スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第五部定理三九&人間の精神の場合

2017-04-04 19:10:48 | 哲学
 スピノザは第五部定理三九備考で,人間の身体corpusがきわめて多くのことに有能な物体corpusであるという主旨のことをいいました。その備考の直前にある第五部定理三九では,次のことが示されています。
                                     
 「きわめて多くのことに有能な身体を有する者は,その最大部分が永遠であるような精神を有する」。
 スピノザは第五部定理二三において,現実的に存在する人間の精神mens humanaの中には永遠なものがあるのであり,そのあるものaliquidはその人間の身体が破壊されても残存するといっていました。要するに現実的に存在する人間が死んでしまっても,精神の中にはそれと共には死なないものがあるのだといっているわけです。しかし,現実的に存在する人間の精神が破壊されるのは,現実的に存在するその人間の身体が破壊される場合に限定されます。したがってそれと共に破壊されずに残存するものは,もはや破壊されることがありません。よってそれは永遠aeterunusであることになります。つまり一定の持続duratioのうちにのみ存在する精神のうちに,永遠であるものも含まれているということになります。
 第五部定理二三は,現実的に存在する人間の精神に一般的に妥当する定理Propositioです。これに対して第五部定理三九は,それを個別の現実的に存在する人間の精神に該当させれば,個々の人間の精神によって相違があるということを示しているといえます。いい換えれば,現実的に存在する人間の精神のうちに含まれている,永遠であるあるものというのは,現実的に存在するすべての人間の精神において,等しく同じだけの部分を占めているというわけではないということです。そしてこの定理から理解できるように,もし現実的に存在しているその人間の身体が有能であればあるほど,その人間の精神のうちに含まれる永遠であるものの含まれる割合もそれだけ大きくなるのです。
 身体が有能である度合は個々の人間によって差があります。なので精神のうちの永遠な部分も個々の人間によって相違するのです。

 個々の観念ideaと個々の意志作用volitioが同一の思惟の様態cogitandi modiであることについて,第二部定理四九証明が示していることは,以下の二点に依拠します。
 第一に,第一部定理一五により,存在するものはすべて神のうちにありますQuicquid est, in Deo。したがってある観念もある意志作用も,神のうちにしか存在することはできません。
 第二に,第二部定理三二により,すべての観念は神に関係する限りでは真の観念ですomnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, verae sunt。いい換えれば神のうちにあるのは真の観念だけであり,誤った観念は存在しません。
 この二点から理解できるように,もし個々の真の観念にはそれを肯定ないし否定する意志作用が含まれているのであり,真の観念はそういう意志作用なしにあることも考えることもできず,また逆に各々の意志作用はそれを正しく肯定あるいは否定する真の観念なしにあることも考えることもできないということが論証できるのなら,第二部定理四九は論証されたことになります。実際にスピノザの証明は,三角形の真の観念と,三角形に特有の特質proprietasを肯定する意志作用の関係を例示しています。だからこれはこれで正統な証明だといえるのです。
 しかし,人間の精神mens humanaの意志作用について探求しようという場合には,これでは不十分です。第二部定理一一系にあるように,確かに人間の精神は神の無限知性の一部Mentem humanam partem esse infiniti intellectus Deiではあるのですが,この系Corollariumの意味から明らかなように,人間の精神のうちには真の観念だけがあるのではなく,誤った観念もあるといわれなければならないからです。
 ある人間の精神の本性を構成するとともにほかのものの観念を有する限りでXの観念が神のうちにあるといわれるとき,その人間の精神のうちにはXの誤った観念があります。このとき,神と関連させた場合にはXの観念は真の観念ですから,そのXの観念に固有の意志作用が必然的に含まれています。しかし,だからといってこのXの観念が単にこの人間の精神のうちに,誤った観念としてあるといわれる場合にも,それと同じように固有の意志作用が含まれているということにはなりません。同じ意志作用が含まれていたら,それは真の観念でなければならないのですからこのことは明白といえるでしょう。
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