玉野競輪場で行われた昨日の広島記念の決勝。並びは新山‐菅田‐渡部の北日本,太田‐松浦‐池田の山陽で鈴木と佐々木と山田は単騎。
菅田がスタートを取って新山の前受け。4番手に鈴木,5番手に佐々木,6番手に太田,最後尾に山田で周回。残り3周のバックから太田が上昇を開始。山田が続きました。誘導との車間を開けてバンクの中腹まで上って新山が待ち構えると,バンクの上段まで上がった太田がホームから山おろしを掛けるように発進。新山は突っ張ろうとしましたが太田が叩き,山田まで出きると,鈴木が山田の後ろにスイッチし,そこに佐々木も続いて新山が7番手に。バックで鈴木が内を掬うと山田が弾かれ,鈴木が4番手,佐々木が5番手,山田が6番手となって打鐘。松浦は太田との車間を開けて後ろを牽制。バックから佐々木が発進していくと松浦も番手捲りを敢行。松浦マークの池田が佐々木を牽制。番手から出た松浦が後ろを引き離して優勝。佐々木マークのようなレースから直線で池田と佐々木の間を突いた山田が3車身差で2着。池田が半車輪差で3着。
優勝した広島の松浦悠士選手は9月の岐阜記念以来の優勝で記念競輪22勝目。広島記念は2018年,2021年,2022年と優勝していて2年ぶりの4勝目。玉野では2022年のサマーナイトフェスティバルと今年の記念競輪も優勝しています。このレースは太田と新山の先行争いがあるかどうかがひとつの焦点。太田がすんなりと先行することができましたので,番手の松浦にとってとても有利になりました。近年に比べると苦労した1年でしたが,脚力は戻ってきているようですので,来年は期待できるのではないでしょうか。
吉田は何も触れていないのですが,ここの部分には重要な点が含まれていると僕は考えています。
『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』は,匿名で出版されたのですが,著者がスピノザであるということは公然の事実でした。だから書簡四十二はフェルトホイゼンLambert van Velthuysenの論考を求めたオーステンスJacob Ostensがスピノザに送ったのですし,スピノザは自身が著者であることを隠そうとせずオーステンスに宛てて書簡四十三という返信を書いています。またライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに宛てた書簡四十六ではスピノザは私の『神学・政治論』といういい方をしていますし,書簡七十によればスピノザは自著として『神学・政治論』をホイヘンスChristiaan Huygensに献本しています。もちろんこうしたことは書簡の中のことであって,書簡を交わし合うような仲の人物に対しては『神学・政治論』が自著であるということを隠す必要はないとスピノザが考えていたがゆえであったかもしれません。しかしそこでそのことを否定する必要がないほど,『神学・政治論』の著者がスピノザであるということは公然の秘密であったからだという見方もできると思います。
ステノNicola Steno自身も書簡六十七の二の中で,『神学・政治論』という名前こそ出していませんが,それと理解できるような文章において,その本がスピノザの手によるものだと多くの人がいっているし,自分もそう思っているといっています。もしもスピノザがステノに対して『神学・政治論』を献本していれば,はっきりとそういいきれた筈ですから,スピノザはおそらくステノには『神学・政治論』を献本しなかったのでしょう。書簡七十六の内容によって,スピノザはステノがカトリックに改宗したことは間違いなく知っていました。研究活動よりも宗教活動に中心を移行したということももしかしたら知っていたのかもしれません。それはおそらく,書簡六十七の二の中でステノがいっているように,ステノがイタリアに移ってからもスピノザとステノは疎遠ではなかったため,ステノがスピノザにそれを知らせたからでしょう。すでに指摘しておいたように,遅くとも『神学・政治論』が出版された時点では,ステノはカトリックに改宗していましたから,そのことが影響したと思われます。
菅田がスタートを取って新山の前受け。4番手に鈴木,5番手に佐々木,6番手に太田,最後尾に山田で周回。残り3周のバックから太田が上昇を開始。山田が続きました。誘導との車間を開けてバンクの中腹まで上って新山が待ち構えると,バンクの上段まで上がった太田がホームから山おろしを掛けるように発進。新山は突っ張ろうとしましたが太田が叩き,山田まで出きると,鈴木が山田の後ろにスイッチし,そこに佐々木も続いて新山が7番手に。バックで鈴木が内を掬うと山田が弾かれ,鈴木が4番手,佐々木が5番手,山田が6番手となって打鐘。松浦は太田との車間を開けて後ろを牽制。バックから佐々木が発進していくと松浦も番手捲りを敢行。松浦マークの池田が佐々木を牽制。番手から出た松浦が後ろを引き離して優勝。佐々木マークのようなレースから直線で池田と佐々木の間を突いた山田が3車身差で2着。池田が半車輪差で3着。
優勝した広島の松浦悠士選手は9月の岐阜記念以来の優勝で記念競輪22勝目。広島記念は2018年,2021年,2022年と優勝していて2年ぶりの4勝目。玉野では2022年のサマーナイトフェスティバルと今年の記念競輪も優勝しています。このレースは太田と新山の先行争いがあるかどうかがひとつの焦点。太田がすんなりと先行することができましたので,番手の松浦にとってとても有利になりました。近年に比べると苦労した1年でしたが,脚力は戻ってきているようですので,来年は期待できるのではないでしょうか。
吉田は何も触れていないのですが,ここの部分には重要な点が含まれていると僕は考えています。
『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』は,匿名で出版されたのですが,著者がスピノザであるということは公然の事実でした。だから書簡四十二はフェルトホイゼンLambert van Velthuysenの論考を求めたオーステンスJacob Ostensがスピノザに送ったのですし,スピノザは自身が著者であることを隠そうとせずオーステンスに宛てて書簡四十三という返信を書いています。またライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに宛てた書簡四十六ではスピノザは私の『神学・政治論』といういい方をしていますし,書簡七十によればスピノザは自著として『神学・政治論』をホイヘンスChristiaan Huygensに献本しています。もちろんこうしたことは書簡の中のことであって,書簡を交わし合うような仲の人物に対しては『神学・政治論』が自著であるということを隠す必要はないとスピノザが考えていたがゆえであったかもしれません。しかしそこでそのことを否定する必要がないほど,『神学・政治論』の著者がスピノザであるということは公然の秘密であったからだという見方もできると思います。
ステノNicola Steno自身も書簡六十七の二の中で,『神学・政治論』という名前こそ出していませんが,それと理解できるような文章において,その本がスピノザの手によるものだと多くの人がいっているし,自分もそう思っているといっています。もしもスピノザがステノに対して『神学・政治論』を献本していれば,はっきりとそういいきれた筈ですから,スピノザはおそらくステノには『神学・政治論』を献本しなかったのでしょう。書簡七十六の内容によって,スピノザはステノがカトリックに改宗したことは間違いなく知っていました。研究活動よりも宗教活動に中心を移行したということももしかしたら知っていたのかもしれません。それはおそらく,書簡六十七の二の中でステノがいっているように,ステノがイタリアに移ってからもスピノザとステノは疎遠ではなかったため,ステノがスピノザにそれを知らせたからでしょう。すでに指摘しておいたように,遅くとも『神学・政治論』が出版された時点では,ステノはカトリックに改宗していましたから,そのことが影響したと思われます。
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