グレート・小鹿も全日本プロレス時代のことについて天龍源一郎およびザ・グレート・カブキとの会談に応じています。谷津の雑感とは異なり,僕のプロレスキャリアが始まる前のことが大部分ですが,興味深いことも含まれていますので,また何回かに分けて紹介していきましょう。ただし,この3人は3人とも全日本プロレスを退団し,他団体で仕事をしていますから,その部分でのバイアスは必要かもしれません。
小鹿は大熊元司とは異なり,全日本プロレスが旗揚げしたときのメンバーではありません。日本プロレスの崩壊後に全日本プロレスに所属する形になったのですが,旗揚げメンバーと合流メンバーの間には溝があったといっています。このことはカブキも肯定していますし,所属でいえば生え抜きに該当する天龍も,そういう雰囲気は感じていたといっていますから,これは事実でしょう。
天龍によれば,合流メンバーは,日本テレビにいわれて助っ人として全日本プロレスを支えているという矜持があるように思えたそうです。一方,馬場は崩壊した団体のメンバーを押し付けられたように感じていたように思えたそう。馬場が団体をファミリーとして考えていたのはおそらくこの時代にも同様であったと思われますから,最初から馬場を信頼してついてきた選手と後に合流したメンバーとに対する感情は異なっていたかもしれません。ある意味,合流メンバーはよそ者であり,合流メンバーからすればそのファミリーに対して高い敷居があるというような感覚があったのではないかと想像します。
小鹿によれば,馬場には入団してほしくない選手がふたりいたようです。ひとりが松岡巌鉄でもうひとりが上田馬之助。小鹿は馬場からそんなに多くの選手は必要ないので連れてくるなと言われたと証言しています。小鹿はそういうわけにはいかないと答えたとしていますが,実際にはこの2選手は入団しませんでした。ただ,合流に際して小鹿にどの程度の権限があったのかは分かりません。最終的に日本テレビと馬場が話し合って,馬場の意向を汲んだ上での決定だったのではないかと僕には思えます。
このような仮定は無意味というほかありませんが,もしスピノザが方法論的懐疑を行った場合には次のような結論になります。
すべてを疑っていること,あるいは疑おうとしている思惟の様態cogitandi modiが存在するということは確実です。しかし,だから我が存在するということにはなりません。むしろこの場合の我というのは,疑っている思惟の様態の主体として仮定されているものです。いい換えれば,思惟作用の結果として認識される存在です。我が原因となって疑っているという結果が生じてくるなら,その疑いが確実なものであるならば我が存在するということもまた確実でしょう。ですが実際の因果関係は逆なのであり,疑うという思惟作用が存在するからこそ我という存在も認識されるのです。我があるから疑いが存在するのではありません。むしろ疑いがあるから我が存在しているということになるのです。

実際にはデカルトによる方法論的懐疑も,このような方向で解することが可能ではあります。というのは,デカルトはすべてを疑ったのですから,我が存在するということも疑ってかかったのです。少なくとも身体的存在に関していえば,デカルト自身がそういう主旨の疑いを示しています。しかし疑っている精神mensが存在するということは疑い得なかったので,そういう精神が存在するという観点から「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」とデカルトは主張するに至ったのだと解すれば,デカルトは疑うということによって我の存在,我の精神の存在を確実であると認識するに至ったのだということになり,もしデカルトが何をも疑わなかったとしたら,我の精神が存在することも確実視できなかったであろうといえるからです。しかし一方で,デカルトは確かに我の精神が存在するということは確実視したのであり,それは疑っているのは我の精神であるということについて与件的な前提があったからだというほかありません。このような意味で我の精神が存在するということが確実であるということは,スピノザが方法論的懐疑を行ったら帰結しない筈です。あるいは我が帰結するとするなら,この場合の我というのは唯名論的な意味における我であるというほかないでしょう。
小鹿は大熊元司とは異なり,全日本プロレスが旗揚げしたときのメンバーではありません。日本プロレスの崩壊後に全日本プロレスに所属する形になったのですが,旗揚げメンバーと合流メンバーの間には溝があったといっています。このことはカブキも肯定していますし,所属でいえば生え抜きに該当する天龍も,そういう雰囲気は感じていたといっていますから,これは事実でしょう。
天龍によれば,合流メンバーは,日本テレビにいわれて助っ人として全日本プロレスを支えているという矜持があるように思えたそうです。一方,馬場は崩壊した団体のメンバーを押し付けられたように感じていたように思えたそう。馬場が団体をファミリーとして考えていたのはおそらくこの時代にも同様であったと思われますから,最初から馬場を信頼してついてきた選手と後に合流したメンバーとに対する感情は異なっていたかもしれません。ある意味,合流メンバーはよそ者であり,合流メンバーからすればそのファミリーに対して高い敷居があるというような感覚があったのではないかと想像します。
小鹿によれば,馬場には入団してほしくない選手がふたりいたようです。ひとりが松岡巌鉄でもうひとりが上田馬之助。小鹿は馬場からそんなに多くの選手は必要ないので連れてくるなと言われたと証言しています。小鹿はそういうわけにはいかないと答えたとしていますが,実際にはこの2選手は入団しませんでした。ただ,合流に際して小鹿にどの程度の権限があったのかは分かりません。最終的に日本テレビと馬場が話し合って,馬場の意向を汲んだ上での決定だったのではないかと僕には思えます。
このような仮定は無意味というほかありませんが,もしスピノザが方法論的懐疑を行った場合には次のような結論になります。
すべてを疑っていること,あるいは疑おうとしている思惟の様態cogitandi modiが存在するということは確実です。しかし,だから我が存在するということにはなりません。むしろこの場合の我というのは,疑っている思惟の様態の主体として仮定されているものです。いい換えれば,思惟作用の結果として認識される存在です。我が原因となって疑っているという結果が生じてくるなら,その疑いが確実なものであるならば我が存在するということもまた確実でしょう。ですが実際の因果関係は逆なのであり,疑うという思惟作用が存在するからこそ我という存在も認識されるのです。我があるから疑いが存在するのではありません。むしろ疑いがあるから我が存在しているということになるのです。

実際にはデカルトによる方法論的懐疑も,このような方向で解することが可能ではあります。というのは,デカルトはすべてを疑ったのですから,我が存在するということも疑ってかかったのです。少なくとも身体的存在に関していえば,デカルト自身がそういう主旨の疑いを示しています。しかし疑っている精神mensが存在するということは疑い得なかったので,そういう精神が存在するという観点から「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」とデカルトは主張するに至ったのだと解すれば,デカルトは疑うということによって我の存在,我の精神の存在を確実であると認識するに至ったのだということになり,もしデカルトが何をも疑わなかったとしたら,我の精神が存在することも確実視できなかったであろうといえるからです。しかし一方で,デカルトは確かに我の精神が存在するということは確実視したのであり,それは疑っているのは我の精神であるということについて与件的な前提があったからだというほかありません。このような意味で我の精神が存在するということが確実であるということは,スピノザが方法論的懐疑を行ったら帰結しない筈です。あるいは我が帰結するとするなら,この場合の我というのは唯名論的な意味における我であるというほかないでしょう。