スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マルペンサ&別の解釈

2023-01-16 19:17:14 | 血統
 ホープフルステークスを勝ったドゥラエレーデの祖母は2006年にアルゼンチンで産まれたマルペンサという馬です。Malpensaはミラノにある国際空港の名前。ナイスランディング,ローザネイと同じくファミリーナンバー1-w
                                        
 アルゼンチンでGⅠを3勝した馬。競走生活を引退した後で輸入され,繁殖生活は日本で送りました。
 輸入されて最初に産んだのがサトノダイヤモンド。2016年のJRA賞で最優秀3歳牡馬に選出されました。
 その後に残した産駒は3頭だけ。すべて現役は退いています。この3頭のうち,サトノダイヤモンドのひとつ下の半妹とふたつ下の半妹は牝馬で,いずれも繁殖牝馬になりました。ドゥラエレーデの母になったのはふたつ下の牝馬の方で,こちらもドゥラエレーデが初めての産駒になります。
 マルペンサはすでに繁殖生活を送っていませんので,2頭の牝馬が今後の一族を担っていくことになります。マルペンサもドゥラエレーデの母も,最初の産駒が大レースを勝ちました。サトノダイヤモンドのひとつ下の半妹,つまりドゥラエレーデの母のひとつ上の半姉は,重賞で2着が2回,3着が1回と,未勝利に終わったドゥラエレーデの母よりも競走馬として活躍し,そのために繁殖牝馬となったのは半妹よりも後になりました。産駒は今年が2歳なので,順調にいけば今年か来年にデビューするでしょう。初産駒が活躍する傾向の一族ですから,注目してみるのもよいかもしれません。

 第五部定理四二備考で,賢者が存在することをやめることはないといわれていることは,現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちに何らかの十全な観念idea adaequataがあるなら,その人間はそのものについて誤謬errorを犯すということはないので,賢者として存在し続けるというように解釈することは可能です。そしてこの解釈が,現実的に存在するある人間についてその人間を賢者という場合,あるいは同じことですが現実的に存在するある人間を賢者としてみる場合に,最も適切な解釈であると僕は思います。しかし一方でこの部分は,それとは別の,字義どおりに近い意味で解釈することもできますので,その解釈についても僕の見解を述べておきます。
 第五部定理四二備考で,無知者は存在することをやめるという場合,それは第一義的に解釈すれば,文字通りに無知者が存在することをやめるのでなければならないということだと僕はいいました。無知者は現実的に存在するある人間として想定されているわけですから,人間が存在することをやめるというのは,その人間が死ぬという意味です。しかしこのような意味でその備考Scholiumを解釈することができないということは明白です。明白であるということを知っていながら僕があえて第一義的にはこのような意味でなければならないということをいっておいたのは,その後の賢者の場合と比較する上でのことです。
 賢者は賢者としてみられる限りで存在することをやめないというのは,第一義的には賢者は賢者として存在し続けるという意味なのであって,それは賢者は死ぬことはないという意味でなければなりません。しかしこれは不条理です。賢者として想定されているのも無知者と同様に現実的に存在する人間なのであって,人間は現実的に存在するものとしてみられる限りは必ず存在することをやめるからです。これは生きている人間は必ず死ぬという意味であって,賢者であろうと無知者であろうと関係ありません。もっといえば,持続duratioのうちに存在するいかなるものもいずれは現実的に存在しなくなるので,このことは現実的に存在するいかなる個物res singularisにも妥当します。現実的に存在するとは持続のうちに存在するという意味なのです。

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