スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

立川記念&平和主義者

2011-01-07 19:13:38 | 競輪
 暮れのグランプリシリーズの余韻も残る中,新年最初の記念競輪も立川記念で今日が決勝。並びは渡辺-菊地の北日本,牛山-佐久間の関東,栗田-萩原の静岡,深谷-山口の中部に坂本。
 内枠有利に渡辺がSを取っての前受け。3番手が栗田,5番手に牛山,7番手に深谷で周回。残り2周のホーム,深谷の上昇に合わせて牛山も上がり,バックで渡辺を叩いて先頭。打鐘で深谷も巻き返していき,牛山は番手で粘ろうとするも山口が守り,引いた牛山が4番手,栗田が6番手,渡辺が8番手。深谷の掛かりがよく,このまま一列棒状でバック。残り半周からは番手の山口さえついていかれなくなり,独走となった深谷の優勝。捲り追い込んだ栗田が絶妙のハンドル投げで2着,山口の後ろから追い込んだ坂本が3着。
 優勝した愛知の深谷知広選手はヤンググランプリに続く優勝で記念競輪初制覇。暮れ,新年と立川は思い出の地になったことでしょう。逃げて後ろを引き離すというのは,A級ではたまに見られますが,記念競輪の決勝ともなるとそうもあることではなく圧巻。もうすでにトップと同等以上の力を持っていると考えていいでしょう。おそらく競輪史にその名を残す選手になると思われ,僕たちはその歴史の始まりを目撃しているということなのではないでしょうか。
                         

 妹のマイペースの要因として,次のようなことがあるのではないかと僕は考えるようになったのです。
 これは妹に固有のことではなく,もっと一般的にいえることのようですが,ダウン症の人間というのは基本的に平和主義的なところがあり,争い事というのをあまり好みません。これは妹の場合にも確かに当て嵌まっているように感じられます。そもそも,マイペースというのは,別のことばで表現するなら,おっとりしているといえなくもないわけで,そういう人間が他と争うことを忌避するということは,何となくであれ理解してもらえるのではないかと思います。
 ただ,このこと自体は,僕は前々から感じ取ってはいました。しかし,母の異変が生じて以降,妹と向き合う時間というものがそれまでよりも格段に増加していくうちに,僕は別の考え方をするようになってきたのです。それは,妹は単に個人的な性向として争い事を好まないというよりも,そもそも,争うということ自体の本質を理解していないのではないだろうかという考えでした。
 たとえば,運動会というのを例にしてみます。妹も小学校,中学校,養護学校と通いましたし,また養護学校の卒業後も,所属している施設では運動会が開催されていました。したがって,運動会に参加した回数というのはそれこそ数え切れないほどあるわけです。そして運動会というものは最終的に勝負をつけるものですから,妹が所属しているチームが勝ったこともあれば負けたこともあります。そして勝てば嬉しいと言いますし,負ければ悔しいと答えはします。答えはするのですが,それは実際に妹のうちに勝利の喜びや敗北の悲しみが生じたというより,単に勝ったときは嬉しいと言い,負けたときには悔しいというものであるということだけを知っていて,それをただ実践していただけにすぎないのではないだろうかと今にしてみれば思えるのです。
 第三部諸感情の定義二と三により,喜びや悲しみというのは個人の完全性ないしは実在性移行を意味します。しかし,もしも争うということの本質が何であるかということを知らないならば,勝利や敗北によっては完全性の移行のしようがありません。争うということを知らない平和主義者である妹は,勝利の喜びも敗北の悲しみも,実際には知らないのではないかと今の僕には思えるのです。
コメント
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