戸口の雑感⑮でいったように,戸口が全日本プロレスでの仕事を終えたのは,1981年でした。この直前に,戸口はジャンボ・鶴田と一緒に会場で馬場に呼ばれ,もうすぐ身を引くのでふたりで会社を仕切っていくように言われたといっています。1981年3月31日のことだと推定されています。戸口はそのように言われたので,全日本プロレスのブッカーをやってもいいと思ったし,馬場もそれを望んでいたのだろうと語っていますが,これは一概に戸口が正しく判断しているとはいえない一面があります。
これも⑮でいったことですが,この時期は全日本プロレスが経営的に最も厳しい時期でした。これを立て直すために,日本テレビから出向を受け入れたのです。馬場は本当はそんなことはしたくなかった筈で,これは仕方がなく受け入れたということでしょう。ですから,馬場は日本テレビから出向してくる人物が全日本プロレスの社長になるくらいであれば,鶴田と戸口に経営を任せてしまった方がまだましだと思っていたからこのように言ったという可能性がありますし,すでに出向してくるのが決まっていて,その場合には自身が選手として第一線を退かなければならないという覚悟があって,鶴田と戸口に対してそのように言ったという可能性もあります。このあたりのことは馬場がどう思っていたかを確認することができない以上は事実を確定させることができません。少なくとも馬場が本心からそうしたいと思って,鶴田と戸口にこのような話をしたという可能性は低いのではないかと僕には思えます。
戸口はこの話を受けて,日本に定住しようと思い,当時はアメリカに住んでいた家族を日本に呼ぼうと思いました。そのために飛行機代を馬場に出してくれるように頼んだのですが,馬場はそれを断りました。戸口はこの一件が,全日本プロレスで仕事をすることをやめる契機になったというように言っていますが,これはさすがに誇張です。これが誇張であるということは,戸口自身の発言からも裏付けることができると僕は考えています。
第二部定理八備考を記述するにあたって,スピノザがユークリッド原論第3巻命題35を念頭に置いていることは確実と僕は考えます。そこでもしそのことをあらかじめ知っているのであるとしたら,スピノザの記述がその命題に見合うように訳された方がよいと考えておかしくありません。したがってその場合は,無限に多くのinfinita相互に等しい矩形が含まれている,と邦訳した方が,相互に等しい無限に多くの矩形が含まれている,と訳すよりも,命題に見合っているのであるとしたら,前者の訳が適切で,後者の訳は適切ではないということになるでしょう。だから,河井がこの点に注意を促すのも,理由がないというわけではありません。河井自身がいっているように,無限に多くの,という部分の順序が入れ替わってしまうだけで,それが命題からの引用であるということに気付かなくなってしまう読者がいないとも限らないからです。なので,僕はそれでこの部分の意味が変わってしまうというわけではないから,この点を深く追求する必要はないと考えますが,河井がこれを追及する理由がないわけではないということも認めます。
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ゲプハルト版というのはスピノザの著作の原本として最も有名なもので,おそらく最も信頼に値するものでしょう。だからそれを利用して訳出された『エチカ』というのは,畠中による日本語版だけではありません。河井によれば,カイヨワRoger Cailloisは訳するにあたって,自身で図を加筆しています。アウエルバッハErich Auerbachは訳注として,ユークリッド原論への言及があります。カーリーEdwin Curleyも同じように,ユークリッド原論への指示をしているようです。こうした外国語の文献と比較した場合にも,岩波文庫版にも命題に関する訳注が入っているべきだと河井が考えてもおかしくないでしょう。つまりこうした各国語版との比較という観点からも,河井がこの点を追及する根拠はあるということになります。
この命題は,カントImmanuel Kantも援用していると河井は指摘しています。そしてカントもそれを援用するときに,スピノザと同様に,それがユークリッド原論第3巻命題35の引用であるということには触れていないようです。この命題はそれだけ有名なのでしょう。
これも⑮でいったことですが,この時期は全日本プロレスが経営的に最も厳しい時期でした。これを立て直すために,日本テレビから出向を受け入れたのです。馬場は本当はそんなことはしたくなかった筈で,これは仕方がなく受け入れたということでしょう。ですから,馬場は日本テレビから出向してくる人物が全日本プロレスの社長になるくらいであれば,鶴田と戸口に経営を任せてしまった方がまだましだと思っていたからこのように言ったという可能性がありますし,すでに出向してくるのが決まっていて,その場合には自身が選手として第一線を退かなければならないという覚悟があって,鶴田と戸口に対してそのように言ったという可能性もあります。このあたりのことは馬場がどう思っていたかを確認することができない以上は事実を確定させることができません。少なくとも馬場が本心からそうしたいと思って,鶴田と戸口にこのような話をしたという可能性は低いのではないかと僕には思えます。
戸口はこの話を受けて,日本に定住しようと思い,当時はアメリカに住んでいた家族を日本に呼ぼうと思いました。そのために飛行機代を馬場に出してくれるように頼んだのですが,馬場はそれを断りました。戸口はこの一件が,全日本プロレスで仕事をすることをやめる契機になったというように言っていますが,これはさすがに誇張です。これが誇張であるということは,戸口自身の発言からも裏付けることができると僕は考えています。
第二部定理八備考を記述するにあたって,スピノザがユークリッド原論第3巻命題35を念頭に置いていることは確実と僕は考えます。そこでもしそのことをあらかじめ知っているのであるとしたら,スピノザの記述がその命題に見合うように訳された方がよいと考えておかしくありません。したがってその場合は,無限に多くのinfinita相互に等しい矩形が含まれている,と邦訳した方が,相互に等しい無限に多くの矩形が含まれている,と訳すよりも,命題に見合っているのであるとしたら,前者の訳が適切で,後者の訳は適切ではないということになるでしょう。だから,河井がこの点に注意を促すのも,理由がないというわけではありません。河井自身がいっているように,無限に多くの,という部分の順序が入れ替わってしまうだけで,それが命題からの引用であるということに気付かなくなってしまう読者がいないとも限らないからです。なので,僕はそれでこの部分の意味が変わってしまうというわけではないから,この点を深く追求する必要はないと考えますが,河井がこれを追及する理由がないわけではないということも認めます。
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ゲプハルト版というのはスピノザの著作の原本として最も有名なもので,おそらく最も信頼に値するものでしょう。だからそれを利用して訳出された『エチカ』というのは,畠中による日本語版だけではありません。河井によれば,カイヨワRoger Cailloisは訳するにあたって,自身で図を加筆しています。アウエルバッハErich Auerbachは訳注として,ユークリッド原論への言及があります。カーリーEdwin Curleyも同じように,ユークリッド原論への指示をしているようです。こうした外国語の文献と比較した場合にも,岩波文庫版にも命題に関する訳注が入っているべきだと河井が考えてもおかしくないでしょう。つまりこうした各国語版との比較という観点からも,河井がこの点を追及する根拠はあるということになります。
この命題は,カントImmanuel Kantも援用していると河井は指摘しています。そしてカントもそれを援用するときに,スピノザと同様に,それがユークリッド原論第3巻命題35の引用であるということには触れていないようです。この命題はそれだけ有名なのでしょう。
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