大井競馬は今週からトゥインクル競馬が開幕。今夜は南関東三冠レースの前哨戦,京浜盃でした。
逃げたい馬が揃っていましたがダッシュが抜群だったのがジーエスライカーで,難なく先手を奪いました。対照的にかなり押していったナンテカが何とか2番手で3番手にショウリュウ。ピッチよく逃げてペース自体は速かったです。
ジーエスライカーについていった組は苦しくなり,好位にいたミラクルエースが2番手に上がって直線。その後ろに上がってきていたシーズザゴールドと内を突いたクリノテンぺスタが前を追いましたが,ジーエスライカーを捕まえるところまではいかず,逃げ切ったジーエスライカーが優勝。シーズザゴールドが2着でクリノテンぺスタが3着。
優勝したジーエスライカーはここまで5戦して2勝,2着2回。前走の雲取賞で負けていて,一線級とは差があるのかとも思いましたが,当時はオーバーペースだったようです。すべてのレースで逃げていて,先手を奪えなかった場合にどうかということはありますが,自分のレースができるなら,本番でも十分にチャンスがありそうです。父はサウスヴィグラス。
鞍上は大井の戸崎圭太騎手で東京スプリング盃に続き今月2度目の南関東重賞制覇。京浜盃は昨年に続く連覇で2勝目。管理している栗田裕光調教師は京浜盃初優勝となりました。
ここではさらにこのように定義した排尿という人間の身体の運動に関して,さらにふたつの種類に分類します。というか,これはここでの考察との関係から,分類する必要があるのです。そこで,どのように排尿を分類するのかということを改めて説明する前に,なぜそのように分節しなければならないのかということを説明しておきます。
現在の考察は人間の知性と人間の意志との関係に焦点を置いています。ところで,知性というのは個々の観念の総体のことですが,第二部定義三から分かりますように,これは思惟の様態です。同じことは第二部公理三からも理解できます。同様に,意志というのは個々の意志作用の総体であるわけですが,これもまた,たとえば第二部定理四八から分かりますように思惟の様態です。もっともこれらのことについては,とくに『エチカ』に訴えるような手続きを経ずとも,それ自体で明らかであるといっていいかもしれません。いずれにせよ,知性も意志も思惟の様態としてあるわけです。
ところが,排尿というのは人間の身体のある運動,すなわち延長の属性に属する現象なので,それを用いて思惟の様態について説明することができません。これは第三部定理二から具体的に明らかだといえますし,一般的にも,第二部定理五と第二部定理六から不可能であるということになります。よって,排尿を例材として人間の知性と意志との関係について考察するためには,排尿という運動を,客観的な,すなわち思惟の属性に関連するような観点から考えなければならないということになるのです。
これが排尿という運動をさらに分節する理由となります。よって上述の規定を順守するために,ここでは人間の身体がなす運動としての排尿を,思惟の属性に属するもの,つまりこの排尿をなす人間の精神の状態と関連させて分節するということになります。
逃げたい馬が揃っていましたがダッシュが抜群だったのがジーエスライカーで,難なく先手を奪いました。対照的にかなり押していったナンテカが何とか2番手で3番手にショウリュウ。ピッチよく逃げてペース自体は速かったです。
ジーエスライカーについていった組は苦しくなり,好位にいたミラクルエースが2番手に上がって直線。その後ろに上がってきていたシーズザゴールドと内を突いたクリノテンぺスタが前を追いましたが,ジーエスライカーを捕まえるところまではいかず,逃げ切ったジーエスライカーが優勝。シーズザゴールドが2着でクリノテンぺスタが3着。
優勝したジーエスライカーはここまで5戦して2勝,2着2回。前走の雲取賞で負けていて,一線級とは差があるのかとも思いましたが,当時はオーバーペースだったようです。すべてのレースで逃げていて,先手を奪えなかった場合にどうかということはありますが,自分のレースができるなら,本番でも十分にチャンスがありそうです。父はサウスヴィグラス。
鞍上は大井の戸崎圭太騎手で東京スプリング盃に続き今月2度目の南関東重賞制覇。京浜盃は昨年に続く連覇で2勝目。管理している栗田裕光調教師は京浜盃初優勝となりました。
ここではさらにこのように定義した排尿という人間の身体の運動に関して,さらにふたつの種類に分類します。というか,これはここでの考察との関係から,分類する必要があるのです。そこで,どのように排尿を分類するのかということを改めて説明する前に,なぜそのように分節しなければならないのかということを説明しておきます。
現在の考察は人間の知性と人間の意志との関係に焦点を置いています。ところで,知性というのは個々の観念の総体のことですが,第二部定義三から分かりますように,これは思惟の様態です。同じことは第二部公理三からも理解できます。同様に,意志というのは個々の意志作用の総体であるわけですが,これもまた,たとえば第二部定理四八から分かりますように思惟の様態です。もっともこれらのことについては,とくに『エチカ』に訴えるような手続きを経ずとも,それ自体で明らかであるといっていいかもしれません。いずれにせよ,知性も意志も思惟の様態としてあるわけです。
ところが,排尿というのは人間の身体のある運動,すなわち延長の属性に属する現象なので,それを用いて思惟の様態について説明することができません。これは第三部定理二から具体的に明らかだといえますし,一般的にも,第二部定理五と第二部定理六から不可能であるということになります。よって,排尿を例材として人間の知性と意志との関係について考察するためには,排尿という運動を,客観的な,すなわち思惟の属性に関連するような観点から考えなければならないということになるのです。
これが排尿という運動をさらに分節する理由となります。よって上述の規定を順守するために,ここでは人間の身体がなす運動としての排尿を,思惟の属性に属するもの,つまりこの排尿をなす人間の精神の状態と関連させて分節するということになります。