12月28日に静岡競輪場で行われたヤンググランプリ。並びは中野‐大川の北日本,村田‐纐纈の中部,太田‐真鍋の瀬戸内,後藤‐東矢の九州で山口は単騎。
スタートを取りにいったのは中野と村田。中野が誘導の後ろに入って前受け。3番手に太田,5番手に後藤,7番手に村田,最後尾に山口で周回。残り2周のホームから村田が一気に動いていき中野を叩きました。その外から後藤が発進。バックで村田を叩いて打鐘。このラインを追ったのが太田でしたが,マークの真鍋が山口に絡まれたために離れてしまい単騎の動きに。太田の動きを追った中野が後藤を叩いた太田の番手に嵌りました。村田が巻き返しにいきましたが,中野が番手から前に出ようとしたため外を回らされて失速。抜きにいった中野に対して太田が頑張ったので直線は競り合い。太田が中野を張るために外に出たため,空いた内を村田の番手から進路を変更した纐纈が突いて優勝。中野が半車身差で2着。中野の外から伸びてきた東矢が半車身差の3着で太田は半車輪差の4着。
優勝した愛知の纐纈洸翔選手は6月の福井のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは中野と太田の力がほかの選手より明らかに一枚は上回っていました。ただそのふたりが残り半周ほどを競り合うことになったため互いに力を消耗。その隙を纐纈が突いたという形の優勝。村田の捲りは外をいったものだったのですが,直線の手前でうまく進路を内に切り替えたのが功を奏しました。レース巧者というタイプなのだと思います。
錯覚をしたり誤謬errorを犯したり夢を見たりすることはあるとしても,そのことを考えているのが自身であることは変わりありません。したがって,自身が何かを考えているということは確かに成立しているとデカルトRené Descartesは気付きました。ということは,その考えている主体subjectumである自分自身が存在しているということもまた成立しているとデカルトは結論しました。したがって,自身が向き合っている世界は不確実で頼りないものとデカルトは疑い得たとしても,その不確実で頼りない世界と向き合っている自分自身が存在しているということは確実である,つまり疑い得ないとデカルトは結論したことになります。これが「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」といわれるデカルトの第一の結論です。
この吉田の説明は,「我思うゆえに我あり」という結論を導きやすいようになっています。この部分は次のように説明された方が理解は容易だと思います。
デカルトはどんな事柄もとりあえず疑ってみるという方法を採用しました。この方法を採用すれば,吉田がいっている通り,大概のことは疑い得るのであって,少なくとも自身が向き合っている世界のうちには疑い得ないようなものは何もないのです。ただし,どんな事柄でも疑うという自身の思惟作用は確かに存在するのであって,デカルトがすべてを疑うとすれば,デカルトがすべてを疑っているということはデカルトには否定できない事実だったのです。だから疑っている自分自身が存在しているということについてはデカルトは疑い得なくなったのであり,それは確実なことであるということが第一の結論になったのです。よって,ここで我ありといわれている我というのは,疑っている我という意味にほかなりません。疑うのは思惟作用ですから,その主体を措定するとすればそれはデカルトの精神mensということになるでしょう。つまりデカルトは自身の精神,すべての事柄についてそれを疑っている自身の精神が存在するということは確実で疑い得ないと結論したのであって,身体corpusをもつ物体的存在としてのデカルトが存在するということを確実と結論したのではありません。むしろそれについてはデカルトは疑い得ると考えていたのです。
スタートを取りにいったのは中野と村田。中野が誘導の後ろに入って前受け。3番手に太田,5番手に後藤,7番手に村田,最後尾に山口で周回。残り2周のホームから村田が一気に動いていき中野を叩きました。その外から後藤が発進。バックで村田を叩いて打鐘。このラインを追ったのが太田でしたが,マークの真鍋が山口に絡まれたために離れてしまい単騎の動きに。太田の動きを追った中野が後藤を叩いた太田の番手に嵌りました。村田が巻き返しにいきましたが,中野が番手から前に出ようとしたため外を回らされて失速。抜きにいった中野に対して太田が頑張ったので直線は競り合い。太田が中野を張るために外に出たため,空いた内を村田の番手から進路を変更した纐纈が突いて優勝。中野が半車身差で2着。中野の外から伸びてきた東矢が半車身差の3着で太田は半車輪差の4着。
優勝した愛知の纐纈洸翔選手は6月の福井のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは中野と太田の力がほかの選手より明らかに一枚は上回っていました。ただそのふたりが残り半周ほどを競り合うことになったため互いに力を消耗。その隙を纐纈が突いたという形の優勝。村田の捲りは外をいったものだったのですが,直線の手前でうまく進路を内に切り替えたのが功を奏しました。レース巧者というタイプなのだと思います。
錯覚をしたり誤謬errorを犯したり夢を見たりすることはあるとしても,そのことを考えているのが自身であることは変わりありません。したがって,自身が何かを考えているということは確かに成立しているとデカルトRené Descartesは気付きました。ということは,その考えている主体subjectumである自分自身が存在しているということもまた成立しているとデカルトは結論しました。したがって,自身が向き合っている世界は不確実で頼りないものとデカルトは疑い得たとしても,その不確実で頼りない世界と向き合っている自分自身が存在しているということは確実である,つまり疑い得ないとデカルトは結論したことになります。これが「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」といわれるデカルトの第一の結論です。
この吉田の説明は,「我思うゆえに我あり」という結論を導きやすいようになっています。この部分は次のように説明された方が理解は容易だと思います。
デカルトはどんな事柄もとりあえず疑ってみるという方法を採用しました。この方法を採用すれば,吉田がいっている通り,大概のことは疑い得るのであって,少なくとも自身が向き合っている世界のうちには疑い得ないようなものは何もないのです。ただし,どんな事柄でも疑うという自身の思惟作用は確かに存在するのであって,デカルトがすべてを疑うとすれば,デカルトがすべてを疑っているということはデカルトには否定できない事実だったのです。だから疑っている自分自身が存在しているということについてはデカルトは疑い得なくなったのであり,それは確実なことであるということが第一の結論になったのです。よって,ここで我ありといわれている我というのは,疑っている我という意味にほかなりません。疑うのは思惟作用ですから,その主体を措定するとすればそれはデカルトの精神mensということになるでしょう。つまりデカルトは自身の精神,すべての事柄についてそれを疑っている自身の精神が存在するということは確実で疑い得ないと結論したのであって,身体corpusをもつ物体的存在としてのデカルトが存在するということを確実と結論したのではありません。むしろそれについてはデカルトは疑い得ると考えていたのです。
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