今年のS級S班18人のうち,ベストナインには入れなかった9選手によって争われた29日のSSカップみのり。並びは新田-佐藤-成田の北日本,加藤-山口の岐阜,坂本-大塚の九州に兵藤で,神山は競りを含めて自在。
前受けは新田。この番手で神山が競り,加藤が中団,坂本が後方で周回。残り3周から坂本が上昇すると新田は引きました。打鐘を過ぎると加藤が外を上がって大塚と競り。これは大塚が守りましたが3番手に山口。バックから新田が捲っていくとだれも止められず,捲りきった福島3人による直線勝負に。それほど詰め寄られることなく新田が優勝。大外を成田が2着に届き,佐藤は3着。
優勝した福島の新田祐大選手はこれまではFⅠの優勝しかなく,グレードレースはこれが初優勝。ただベスト18に入るくらいですから,むしろ記念競輪で勝っていなかった方が不思議だといえるでしょう。平行的に自転車競技にも参戦している選手。ニ足のわらじというのはなかなか大変なことだと思いますが,今年はどこかで記念競輪も勝つのではないかと思いますし,ビッグを勝ってもおかしくないだろうと思います。まだこれから強くなっていくでしょうから,今年が飛躍の1年となるかもしれません。新田選手には競技もプラスに作用するような気がします。
横浜駅から磯子中央病院に行くのであれば,本当はJRの根岸線に乗り,磯子駅か根岸駅まで行ってからバスに乗り換えるのがベストの選択で,最も短時間で着くことが可能です。このとき,そうはせずに横浜駅からバスに乗ったのは,妹を連れていたから。まず,妹を連れて電車に乗るというのが僕自身にとって面倒に思われましたし,すぐにバスに乗れば,もう乗り換えることなく磯子中央病院まで行かれますから,僕にとっても少し楽でしたし,妹の負担の軽減にもなります。また,バスは横浜駅が始発ですので,必ず座って行かれるということもありました。すでに神奈川大学への,また神奈川大学からの移動で,妹もある程度の体力を使っていましたし,現に疲れた様子をみせていましたから,あえて最善手ではなく次善手の方を選択したのです。
バスはかなり遠回りをします。もう冬至も近付いている時期ということもあり,バスに乗っている間に日は沈み,暗くなりました。磯子中央病院に着いたのは,5時半近くになっていたのではないかと思います。ほどなくして母の夕食も運ばれてきましたから,見舞いは早々に切り上げ,またバスで家に向いました。この時間では夕食の準備をするという気にもなれませんでしたので,下りたバス停の近くのコンビニエンスストアで弁当を買って,それを夕食としました。家に着いたのは6時過ぎ。ただ,この日は朝のうちに洗濯をしていましたので,それを取りこんだりなどする時間もあり,僕は午後7時半ごろ,普段よりは遅めの夕食となりました。弁当でしたから,妹は先に食べ終えています。
母の異変の後,最も大変であった日,あるいは最も長く感じられた1日はどの日であったかといえば,僕はこの日だったと思っています。こども医療センターの遺伝科に連れて行った日も大変ではありました。ただ,こども医療センターも神奈川大学も,妹を連れていくには同じように不便な場所にはありましたが,こども医療センターはバスは病院の目の前まで行ってくれます。純粋に移動した時間だけを考慮するなら,同じくらいか,もしかしたらこども医療センターの方が長かったくらいかもしれません。しかし,歩いての移動というのはこの日の方がずっと長く,その点でこちらの方が大変だと感じたのです。また,母の見舞いを先にすませておいたか,後にせざるを得なかったのかという違いもありました。
前受けは新田。この番手で神山が競り,加藤が中団,坂本が後方で周回。残り3周から坂本が上昇すると新田は引きました。打鐘を過ぎると加藤が外を上がって大塚と競り。これは大塚が守りましたが3番手に山口。バックから新田が捲っていくとだれも止められず,捲りきった福島3人による直線勝負に。それほど詰め寄られることなく新田が優勝。大外を成田が2着に届き,佐藤は3着。
優勝した福島の新田祐大選手はこれまではFⅠの優勝しかなく,グレードレースはこれが初優勝。ただベスト18に入るくらいですから,むしろ記念競輪で勝っていなかった方が不思議だといえるでしょう。平行的に自転車競技にも参戦している選手。ニ足のわらじというのはなかなか大変なことだと思いますが,今年はどこかで記念競輪も勝つのではないかと思いますし,ビッグを勝ってもおかしくないだろうと思います。まだこれから強くなっていくでしょうから,今年が飛躍の1年となるかもしれません。新田選手には競技もプラスに作用するような気がします。
横浜駅から磯子中央病院に行くのであれば,本当はJRの根岸線に乗り,磯子駅か根岸駅まで行ってからバスに乗り換えるのがベストの選択で,最も短時間で着くことが可能です。このとき,そうはせずに横浜駅からバスに乗ったのは,妹を連れていたから。まず,妹を連れて電車に乗るというのが僕自身にとって面倒に思われましたし,すぐにバスに乗れば,もう乗り換えることなく磯子中央病院まで行かれますから,僕にとっても少し楽でしたし,妹の負担の軽減にもなります。また,バスは横浜駅が始発ですので,必ず座って行かれるということもありました。すでに神奈川大学への,また神奈川大学からの移動で,妹もある程度の体力を使っていましたし,現に疲れた様子をみせていましたから,あえて最善手ではなく次善手の方を選択したのです。
バスはかなり遠回りをします。もう冬至も近付いている時期ということもあり,バスに乗っている間に日は沈み,暗くなりました。磯子中央病院に着いたのは,5時半近くになっていたのではないかと思います。ほどなくして母の夕食も運ばれてきましたから,見舞いは早々に切り上げ,またバスで家に向いました。この時間では夕食の準備をするという気にもなれませんでしたので,下りたバス停の近くのコンビニエンスストアで弁当を買って,それを夕食としました。家に着いたのは6時過ぎ。ただ,この日は朝のうちに洗濯をしていましたので,それを取りこんだりなどする時間もあり,僕は午後7時半ごろ,普段よりは遅めの夕食となりました。弁当でしたから,妹は先に食べ終えています。
母の異変の後,最も大変であった日,あるいは最も長く感じられた1日はどの日であったかといえば,僕はこの日だったと思っています。こども医療センターの遺伝科に連れて行った日も大変ではありました。ただ,こども医療センターも神奈川大学も,妹を連れていくには同じように不便な場所にはありましたが,こども医療センターはバスは病院の目の前まで行ってくれます。純粋に移動した時間だけを考慮するなら,同じくらいか,もしかしたらこども医療センターの方が長かったくらいかもしれません。しかし,歩いての移動というのはこの日の方がずっと長く,その点でこちらの方が大変だと感じたのです。また,母の見舞いを先にすませておいたか,後にせざるを得なかったのかという違いもありました。