昨晩の第46回京浜盃。
トノパーが前に出ましたが外からサグアロが追い掛けていって先行争いに。向正面に入るところではサグアロが前に出て逃げる形に。リードは2馬身。2番手に控えたトノパー。4馬身差でストライクとポリゴンウェイヴ。5番手にメーサンデュラントとトワシュトラール。2馬身差でオピニオンリーダーとサムタイムアゴー。9番手にタイガーチャージとリベイクフルシティ。11番手にグロリオサとサベージとルクバー。最後尾にシャープムスタング。2コーナーから3コーナーにかけては馬群が凝縮していく形になりました。ミドルペース。
3コーナーを回るとサグアロにトノパーが並び掛けていき,さらにポリゴンウェイヴとトワシュトラール。後方から動いたサベージも大外から捲り上げてきて5頭が集団に。直線に入ると2番手だったトノパーが先頭に立ち,それを大外のサベージが追って2頭の優勝争い。差し切ったサベージが優勝。トノパーが4分の3馬身差で2着。直線で外から2頭目の位置から追い込んだオピニオンリーダーが3馬身差で3着。
優勝したサベージはこれが3勝目で南関東重賞は初制覇。やや折り合いに難しいところがあり,前々走は向正面で行きたがってしまい2着。前走は勝敗度外視で最後尾から進めてよく追い込んでの4着。このレースは脚の使い処がレースにマッチしての優勝。こういうタイプの馬ですから,能力の上限は高いにしても,全幅の信頼を置くのは危険であるように思います。父はディープスカイ。母の父はアドマイヤムーン。母の6つ上の半兄に2007年の京成杯を勝ったサンツェッペリン。Savageは野蛮。
騎乗した船橋の石崎駿騎手は2019年の東京湾カップ以来の南関東重賞34勝目。第36回以来となる10年ぶりの京浜盃2勝目。管理している大井の森下淳平調教師は南関東重賞16勝目。第37回以来となる9年ぶりの京浜盃2勝目。
先述したように,ドゥルーズGille Deleuzeの共通概念notiones communesの理論によれば,第二部定理三八が共通概念の適用の秩序で第二部定理三九が共通概念の形成の秩序を意味します。福居はこれに従ってドゥルーズの共通概念の理論を批判しています。僕がこれらの定理Propositioをどのように位置づけているのかということから説明していきます。
第二部定理三八が共通概念の適用の秩序を意味するということについては,僕は肯定しませんが否定もしません。僕はこの定理はそれ単独でみたらとくに深い意味があるものではないと考えています。これは読者にとってというより,スピノザにとってさほど重要ではなかったと考えているということです。僕の考えではこの定理は第二部定理三七を受けたものです。そこではすべてのものに共通で,部分の中にも全体の中にもあるものは個物res singularisの本性essentiaを構成することはないといわれています。第二部自然学①補助定理二により,そうしたものが現にあることは前提されていますので,このことは実在的な意味をもっています。
第二部定理三八がいっているのは,第二部定理三七でいわれている,個物の本性を構成することはないといわれているそのものが,知性intellectusのうちに客観的有esse objectivumとして発生する場合には,十全な観念idea adaequataとして発生するといっているのです。このことは論理的にそうなるといわれているのであって,それ以上の意味があるわけではありません。ですからこの定理のうちには何らかの秩序というべきものが含まれているわけではありません。これが共通概念の理論であるということまでは否定できるものではありませんが,現実的に存在する人間の精神mens humanaが,個物の本性を構成しないようなあるものについて,その観念を形成することの秩序を示そうとする意図がスピノザにあったというようには僕には思えないのです。
ただ,このことの帰結として生じること,すなわち第二部定理三八系でいわれている,現実的に存在するすべての人間の精神のうちに共通概念があるということは,スピノザにとってとても重要なことであったと思います。したがって第二部定理三八をそれ単独でみずに,この系Corollariumまで含めて解するなら,そこには秩序が含まれています。
トノパーが前に出ましたが外からサグアロが追い掛けていって先行争いに。向正面に入るところではサグアロが前に出て逃げる形に。リードは2馬身。2番手に控えたトノパー。4馬身差でストライクとポリゴンウェイヴ。5番手にメーサンデュラントとトワシュトラール。2馬身差でオピニオンリーダーとサムタイムアゴー。9番手にタイガーチャージとリベイクフルシティ。11番手にグロリオサとサベージとルクバー。最後尾にシャープムスタング。2コーナーから3コーナーにかけては馬群が凝縮していく形になりました。ミドルペース。
3コーナーを回るとサグアロにトノパーが並び掛けていき,さらにポリゴンウェイヴとトワシュトラール。後方から動いたサベージも大外から捲り上げてきて5頭が集団に。直線に入ると2番手だったトノパーが先頭に立ち,それを大外のサベージが追って2頭の優勝争い。差し切ったサベージが優勝。トノパーが4分の3馬身差で2着。直線で外から2頭目の位置から追い込んだオピニオンリーダーが3馬身差で3着。
優勝したサベージはこれが3勝目で南関東重賞は初制覇。やや折り合いに難しいところがあり,前々走は向正面で行きたがってしまい2着。前走は勝敗度外視で最後尾から進めてよく追い込んでの4着。このレースは脚の使い処がレースにマッチしての優勝。こういうタイプの馬ですから,能力の上限は高いにしても,全幅の信頼を置くのは危険であるように思います。父はディープスカイ。母の父はアドマイヤムーン。母の6つ上の半兄に2007年の京成杯を勝ったサンツェッペリン。Savageは野蛮。
騎乗した船橋の石崎駿騎手は2019年の東京湾カップ以来の南関東重賞34勝目。第36回以来となる10年ぶりの京浜盃2勝目。管理している大井の森下淳平調教師は南関東重賞16勝目。第37回以来となる9年ぶりの京浜盃2勝目。
先述したように,ドゥルーズGille Deleuzeの共通概念notiones communesの理論によれば,第二部定理三八が共通概念の適用の秩序で第二部定理三九が共通概念の形成の秩序を意味します。福居はこれに従ってドゥルーズの共通概念の理論を批判しています。僕がこれらの定理Propositioをどのように位置づけているのかということから説明していきます。
第二部定理三八が共通概念の適用の秩序を意味するということについては,僕は肯定しませんが否定もしません。僕はこの定理はそれ単独でみたらとくに深い意味があるものではないと考えています。これは読者にとってというより,スピノザにとってさほど重要ではなかったと考えているということです。僕の考えではこの定理は第二部定理三七を受けたものです。そこではすべてのものに共通で,部分の中にも全体の中にもあるものは個物res singularisの本性essentiaを構成することはないといわれています。第二部自然学①補助定理二により,そうしたものが現にあることは前提されていますので,このことは実在的な意味をもっています。
第二部定理三八がいっているのは,第二部定理三七でいわれている,個物の本性を構成することはないといわれているそのものが,知性intellectusのうちに客観的有esse objectivumとして発生する場合には,十全な観念idea adaequataとして発生するといっているのです。このことは論理的にそうなるといわれているのであって,それ以上の意味があるわけではありません。ですからこの定理のうちには何らかの秩序というべきものが含まれているわけではありません。これが共通概念の理論であるということまでは否定できるものではありませんが,現実的に存在する人間の精神mens humanaが,個物の本性を構成しないようなあるものについて,その観念を形成することの秩序を示そうとする意図がスピノザにあったというようには僕には思えないのです。
ただ,このことの帰結として生じること,すなわち第二部定理三八系でいわれている,現実的に存在するすべての人間の精神のうちに共通概念があるということは,スピノザにとってとても重要なことであったと思います。したがって第二部定理三八をそれ単独でみずに,この系Corollariumまで含めて解するなら,そこには秩序が含まれています。
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