58キロのラヴェリータに53キロのアイアムアクトレスが挑むという図式になった第15回スパーキングレディーカップ。
まず内からスズリスペクトが先頭に。トーホウドルチェも好発でしたが外だったので2番手に控えました。発馬はこの2頭ほどではなかったラヴェリータですが,この2頭の外をあまりスピードを緩めずに上昇し,1コーナーに入るところで先頭に立ち,レースを引っ張りました。スズリスペクト,トーホウドルチェと続き,アイアムアクトレスは4番手。前半の800mは49秒9ですからスローペース。
能力ではっきりと劣るスズリスペクトは向正面で後退。トーホウドルチェが2番手に上がりましたが,3コーナーを回ってからむしろ逃げたラヴェリータの方が差を広げ始め,結果的に6馬身もの差をつける圧勝。トーホウドルチェも2着は危なげなく確保。アイアムアクトレスは意外と動けず3着まで。
優勝したラヴェリータは3月のエンプレス杯以来の重賞7勝目。このレースは一昨年,昨年と勝っていますので同一重賞3連覇の偉業。この馬は牡馬を相手にしても対等に戦える馬で,58キロでもその貫録を見せつけた形。川崎は最も得意とするコースですし,夜の競馬の経験も豊富だったということも大きかったろうと思います。La Veritaはイタリア語で真実。
騎乗した武豊騎手は2007年以来の3勝目。管理している松元茂樹調教師は3連覇で3勝目。
この日の遺伝科の予約時間は午後3時。僕は自分自身の経験から,それなら母と妹が帰宅するのは午後6時前後になるだろうと想定していたのですが,それより1時間も早い午後5時頃には帰ってきたので驚きました。こども医療センターで時間が掛かるのは,診察が始まるまでの待ち時間と,精算のための待ち時間なのですが,どうもこの日は病院に到着するなり診察してもらえたようなのです。母も自動車の運転以外はほぼ入院前の日常を取り戻している状況ですが,過度の負担がかからずにすんだのは幸いでした。
翌週の火曜日,5月24日は母の磯子中央病院の内科の通院でした。4月の検査のときは数値が良化していたものの,ASTもALTも正常値とされる範囲はオーバーしていたのですが,この日はさらに良化し,ついに正常値の範囲内に治まるようになりました。降圧剤を変えてからだいぶ日も経っていて,その効果がここにきてはっきりと表れるようになったということなのだろうと思います。一方,前回はこちらも異常な値を示していたALPの方は,やはり良化こそしていたもののこの日も正常とされる値を上回っていました。ただどうも主治医はこちらの方に関してはあまり問題視していないようで,このために,肝機能の数値に異常が出始めてから1ヶ月に1度という割合で設定されていた通院の間隔が,次回は2ヶ月後に延びることとなりました。これはそれだけよくなってきたということの証だと考えてよいのだろうと思います。
月が明けて6月2日。この日は母の脳外科の方の通院でした。内科の場合は午後ですが,脳外科は午前中。また,母の脳外科の通院は主治医の関係から必ず木曜に設定されていて,これは妹の送りのサービスがない日ですので,これに支障が出ることになります。ただ,この日は妹がちょうど宿泊中でしたので,問題ありませんでした。
妹の支援のうち宿泊のサービスは,母の入院中は基本的に月に2回,1泊という形で利用していましたが,退院してからは月に1回,ただし2泊という形に変えました。宿泊のサービスがある場合は事前に着替えなどの用意が必要で,その負担を減らすということを主目的にした変更です。もっとも,この日の宿泊は,実際にはこのショートステイの利用ではありませんでした。
まず内からスズリスペクトが先頭に。トーホウドルチェも好発でしたが外だったので2番手に控えました。発馬はこの2頭ほどではなかったラヴェリータですが,この2頭の外をあまりスピードを緩めずに上昇し,1コーナーに入るところで先頭に立ち,レースを引っ張りました。スズリスペクト,トーホウドルチェと続き,アイアムアクトレスは4番手。前半の800mは49秒9ですからスローペース。
能力ではっきりと劣るスズリスペクトは向正面で後退。トーホウドルチェが2番手に上がりましたが,3コーナーを回ってからむしろ逃げたラヴェリータの方が差を広げ始め,結果的に6馬身もの差をつける圧勝。トーホウドルチェも2着は危なげなく確保。アイアムアクトレスは意外と動けず3着まで。
優勝したラヴェリータは3月のエンプレス杯以来の重賞7勝目。このレースは一昨年,昨年と勝っていますので同一重賞3連覇の偉業。この馬は牡馬を相手にしても対等に戦える馬で,58キロでもその貫録を見せつけた形。川崎は最も得意とするコースですし,夜の競馬の経験も豊富だったということも大きかったろうと思います。La Veritaはイタリア語で真実。
騎乗した武豊騎手は2007年以来の3勝目。管理している松元茂樹調教師は3連覇で3勝目。
この日の遺伝科の予約時間は午後3時。僕は自分自身の経験から,それなら母と妹が帰宅するのは午後6時前後になるだろうと想定していたのですが,それより1時間も早い午後5時頃には帰ってきたので驚きました。こども医療センターで時間が掛かるのは,診察が始まるまでの待ち時間と,精算のための待ち時間なのですが,どうもこの日は病院に到着するなり診察してもらえたようなのです。母も自動車の運転以外はほぼ入院前の日常を取り戻している状況ですが,過度の負担がかからずにすんだのは幸いでした。
翌週の火曜日,5月24日は母の磯子中央病院の内科の通院でした。4月の検査のときは数値が良化していたものの,ASTもALTも正常値とされる範囲はオーバーしていたのですが,この日はさらに良化し,ついに正常値の範囲内に治まるようになりました。降圧剤を変えてからだいぶ日も経っていて,その効果がここにきてはっきりと表れるようになったということなのだろうと思います。一方,前回はこちらも異常な値を示していたALPの方は,やはり良化こそしていたもののこの日も正常とされる値を上回っていました。ただどうも主治医はこちらの方に関してはあまり問題視していないようで,このために,肝機能の数値に異常が出始めてから1ヶ月に1度という割合で設定されていた通院の間隔が,次回は2ヶ月後に延びることとなりました。これはそれだけよくなってきたということの証だと考えてよいのだろうと思います。
月が明けて6月2日。この日は母の脳外科の方の通院でした。内科の場合は午後ですが,脳外科は午前中。また,母の脳外科の通院は主治医の関係から必ず木曜に設定されていて,これは妹の送りのサービスがない日ですので,これに支障が出ることになります。ただ,この日は妹がちょうど宿泊中でしたので,問題ありませんでした。
妹の支援のうち宿泊のサービスは,母の入院中は基本的に月に2回,1泊という形で利用していましたが,退院してからは月に1回,ただし2泊という形に変えました。宿泊のサービスがある場合は事前に着替えなどの用意が必要で,その負担を減らすということを主目的にした変更です。もっとも,この日の宿泊は,実際にはこのショートステイの利用ではありませんでした。