地点を受けました。しかしこれには△7八龍と入られ,▲5八香△同銀成▲同歩で△3九銀。▲5七玉△8七龍▲6七銀と駒を使わされたところで詰めろで△2八銀不成(第5図)と飛車を取られてしまいました。
この局面は後手がいいと思います。つまり,第3図から第4図周辺の僕の判断が間違っていたのでしょう。この後,感動的な白熱の終盤戦が続きましたが,その部分は僕にはどうこういう棋力も筆力もありません。しかし必ず並べてみてください。最後は華麗な長手順の即詰みに討ち取った後手が勝っています。
とうとう深浦王位がタイに追いつきました。第七局は29日と30日です。
前にも説明しましたが,病院は朝の6時になると看護士が部屋のカーテンを開けました。一方,消灯は夜の10時でした。したがってこの10時から6時の間はテレビを見ることができません。僕の少ないテレビ視聴時間は,その大半が午後11時以降の深夜というか夜遅くでしたので,普段見ていたような番組に関しては,入院中は見られなかったということになります。また,このパソコンで見られたのは,地上波とNHKのBS,カラオケ番組とお天気番組,放送大学と通販番組が2つだけでしたから,視聴時間の多かった囲碁将棋チャンネルも見られませんでした。僕は銀河戦に関しては極力見るようにしていますが,この間は一切見られなかったことになります。
母にテレビ視聴用のカードを買ってもらったのが2日。見舞い時間は普段は午後3時からでしたが,この年始の時期は,土日のように午後1時からの見舞いが許されていました。母が何時に来たのかは覚えていませんが,いずれにしても僕がテレビを見られるようになったのはこの日の午後ということになります。正月ですから,どんなのがあったのかはまるで覚えていないのですが,特別番組が多かった筈です。
で,僕が見た番組はその大半がニュースか歌番組でした。僕は普段からテレビをかけているときはチャンネルをくるくる変えることが多く,それは病院でも同様でしたが,あまり面白いと思えるような番組がありませんでしたので,どうしてもこのふたつに落ち着いてしまったのです。テレビを見始めた2日の夜は,NHKBSで,僕が産まれた頃の歌の特集番組をやっていまして,岡林信康さんが出演されていました。まさか山谷ブルースやチューリップのアップリケを病院で聴くことになるとは思いもよりませんでした。一方,ニュースに関していえば,この頃の僕が最も気にかけていたのは,イスラエル軍によるガザ地区への侵略と空爆でした。