スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スプリント&真理の規範

2017-04-19 20:39:44 | 地方競馬
 第28回東京スプリント
 レアヴェントゥーレが伸び上がるような発馬で立ち遅れました。まず先頭に立ったのはダノングッドでしたが外からキタサンサジンが抜き去っていきキタサンサジンの逃げに。控えたダノングッドが2番手,サトノタイガーが3番手,ゴーディーが4番手に。この後ろにドリームバレンチノ,レーザーバレットと巻き返していったレアヴェントゥーレの3頭。ブライトラインとカリスマサンスカイが後方2番手で最後尾にメジャーアスリートという隊列に。前半の600mは35秒4のハイペース。
 3コーナーを回るとゴーディーがダノングッドの外に並んで2番手は2頭で併走。サトノタイガーの外までレアヴェントゥーレが上昇し,レーザーバレット,ブライトライン。ドリームバレンチノは内に。直線に入って先行勢を振り切り粘り込もうとするキタサンサジンに大外からブライトラインが詰め寄ったものの僅かに届かず,逃げ切ったキタサンサジンの優勝。アタマ差の2着にブライトライン。直線でダノングッドとゴーディーの間に進路を取ったレーザーバレットがダノングッドを捕えて1馬身4分の1差で3着。ダノングッドがアタマ差の4着。
 優勝したキタサンサジンはここが重賞初挑戦での勝利。3歳の1月にデビューした馬ですが,当初からよいスピードをみせていました。惜敗が多いためになかなかクラスを上げられませんでしたが,今年の1月に準オープンを突破。オープンは2戦して5着,3着と,メンバー次第で勝てそうなところまできていました。これまでの戦績からも連戦連勝というのは難しいかもしれませんが,大きく崩れるようなことも少ないだろうと思います。ただ,このレースは勝ち時計が遅いという印象は残ります。父はサウスヴィグラス。母の半弟に2001年のニュージーランドトロフィーを勝ったキタサンチャンネル,同じく半妹に2001年のファンタジーステークスを勝ったキタサンヒボタン
 騎乗した内田博幸騎手は南関東重賞として別名で行われていた第13回と重賞昇格後の第20回を制していて8年ぶりの東京スプリント3勝目。管理している梅田智之調教師は東京スプリント初勝利。

 スピノザの哲学における真理の規範は,まとめてみれば以下のようになりそうです。
 まず,現実的に存在する個物res singularisの観念ideaの原因causaは第二部定理九によりそれとは別の現実的に存在する個物の観念です。したがって第一部公理四により,現実的に存在する個物Aの真理性は,その個物の原因である個物Bになくてはなりません。他面からいえば,個物Aの観念の対象ideatumとして知性intellectusの外に形相的にformaliterあるAは,Aの観念が真理veritasであることを何も保証しません。このことがどんな個物の観念にも適用できるので,第一部公理六で示されている観念の外的特徴denominatio extrinsecaには観念の真理性を保証する要素な何もなく,その要素は第二部定義四に示されている観念の内的特徴denominations intrinsecasの方にあるということになります。
                                     
 しかし,個物Aの観念が現実的に存在するある人間の知性のうちにあるというとき,この観念がAについての真理性を保証することをこの人間が知り得るのは,この個物Aの観念の観念idea ideaeもこの人間の知性のうちに存在していて,なおかつ個物Aの観念と個物Aの観念の観念が同一個体であるということを知るからです。いい換えれば,個物Aの観念の観念が個物Aの十全な観念idea adaequataの真の観念idea veraであるということを知ることができるからです。むしろ個物Aの観念の観念が十全adaequatumであるということを知ることができるのは,個物Aの観念の観念の観念があるからだといわなければならず,こうした関係が無限に連鎖していくことになるでしょう。スピノザはあることを知っていればそれを知っていることを知ることができ,さらにそのことを知ることができるというように無限に進むsic in infinitumという主旨のいい方をしていますが,それはこれと同じことといえるでしょう。しかしそれを無限に連鎖させずとも,真理は真理の規範となり得るのであり,この場合にはある十全な観念の観念が,十全な観念の十全な観念であるということより,十全な観念の真の観念であるということを重視するべきだと僕は考えます。
 ただ,観念も観念の観念も,同じ人間の精神mens humanaのうちにある点では同じです。したがって人間にとっての真理の規範は精神のうちにのみあり,精神の外にあるもののうちにはないということになります。
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