昨年末の全日本2歳優駿を勝ち,先日のUAEダービーを鮮やかに逃げ切ったデルマソトガケの3代母は1981年にアメリカで産まれたエイプリルソネットという馬で,日本での基礎繁殖牝馬となります。ビューチフルドリーマーと同じくファミリーナンバーは12。
アメリカで2頭の産駒を産んでから輸入されました。1990年から2004年までの間に13頭の産駒を日本で産み,そのうちの7頭が牝馬であったため,牝系が広がっていきました。
一族から最初の重賞の勝ち馬は,1997年に産まれた牝馬から出ています。この馬は競走馬としてもオープンを勝つなど活躍しました。この馬が2004年に産んだのがミリオンディスク。2009年にカペラステークスを勝って一族にとって初の重賞制覇を達成。翌2010年には北海道スプリントカップも勝ちました。
ミリオンディスクの6つ下の半妹がアムールポエジー。こちらは2013年に関東オークスを勝っています。そして繁殖牝馬となってからはデルマソトガケの母になりました。
デルマソトガケは一族の最初の大レースの勝ち馬というわけではありません。エイプリルソネットが1992年に産んだ牝馬の孫に,ワイドファラオがいます。2019年にニュージーランドトロフィーとユニコーンステークスを勝つと,翌2020年にはかしわ記念を勝っています。
デルマソトガケまでで一族からの重賞の勝ち馬は4頭しかいません。ただ未勝利で終わるような馬はそれほど出ていない一族です。こうした一族が代を経て活躍馬を量産するようになるということはそれなりにあることですから,エイプリルソネットがそのような基礎繁殖牝馬となる可能性は残っていると思われます。
第二部自然学①補助定理二は,第二部定理三八系を論証するにあたっては有効ではありません。この系Corollariumは,現実的に存在する人間は外部の物体corpusと何らかの関係をもつことを前提しているといえます。このことを暗黙の前提とすることについては,僕は否定しません。第二部自然学②要請三から明白だといえるからです。また現実的に存在する人間の精神mens humanaによる認識cognitioについていうなら,第二部定理一四から明らかだといえるでしょう。逆にいえばスピノザは第二部定理三八系を証明するにあたっては,これらの要請Postulatumと定理Propositioとに合わせて訴求する方がよかったであろうと僕は思います。
これはスピノザの過失といえば過失といえるのかもしれません。この過失はきわめて微細なものであって,僕にとってはさして問題とするに値するようなものではありません。ただ,ドゥルーズGille Deleuzeが第二部定理三八と第二部定理三九を,共通概念notiones communesの適用の論理と形成の論理とに分けて考えているということに対しては,いくらかの影響を与えた可能性も残ります。少なくとも第二部定理三八系を第二部定理三八と合わせて理解するなら,いい換えれば定理と系を一体化したものと考えるのであれば,第二部定理三八と第二部定理三九を,ドゥルーズが示したような仕方で分節することはできなかったかもしれないからです。
ここまで僕が示してきたことは,第二部定理三七および第二部定理三八で,すべてのものに共通するといわれているときの,共通ということをどのように解するべきなのかということと関係してきます。もっとも第二部定理三七は,すべてのものに共通するものは個物res singularisの本性essentiaを構成しないといわれているだけであり,この個物の本性というのは現実的に存在するある個物,現実的に存在する物体corpusの本性と解することができますから,単にすべての物体に共通するものと理解してもよいかもしれません。しかし第二部定理三八は共通するものの観念ideaについて言及されているのですから,それと同じように解することはできません。その共通するものの観念は,現実的に存在する外部の物体と接触することによって,接触した人間の精神のうちに形成されるということになっているからです。
アメリカで2頭の産駒を産んでから輸入されました。1990年から2004年までの間に13頭の産駒を日本で産み,そのうちの7頭が牝馬であったため,牝系が広がっていきました。
一族から最初の重賞の勝ち馬は,1997年に産まれた牝馬から出ています。この馬は競走馬としてもオープンを勝つなど活躍しました。この馬が2004年に産んだのがミリオンディスク。2009年にカペラステークスを勝って一族にとって初の重賞制覇を達成。翌2010年には北海道スプリントカップも勝ちました。
ミリオンディスクの6つ下の半妹がアムールポエジー。こちらは2013年に関東オークスを勝っています。そして繁殖牝馬となってからはデルマソトガケの母になりました。
デルマソトガケは一族の最初の大レースの勝ち馬というわけではありません。エイプリルソネットが1992年に産んだ牝馬の孫に,ワイドファラオがいます。2019年にニュージーランドトロフィーとユニコーンステークスを勝つと,翌2020年にはかしわ記念を勝っています。
デルマソトガケまでで一族からの重賞の勝ち馬は4頭しかいません。ただ未勝利で終わるような馬はそれほど出ていない一族です。こうした一族が代を経て活躍馬を量産するようになるということはそれなりにあることですから,エイプリルソネットがそのような基礎繁殖牝馬となる可能性は残っていると思われます。
第二部自然学①補助定理二は,第二部定理三八系を論証するにあたっては有効ではありません。この系Corollariumは,現実的に存在する人間は外部の物体corpusと何らかの関係をもつことを前提しているといえます。このことを暗黙の前提とすることについては,僕は否定しません。第二部自然学②要請三から明白だといえるからです。また現実的に存在する人間の精神mens humanaによる認識cognitioについていうなら,第二部定理一四から明らかだといえるでしょう。逆にいえばスピノザは第二部定理三八系を証明するにあたっては,これらの要請Postulatumと定理Propositioとに合わせて訴求する方がよかったであろうと僕は思います。
これはスピノザの過失といえば過失といえるのかもしれません。この過失はきわめて微細なものであって,僕にとってはさして問題とするに値するようなものではありません。ただ,ドゥルーズGille Deleuzeが第二部定理三八と第二部定理三九を,共通概念notiones communesの適用の論理と形成の論理とに分けて考えているということに対しては,いくらかの影響を与えた可能性も残ります。少なくとも第二部定理三八系を第二部定理三八と合わせて理解するなら,いい換えれば定理と系を一体化したものと考えるのであれば,第二部定理三八と第二部定理三九を,ドゥルーズが示したような仕方で分節することはできなかったかもしれないからです。
ここまで僕が示してきたことは,第二部定理三七および第二部定理三八で,すべてのものに共通するといわれているときの,共通ということをどのように解するべきなのかということと関係してきます。もっとも第二部定理三七は,すべてのものに共通するものは個物res singularisの本性essentiaを構成しないといわれているだけであり,この個物の本性というのは現実的に存在するある個物,現実的に存在する物体corpusの本性と解することができますから,単にすべての物体に共通するものと理解してもよいかもしれません。しかし第二部定理三八は共通するものの観念ideaについて言及されているのですから,それと同じように解することはできません。その共通するものの観念は,現実的に存在する外部の物体と接触することによって,接触した人間の精神のうちに形成されるということになっているからです。
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