昨日,香港のシャティン競馬場で行われた国際競走4レース。
香港ヴァーズGⅠ芝2400m。カレンミロティックは外の3番手を追走。3コーナー過ぎに2番手まで上がり,直線入口では逃げ馬と雁行に。十分に見せ場は作りましたが,前を捕えられず,後ろからも差されておよそ3馬身差の5着。
この馬は瞬発力勝負では分が悪く,超スローの展開は最悪。もっと強気に動いていくべきだったかもしれませんが,勝ち馬の瞬発力から察すると,勝つというところまでは難しかっただろうと思います。
香港スプリントGⅠ芝1200m。ストレイトガールが内目の6,7番手,リトルゲルダは後方から4番手付近のイン,スノードラゴンは最後尾を追走。ストレイトガールは直線では少しだけ外に出し,よく前を追ったものの約1馬身差の3着。直線で大外に回ったスノードラゴンはおよそ4馬身半差の8着。リトルゲルダは直線で後退してしまい,1頭だけ大きく遅れて殿負け。
勝ち馬が逃げ切るようなレースですから,スノードラゴンの位置取りはその時点でアウト。リトルゲルダはあるいはアクシデントがあったかもしれません。ストレイトガールはよく頑張ったと思いますが,前の2頭とは能力差を感じるような内容だったと思います。
香港マイルGⅠ芝1600m。フィエロはやや出負けしたように見えましたが,スムーズに追い上げて4番手の内。ハナズゴールが5番手,序盤は最後尾だったワールドエースもハナズゴールの内まで追い上げ,グランプリボスがハナズゴールの外と,4頭がほぼ同じような位置から。このレースは勝ち馬が非常に強く,千切ったのですが,2着以下は大混戦。グランプリボスは4馬身半差の3着でワールドエースは5馬身差の4着。フィエロがそこから4分の1馬身ほど遅れた6着で,さらに1馬身ほど後ろの8着にハナズゴール。
このレースはミドルペースに落ち着き,ハナズゴールはそのためにいつもより前になりましたが,この競馬で持ち味を出すのは難しいでしょう。ワールドエースは出負けした上に掛かった感があり,これでは一線級では難しいです。グランプリボスは下がりかけてまた伸びるといった内容で,勝負根性は発揮できたように思います。フィエロはやや窮屈な競馬になってしまったかもしれません。ただ,勝ち馬は強かったので,このレースを勝つのはどうあっても不可能だったと思います。
香港カップGⅠ芝2000m。このレースは5頭が先行集団を占め,アルキメデスはその集団から少し離れた6番手から。3コーナー手前から前との差が詰まっていき,ずっとインを回って直線。しかし伸び負けといえるような内容で7着。ただし差は3馬身半ほどでした。
3月以来の実戦が香港のGⅠということで,厳しいだろうと思っていましたが,よく頑張ったといえる内容だったと思います。まだ重賞をひとつ勝っているだけの実績ですが,僕は能力は高い馬と見込んでいて,来年は大レースで善戦,あるいは勝利というところまでいかれる可能性があると考えています。
スピノザの哲学を綿密に研究したヤコービは,自身の神学的立場は,形而上学的にはスピノザに対しては優位に立つことができないと結論しました。これはヘムステルホイスという人物に宛てた書簡の中に出てきます。要は,スピノザの哲学の論理構成は完璧なものであって,それを論理的に崩壊させることは不可能であるとヤコービは結論付けたというように僕は理解します.一方でヤコービは,スピノザの論理では神学的立場を守ることができないとも考えていたので,ここから先は超論理に訴えることになります。反動的立場の人間が,自身の立場を危うくするような論理に対抗するために,超論理を持ち出すということは,現代も含めていつの時代にもあることでしょうから,このことは驚くに値しません。ただ,ヤコービが,自身の立場が超論理的にしか守れないと理解していたことは称賛されてもいいでしょう。そこまで自覚的な反動主義者はそう多くない筈だからです。僕はこれ以降の超論理には興味がありませんから,その点については何も触れません。
一方のゲーテは,前に紹介したヤコービ宛の書簡で,スピノザこそが最高のキリスト者であるという意味のことを述べています。したがって,ヤコービとゲーテの間にある差異は,キリスト教的な神というのを,どのような存在として把握するべきなのかという点にあったといえます。ゲーテはスピノザが定義した神と,神学的な神を同一視できたのに対し,ヤコービにはそれが不可能であったということです。
僕はライプニッツにも,ヤコービのような立場が該当すると思うのです。宮廷人としてのライプニッツは,神学的立場を守る必要がありました。それは自身の思想がどうこうでなく,自身の生活のために必要であったと思うのです。そしてその立場を守るために,スピノザの形而上学を否定しなければならなかったのだと思うのです。
しかしライプニッツは,超論理に訴えようとはしませんでした。逆にいえば、論理的にスピノザの形而上学を崩壊させられると考えていたのです。第一部定理五に対するライプニッツの疑問は,このような観点から提出されていると考えることにします。
香港ヴァーズGⅠ芝2400m。カレンミロティックは外の3番手を追走。3コーナー過ぎに2番手まで上がり,直線入口では逃げ馬と雁行に。十分に見せ場は作りましたが,前を捕えられず,後ろからも差されておよそ3馬身差の5着。
この馬は瞬発力勝負では分が悪く,超スローの展開は最悪。もっと強気に動いていくべきだったかもしれませんが,勝ち馬の瞬発力から察すると,勝つというところまでは難しかっただろうと思います。
香港スプリントGⅠ芝1200m。ストレイトガールが内目の6,7番手,リトルゲルダは後方から4番手付近のイン,スノードラゴンは最後尾を追走。ストレイトガールは直線では少しだけ外に出し,よく前を追ったものの約1馬身差の3着。直線で大外に回ったスノードラゴンはおよそ4馬身半差の8着。リトルゲルダは直線で後退してしまい,1頭だけ大きく遅れて殿負け。
勝ち馬が逃げ切るようなレースですから,スノードラゴンの位置取りはその時点でアウト。リトルゲルダはあるいはアクシデントがあったかもしれません。ストレイトガールはよく頑張ったと思いますが,前の2頭とは能力差を感じるような内容だったと思います。
香港マイルGⅠ芝1600m。フィエロはやや出負けしたように見えましたが,スムーズに追い上げて4番手の内。ハナズゴールが5番手,序盤は最後尾だったワールドエースもハナズゴールの内まで追い上げ,グランプリボスがハナズゴールの外と,4頭がほぼ同じような位置から。このレースは勝ち馬が非常に強く,千切ったのですが,2着以下は大混戦。グランプリボスは4馬身半差の3着でワールドエースは5馬身差の4着。フィエロがそこから4分の1馬身ほど遅れた6着で,さらに1馬身ほど後ろの8着にハナズゴール。
このレースはミドルペースに落ち着き,ハナズゴールはそのためにいつもより前になりましたが,この競馬で持ち味を出すのは難しいでしょう。ワールドエースは出負けした上に掛かった感があり,これでは一線級では難しいです。グランプリボスは下がりかけてまた伸びるといった内容で,勝負根性は発揮できたように思います。フィエロはやや窮屈な競馬になってしまったかもしれません。ただ,勝ち馬は強かったので,このレースを勝つのはどうあっても不可能だったと思います。
香港カップGⅠ芝2000m。このレースは5頭が先行集団を占め,アルキメデスはその集団から少し離れた6番手から。3コーナー手前から前との差が詰まっていき,ずっとインを回って直線。しかし伸び負けといえるような内容で7着。ただし差は3馬身半ほどでした。
3月以来の実戦が香港のGⅠということで,厳しいだろうと思っていましたが,よく頑張ったといえる内容だったと思います。まだ重賞をひとつ勝っているだけの実績ですが,僕は能力は高い馬と見込んでいて,来年は大レースで善戦,あるいは勝利というところまでいかれる可能性があると考えています。
スピノザの哲学を綿密に研究したヤコービは,自身の神学的立場は,形而上学的にはスピノザに対しては優位に立つことができないと結論しました。これはヘムステルホイスという人物に宛てた書簡の中に出てきます。要は,スピノザの哲学の論理構成は完璧なものであって,それを論理的に崩壊させることは不可能であるとヤコービは結論付けたというように僕は理解します.一方でヤコービは,スピノザの論理では神学的立場を守ることができないとも考えていたので,ここから先は超論理に訴えることになります。反動的立場の人間が,自身の立場を危うくするような論理に対抗するために,超論理を持ち出すということは,現代も含めていつの時代にもあることでしょうから,このことは驚くに値しません。ただ,ヤコービが,自身の立場が超論理的にしか守れないと理解していたことは称賛されてもいいでしょう。そこまで自覚的な反動主義者はそう多くない筈だからです。僕はこれ以降の超論理には興味がありませんから,その点については何も触れません。
一方のゲーテは,前に紹介したヤコービ宛の書簡で,スピノザこそが最高のキリスト者であるという意味のことを述べています。したがって,ヤコービとゲーテの間にある差異は,キリスト教的な神というのを,どのような存在として把握するべきなのかという点にあったといえます。ゲーテはスピノザが定義した神と,神学的な神を同一視できたのに対し,ヤコービにはそれが不可能であったということです。
僕はライプニッツにも,ヤコービのような立場が該当すると思うのです。宮廷人としてのライプニッツは,神学的立場を守る必要がありました。それは自身の思想がどうこうでなく,自身の生活のために必要であったと思うのです。そしてその立場を守るために,スピノザの形而上学を否定しなければならなかったのだと思うのです。
しかしライプニッツは,超論理に訴えようとはしませんでした。逆にいえば、論理的にスピノザの形而上学を崩壊させられると考えていたのです。第一部定理五に対するライプニッツの疑問は,このような観点から提出されていると考えることにします。
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