エリザベス女王杯を勝ったブレイディヴェーグの祖母は2002年にフランスで産まれたミュージカルウェイという馬で,ブレイディヴェーグの輸入基礎繁殖牝馬になります。トップニュースⅡとデュプリシト,ドバイマジェスティと同じファミリーナンバーが2-sの一族。
現役時代は主にフランスで走って重賞3勝。
繁殖生活は日本で送ることになりました。最初に産んだ牝馬はオープンまで出世。この馬が後にブレイディヴェーグの母になっています。ブレイディヴェーグのひとつ上の半兄は現役のオープン馬です。
2頭目の産駒は牡馬。この馬もオープンまで出世しました。
3頭目の産駒が牝馬。この馬は2015年にJRA賞の最優秀3歳牝馬に選出されたミッキークイーンです。ミッキークイーンはすでに繁殖牝馬になっていて,産駒の1頭は先月に4勝目をあげてオープン馬になっています。
4頭目の産駒も牝馬。この馬も繁殖牝馬になっていて,産駒の1頭がすでにオープンを勝っている現役馬です。
これ以降の産駒とその子孫からは目立った活躍馬は出ていません。
15年ほどの間で重賞の勝ち馬が2頭。ただその2頭が大レースを勝ちました。さらに重賞は勝てないまでもオープンまでいっている馬が多数いますので,この牝系からはまだ活躍馬が出てくるでしょう。
後藤の論文に関連して僕がいっておきたかったのはこれだけです。何度もいいますが,僕はメンデルスゾーンMoses Mendelssohnについては詳しくは分かりませんから,これについてはこれだけにして,先に進みます。
『スピノザーナ11号』は,平尾と後藤のメンデルスゾーンに関連した論考の後,合田正人の「欲望の倫理」という論文が掲載されています。これにはスピノザを廻るラカンJacques-Marie-Émile LacanとレヴィナスEmmanuel Lévinasという副題がついています。ただこの論文については僕の方から何かいいたいことはありません。なのでこの論文とは関係なく,レヴィナスのスピノザ論を解するときに注意するべきことをいっておきます。
レヴィナスは思想家であって,同じように思想家としてのスピノザを批判しています。たぶんレヴィナスは自身でもそのようにしていると思っていると推測されます。ただこの理解にはひとつの陥穽があります。というのもレヴィナスはユダヤ教徒のユダヤ人であって,スピノザはユダヤ人でありながらユダヤ教会から破門されたという歴史的事実があるからです。たとえばレヴィナスは,ナチスによるユダヤ人の大量虐殺という史実の後に,スピノザが同じような思想を展開することができたかは疑問であるという主旨のことをいっていますから,確かにレヴィナスとスピノザの間に,同じ人種としての宗教上の相違というものがあるのであって,レヴィナスがそれを自覚しているのかしていないのかということは別にしても,そうした相違がレヴィナスによるスピノザ批判には反映されているのです。なのでレヴィナスによるスピノザ哲学に対する批判を理解する上で,レヴィナスのある意味では個人的な心情というものが影響を与えているといえなくもないのです。合田がこのことをよく理解しているということは,この論文よりも『現代思想』のスピノザ特集号に掲載されている「白い曠野」という論文から明らかですので,合田の論文を読解する際にはこのことは問題にはなりませんが,このことに注意しないでレヴィナスを研究している場合は,それを読む側が注意しなければなりません。レヴィナスはスピノザのことを,ユダヤ教に対する裏切り者であると規定しているからです。
現役時代は主にフランスで走って重賞3勝。
繁殖生活は日本で送ることになりました。最初に産んだ牝馬はオープンまで出世。この馬が後にブレイディヴェーグの母になっています。ブレイディヴェーグのひとつ上の半兄は現役のオープン馬です。
2頭目の産駒は牡馬。この馬もオープンまで出世しました。
3頭目の産駒が牝馬。この馬は2015年にJRA賞の最優秀3歳牝馬に選出されたミッキークイーンです。ミッキークイーンはすでに繁殖牝馬になっていて,産駒の1頭は先月に4勝目をあげてオープン馬になっています。
4頭目の産駒も牝馬。この馬も繁殖牝馬になっていて,産駒の1頭がすでにオープンを勝っている現役馬です。
これ以降の産駒とその子孫からは目立った活躍馬は出ていません。
15年ほどの間で重賞の勝ち馬が2頭。ただその2頭が大レースを勝ちました。さらに重賞は勝てないまでもオープンまでいっている馬が多数いますので,この牝系からはまだ活躍馬が出てくるでしょう。
後藤の論文に関連して僕がいっておきたかったのはこれだけです。何度もいいますが,僕はメンデルスゾーンMoses Mendelssohnについては詳しくは分かりませんから,これについてはこれだけにして,先に進みます。
『スピノザーナ11号』は,平尾と後藤のメンデルスゾーンに関連した論考の後,合田正人の「欲望の倫理」という論文が掲載されています。これにはスピノザを廻るラカンJacques-Marie-Émile LacanとレヴィナスEmmanuel Lévinasという副題がついています。ただこの論文については僕の方から何かいいたいことはありません。なのでこの論文とは関係なく,レヴィナスのスピノザ論を解するときに注意するべきことをいっておきます。
レヴィナスは思想家であって,同じように思想家としてのスピノザを批判しています。たぶんレヴィナスは自身でもそのようにしていると思っていると推測されます。ただこの理解にはひとつの陥穽があります。というのもレヴィナスはユダヤ教徒のユダヤ人であって,スピノザはユダヤ人でありながらユダヤ教会から破門されたという歴史的事実があるからです。たとえばレヴィナスは,ナチスによるユダヤ人の大量虐殺という史実の後に,スピノザが同じような思想を展開することができたかは疑問であるという主旨のことをいっていますから,確かにレヴィナスとスピノザの間に,同じ人種としての宗教上の相違というものがあるのであって,レヴィナスがそれを自覚しているのかしていないのかということは別にしても,そうした相違がレヴィナスによるスピノザ批判には反映されているのです。なのでレヴィナスによるスピノザ哲学に対する批判を理解する上で,レヴィナスのある意味では個人的な心情というものが影響を与えているといえなくもないのです。合田がこのことをよく理解しているということは,この論文よりも『現代思想』のスピノザ特集号に掲載されている「白い曠野」という論文から明らかですので,合田の論文を読解する際にはこのことは問題にはなりませんが,このことに注意しないでレヴィナスを研究している場合は,それを読む側が注意しなければなりません。レヴィナスはスピノザのことを,ユダヤ教に対する裏切り者であると規定しているからです。
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