国内最北,函館競輪場で14日から争われてきた第63回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは武田-神山の茨城栃木,深谷-山口の中部,脇本-村上の近畿,井上-合志の九州で,柏野は単騎。
スタートは柏野が取りましたが,これは単騎なので,隊列が決まるまでには少しの時間を要しました。最終的に誘導の後ろに入ったのは武田で,引いた柏野が3番手に入り直し,4番手は深谷。6番手が脇本で8番手から井上という周回に。残り2周のホームに入るところで井上がレースを動かし武田を叩くと,脇本に合わせて深谷も発進。バックでは脇本が前に出て深谷が3番手となって打鐘でしたが,動きなおした武田が3番手のインに潜り込んで深谷と並走。ずっと外を回ることになった深谷はバックからさらに加速していきましたが,村上の牽制もあり,また脇本の掛かりもよくて叩けず。この状況を窺っていた武田が村上と脇本の間を突く形となり,直線では脇本を交わして優勝。脇本が2着に逃げ粘り,武田マークの神山が合志の急襲を僅かに凌いで3着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/b7/5f8aa6083778910b793af3be66e77286.jpg)
優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の西武園記念からの連続優勝。ビッグは2月の東王座戦以来となる9勝目で,GⅠは2009年のオールスター以来の3勝目。高松宮記念杯は初優勝。最近はたまに強引と思えるようなレースをすることもあるのですが,ここは落ち着いて位置を取ることができたのが最大の勝因でしょう。脇本と深谷の先行争いがあるとみて,最有力候補と思っていましたが,井上より前に位置できましたから,僕が予想していたほどの先行争いとはならなかったのですが,最良の番手で運行できたといえるのではないかと思います。
2着でしたが脇本も強かったと思います。近いうちにビッグに手が届くのではないでしょうか。
ロサンゼルスの伯母のクレジットカードから手数料を支払うという形でESTAの申請も完了しましたので,母と妹の渡米は事前の予定通りになされました。したがって2月9日からは,母と妹が不在の生活が始まったわけです。
母と妹は,以前は年に1度は渡米していたわけですから,こうした生活というのはそれまでにもありました。ただ,前回の渡米がまだ父の最期を迎える前であったということは,それまでの渡米中は,僕と父とのふたりでの生活であったということです。いい換えれば父の死があって以降は,初となる母と妹の渡米ですから,今回は僕ひとりでの日本での生活というパターンになったわけで,これは初めてでした。よって当然ながら,一切の家事というのを僕がひとりでこなすという状況になったわけです。それ以前も,食事の支度などは,父がやることがなかったわけではありませんが,僕もやっていたわけで,この方面ではそれまでとあまり変わるところはありませんでした。ただ,洗濯とかゴミ出しなどは父がしていましたから,その分だけ負担が増えたといえば増えたことになります。ただ,僕ひとり分だけの洗濯でしたから,毎日やらなければならなかったというわけでもなく,とくに大変であったというわけではありません。そもそも父の死後,母が入院している間は,僕と妹のふたりで生活していたわけで,その間は僕のことだけでなく妹のこともやらなければならなかったわけですから,むしろそのときと比べたら楽であったということができるかと思います。
そしてこの渡米の間,とりたてて問題となるようなことは起こりませんでした。ただ,2月12日の日曜日に,夕食前のインスリンの注射をした後,注射器を抜くと,針がやけに大きく曲がっていました。そのときはとくに痛みもなく,ずいぶんと曲がったなと思ったくらいであまり気にも留めなかったのですが,翌日になってその注射した部分を見てみますと,ひどく内出血していました。注射の打ち方に関しては,入院中に薬剤師から注意があって,それでも内出血することはそれまでにもあったのですが,このときほど大きな跡が残ったのは初めてでした。たぶん力が入り過ぎ,針が曲がってしまい,そこから出血したのだろうと思います。
スタートは柏野が取りましたが,これは単騎なので,隊列が決まるまでには少しの時間を要しました。最終的に誘導の後ろに入ったのは武田で,引いた柏野が3番手に入り直し,4番手は深谷。6番手が脇本で8番手から井上という周回に。残り2周のホームに入るところで井上がレースを動かし武田を叩くと,脇本に合わせて深谷も発進。バックでは脇本が前に出て深谷が3番手となって打鐘でしたが,動きなおした武田が3番手のインに潜り込んで深谷と並走。ずっと外を回ることになった深谷はバックからさらに加速していきましたが,村上の牽制もあり,また脇本の掛かりもよくて叩けず。この状況を窺っていた武田が村上と脇本の間を突く形となり,直線では脇本を交わして優勝。脇本が2着に逃げ粘り,武田マークの神山が合志の急襲を僅かに凌いで3着。
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優勝した茨城の武田豊樹選手は前回出走の西武園記念からの連続優勝。ビッグは2月の東王座戦以来となる9勝目で,GⅠは2009年のオールスター以来の3勝目。高松宮記念杯は初優勝。最近はたまに強引と思えるようなレースをすることもあるのですが,ここは落ち着いて位置を取ることができたのが最大の勝因でしょう。脇本と深谷の先行争いがあるとみて,最有力候補と思っていましたが,井上より前に位置できましたから,僕が予想していたほどの先行争いとはならなかったのですが,最良の番手で運行できたといえるのではないかと思います。
2着でしたが脇本も強かったと思います。近いうちにビッグに手が届くのではないでしょうか。
ロサンゼルスの伯母のクレジットカードから手数料を支払うという形でESTAの申請も完了しましたので,母と妹の渡米は事前の予定通りになされました。したがって2月9日からは,母と妹が不在の生活が始まったわけです。
母と妹は,以前は年に1度は渡米していたわけですから,こうした生活というのはそれまでにもありました。ただ,前回の渡米がまだ父の最期を迎える前であったということは,それまでの渡米中は,僕と父とのふたりでの生活であったということです。いい換えれば父の死があって以降は,初となる母と妹の渡米ですから,今回は僕ひとりでの日本での生活というパターンになったわけで,これは初めてでした。よって当然ながら,一切の家事というのを僕がひとりでこなすという状況になったわけです。それ以前も,食事の支度などは,父がやることがなかったわけではありませんが,僕もやっていたわけで,この方面ではそれまでとあまり変わるところはありませんでした。ただ,洗濯とかゴミ出しなどは父がしていましたから,その分だけ負担が増えたといえば増えたことになります。ただ,僕ひとり分だけの洗濯でしたから,毎日やらなければならなかったというわけでもなく,とくに大変であったというわけではありません。そもそも父の死後,母が入院している間は,僕と妹のふたりで生活していたわけで,その間は僕のことだけでなく妹のこともやらなければならなかったわけですから,むしろそのときと比べたら楽であったということができるかと思います。
そしてこの渡米の間,とりたてて問題となるようなことは起こりませんでした。ただ,2月12日の日曜日に,夕食前のインスリンの注射をした後,注射器を抜くと,針がやけに大きく曲がっていました。そのときはとくに痛みもなく,ずいぶんと曲がったなと思ったくらいであまり気にも留めなかったのですが,翌日になってその注射した部分を見てみますと,ひどく内出血していました。注射の打ち方に関しては,入院中に薬剤師から注意があって,それでも内出血することはそれまでにもあったのですが,このときほど大きな跡が残ったのは初めてでした。たぶん力が入り過ぎ,針が曲がってしまい,そこから出血したのだろうと思います。
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