スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

オルフェーヴル&第四部定理三一系

2017-12-26 19:32:30 | 名馬
 10日の阪神ジュベナイルフィリーズを勝ったラッキーライラックの父はGCカレンダーで第2位,JRA賞で2011年の年度代表馬,2012年2013年の最優秀4歳以上牡馬に選出されたオルフェーヴルです。父がステイゴールドで母の父がメジロマックイーン。3代母がグランマスティーヴンスで4つ上の全兄にJRA賞で2006年の最優秀2歳牡馬,2009年の最優秀4歳以上牡馬に選出されたドリームジャーニー。Orfevreはフランス語で金細工師。
                                
 2歳8月にデビュー。このレースは勝ったもののレース後に暴走して騎手が落馬。この気性面が災いして以降の4戦は勝利をあげることができませんでした。レースを使いながらの教えが実を結んだのが3月のスプリングステークス。東日本大震災の影響で阪神で行われたこのレースで重賞制覇を達成すると,通常より1週遅れて東京で行われた皐月賞で大レースも制覇。そのままダービーも勝ちました。
 秋は復帰戦の神戸新聞杯を勝ち,菊花賞で三冠制覇を達成。さらに古馬との初対戦となった有馬記念も勝って年度代表馬に。
 4歳になり3月の阪神大賞典で復帰。また気性の難しさを出し,レース中に逸走してしまい巻き返すも2着。このために調教試験が必要となり,調整に順調さを欠いた天皇賞(春)は惨敗。しかし宝塚記念は普通に走り,ルーラーシップを2着に斥けて大レース5勝目。
 秋はフランスへ。叩き台のフォワ賞を勝って挑んだ凱旋門賞は楽勝となる筈が自ら勝利を放棄するような形で2着。帰国して出走したジャパンカップは直線で勝ち馬にぶつけられたのを跳ね返せずに2着。これで4歳のキャンペーンを終えました。最優秀4歳以上牡馬に。
 これだけの馬なので引退もあり得ましたが現役を続行。3月に大阪杯を勝ちましたが,これ以降は順調さを欠き春はこの1戦のみ。
 秋は再度フランスへ。この年もフォワ賞は勝ちましたが凱旋門賞はどこかこの馬らしくない優等生的なレースをし,勝ち馬に及ばないという形のレースで2着。この年は帰国後に引退レースとして有馬記念を選択。2着に8馬身差をつけるという圧巻のレースで大レース6勝目をあげ,有終の美を飾りました。
 産駒の勝ち上がり率は現時点ではあまりよくありません。ただ血統的には晩成傾向なので,これから巻き返すこともあり得るでしょう。一方で,凡庸な産駒を多く出す代わりに超一流馬を何頭か出すというタイプの種牡馬になる可能性も否定はできず,産駒の今後の走りに注目です。

 第四部定理七〇備考は,実践を行う者の立場,すなわち自由の人homo liberの立場から記述されていますので,僕もこの観点から説明します。
 自由の人が無知の人を絶対に避けるのではなく,できる限り避けるのは,無知の人間は無知であっても人間であるからでした。それが絶対的な指針ではなくできる限りでの指針と結び付く規準は第四部定理三一にあります。ただし,この定理Propositioは,人間が現実的に存在するという場合だけを想定するならば,単に論理的に真verumであるというだけです。他面からいえば現実的に存在する人間だけを想定していうのであれば,机上の空論であるとさえいっていいでしょう。なぜなら現実的に存在する人間は第四部定理四の意味によって受動passioを免れるということは不可能で,第三部定理五一によって異なった人間は同一のものから異なった働きを受けるpatiことができるのですから,ある人間の現実的本性actualis essentiaと別の人間の現実的本性が完全に一致するということは不可能であるからです。このことはまた第四部定理三三からも明白であるといわなければなりません。ですから現実的に存在するある人間にとって,同様に現実的に存在する別の人間が必然的にnecessario善bonumであるということはあり得ないのです。
 ただし次のことはいえます。もし本性が一致する限りで必然的に善であるなら,本性に一致する部分が大きければ大きいほどより大なる善でしょうし,逆に少なければ少ないほどより大なる悪malumでしょう。それを示しているのが第四部定理三一系です。
 「この帰結として,物は我々の本性とより多く一致するに従ってそれだけ我々にとって有益あるいは善であり,また逆に物は我々にとってより有益であるに従って我々の本性とそれだけ多く一致する,ということになる」。
 帰結事項なので証明Demonstratioはありません。どう帰結するかは僕が示した通りです。また,スピノザはここでは善あるいは有益であることについてしか記述していませんが,善悪は相対的なものなので,善についてこのようないい方が可能であるなら,悪についても僕がいったようないい方が可能であることも明白でしょう。実際にスピノザもこの系Corollariumの後半部分ではそのような言及をしています。
コメント
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