大阪杯を勝ったベラジオオペラの輸入基礎繁殖牝馬は,4代母で1987年にアメリカで産まれたアイドリームドアドリームです。ソネラ,クヰックランチと祖を同じくするファミリーナンバーが4-rの分枝。
アメリカで1頭の産駒を産んでから輸入されました。日本での初産駒はエアデジャヴー。1998年にクイーンステークスを勝ちました。
エアデジャヴーが繁殖牝馬となって初めて産んだのがエアシェイディ。2008年にアメリカジョッキークラブカップを勝っています。
そのひとつ下の全妹がエアメサイア。2005年にローズステークスと秋華賞を勝っています。
エアメサイアも繁殖牝馬になりました。2013年の産駒がエアスピネル。2015年にデイリー杯2歳ステークスを勝つと,2017年には京都金杯と富士ステークスを勝ちました。
エアスピネルのひとつ下の全弟はエアウィンザー。2018年のチャレンジカップの勝ち馬です。
エアメサイアのひとつ下の全妹はJRAで4勝。繁殖牝馬となって2011年に産んだのがエアアンセム。2018年に函館記念を勝ちました。
エアアンセムのひとつ下の半妹は競走馬としては1勝。この馬がベラジオオペラの母です。
エアデジャヴーのふたつ下の半弟はエアシャカール。2000年に皐月賞と菊花賞を制覇。この一族の最初の大レースの勝ち馬がこの馬です。
エアシャカールのひとつ下の全妹は競走馬としては2勝。繁殖牝馬となり,2014年に鳴尾記念と毎日王冠を勝ったエアソミュールの母になっています。
このように活躍馬が続出している一族。最近はやや活力が薄れている感がありましたが,3頭目の大レースの勝ち馬が出ました。まだ継続していきそうな一族です。
仮にスチュアートMatthew Stewartがいっていることが事実であったとしてみましょう。その場合,チルンハウスEhrenfried Walther von TschirnhausがローマにいてステノNicola Stenoと知り合ったという部分が怪しくなります。チルンハウスは,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに『エチカ』の手稿を読ませてもよいのではないかと考えたのです。それはつまり,ライプニッツとチルンハウスはそれくらい親しかったことを意味します。ですからもしもステノがライプニッツと一緒に仕事をしていたのであれば,ステノとチルンハウスもどこかで知り合っていた可能性があるからです。なのでこの場合は,ステノが何らかの画策で『エチカ』の手稿を入手したのはローマではなく,それをステノがローマにもっていったという可能性まで想定しておかなければならないでしょう。チルンハウスがローマにいたということは,『スピノザー読む人の肖像』では確定的に記述されていますが,これを史実としてよいという情報は示されていませんので,そういう可能性がまったくなかったとは僕はいいません。
しかし,スチュアートがいっていることはたぶん史実ではありません。『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』は元来は脚本として書くことを意図されていた内容であって,そこにはおそらくスチュアートの脚色が入っていて,この部分はおそらくそのひとつであると僕は思います。ステノとライプニッツが一緒に仕事をしていたという情報を僕はほかに知りませんし,そもそもステノがこのときにライプニッツと一緒にいたことも疑わしいのです。
あらかじめいっておいたように,この部分はライプニッツはスピノザの遺稿集Opera Posthumaが発刊されるのを楽しみにしていたというエピソードとして,たぶん創作されています。ただこの脚色は,脚色としてはよくできたものだとは思います。仮にステノとライプニッツが一緒に仕事をしていて,それならライプニッツはステノに,スピノザの遺稿集の出版の準備が進んでいて,その編集をしているのがだれであるのかということを教えたのかといえば,やはり教えることはなかったであろうからです。ライプニッツはカトリックとプロテスタントの統一を真剣に考えていたくらいですから,教会の有力者の知人がまったくいなかったとは考えられません。
アメリカで1頭の産駒を産んでから輸入されました。日本での初産駒はエアデジャヴー。1998年にクイーンステークスを勝ちました。
エアデジャヴーが繁殖牝馬となって初めて産んだのがエアシェイディ。2008年にアメリカジョッキークラブカップを勝っています。
そのひとつ下の全妹がエアメサイア。2005年にローズステークスと秋華賞を勝っています。
エアメサイアも繁殖牝馬になりました。2013年の産駒がエアスピネル。2015年にデイリー杯2歳ステークスを勝つと,2017年には京都金杯と富士ステークスを勝ちました。
エアスピネルのひとつ下の全弟はエアウィンザー。2018年のチャレンジカップの勝ち馬です。
エアメサイアのひとつ下の全妹はJRAで4勝。繁殖牝馬となって2011年に産んだのがエアアンセム。2018年に函館記念を勝ちました。
エアアンセムのひとつ下の半妹は競走馬としては1勝。この馬がベラジオオペラの母です。
エアデジャヴーのふたつ下の半弟はエアシャカール。2000年に皐月賞と菊花賞を制覇。この一族の最初の大レースの勝ち馬がこの馬です。
エアシャカールのひとつ下の全妹は競走馬としては2勝。繁殖牝馬となり,2014年に鳴尾記念と毎日王冠を勝ったエアソミュールの母になっています。
このように活躍馬が続出している一族。最近はやや活力が薄れている感がありましたが,3頭目の大レースの勝ち馬が出ました。まだ継続していきそうな一族です。
仮にスチュアートMatthew Stewartがいっていることが事実であったとしてみましょう。その場合,チルンハウスEhrenfried Walther von TschirnhausがローマにいてステノNicola Stenoと知り合ったという部分が怪しくなります。チルンハウスは,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに『エチカ』の手稿を読ませてもよいのではないかと考えたのです。それはつまり,ライプニッツとチルンハウスはそれくらい親しかったことを意味します。ですからもしもステノがライプニッツと一緒に仕事をしていたのであれば,ステノとチルンハウスもどこかで知り合っていた可能性があるからです。なのでこの場合は,ステノが何らかの画策で『エチカ』の手稿を入手したのはローマではなく,それをステノがローマにもっていったという可能性まで想定しておかなければならないでしょう。チルンハウスがローマにいたということは,『スピノザー読む人の肖像』では確定的に記述されていますが,これを史実としてよいという情報は示されていませんので,そういう可能性がまったくなかったとは僕はいいません。
しかし,スチュアートがいっていることはたぶん史実ではありません。『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』は元来は脚本として書くことを意図されていた内容であって,そこにはおそらくスチュアートの脚色が入っていて,この部分はおそらくそのひとつであると僕は思います。ステノとライプニッツが一緒に仕事をしていたという情報を僕はほかに知りませんし,そもそもステノがこのときにライプニッツと一緒にいたことも疑わしいのです。
あらかじめいっておいたように,この部分はライプニッツはスピノザの遺稿集Opera Posthumaが発刊されるのを楽しみにしていたというエピソードとして,たぶん創作されています。ただこの脚色は,脚色としてはよくできたものだとは思います。仮にステノとライプニッツが一緒に仕事をしていて,それならライプニッツはステノに,スピノザの遺稿集の出版の準備が進んでいて,その編集をしているのがだれであるのかということを教えたのかといえば,やはり教えることはなかったであろうからです。ライプニッツはカトリックとプロテスタントの統一を真剣に考えていたくらいですから,教会の有力者の知人がまったくいなかったとは考えられません。
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