大レースの谷間にあたる第43回佐賀記念。
好発はクリノスターオー。外からキョウワカイザーが並び掛けていき,2頭が並んだまま1周目の正面に。ここでキョウワカイザーが前に出て,クリノスターオーが単独の2番手に。3番手がマイネルバイカ。マイネルクロップとマイネルバウンスが並んで続き,この後ろがストロングサウザー。ですが1コーナーを回るとマイネルバウンスが外を上昇。2周目の向正面に入るところでは2番手になり,さらに逃げたキョウワカイザーに並び掛けていきました。スローに近いくらいのミドルペースであったと思われます。
3コーナーでマイネルバウンスが先頭に。キョウワカイザーは後退し,マイネルクロップが2番手に。そして内をストロングサウザー,外からクリノスターオーが追撃。直線に入るとマイネルバウンスとマイネルクロップの間を突いたストロングサウザーが先頭に立ち,そのまま抜け出して優勝。マイネルクロップが2馬身半差で2着。外から迫ったクリノスターオーがクビ差の3着。
優勝したストロングサウザーは重賞初勝利。オープンでは勝っているものの,そのときの対戦相手からこのメンバーでは勝つというところまではどうかと思っていました。距離のロスを少なく乗った鞍上の手腕もありましたが,これだけの着差をつけていることを考慮すると,地方の馬場への適性も高かったのではないでしょうか。1800mを主戦場としていた馬ですが,距離は伸びた方がいいかもしれません。父はハーツクライ。Southerは南風。
騎乗した田辺裕伸騎手,管理している久保田貴士調教師は佐賀記念初勝利。
ホイヘンスが自作の機械を作った理由が,よりよいレンズを製作するためだったこと自体は疑い得ません。そしてその機械を実際に見たスピノザが,その機械自体はとても見事なものであると称賛し,しかしその機械を用いることによって高性能の球面レンズを製作するということについては疑問視したということも断定することができます。ここから分かるのは,スピノザが球面レンズを製作する職人的技術というのが,どんなに低く見積もったとしても,ホイヘンスと同等ではあったということです。また,スピノザの規準ではなくホイヘンスの規準から判断した場合には,ホイヘンスはその機械の導入によって,自身がなし得ていたそれまで以上の成果をあげることができたという可能性も否定できません。つまり蓋然性からすれば,スピノザの技術力は,ホイヘンスの技術力を上回っていたとする方が的確であることになります。
このことは,ホイヘンス自身が天体を観測するためにスピノザが研磨していたレンズを使用していたこと,そしてそのレンズを称賛していたことからも確かめられます。このことは端的にスピノザの技術力が自分よりも上位であるということを,ホイヘンスは認めていたということにほかならないからです。
現代的視点でいってもおそらく当時の視点からいっても,純粋な自然科学者としての実績はホイヘンスの方がスピノザよりもずっと上の筈です。そしてこの当時の自然科学者は,研究のための実験や観察に用いる道具を自前で準備する必要があったのです。するとホイヘンスよりもレンズを研磨する技術力に長けていたスピノザは,相当に腕が立つ職人であったと考えてよいでしょう。
これは望遠鏡のレンズに限った話ではありません。ケルクリングはスピノザが磨いていた顕微鏡のレンズを使用し,ホイヘンスがスピノザのレンズを称賛していたのと同じようにそのレンズのことを褒めています。つまりスピノザの技術力が秀でていたこと,いい換えればスピノザが,少なくとも球面のレンズに関しては,望遠鏡に限定されずもっと一般的な意味において超一流の職人であったことは,確定してよい史実であると僕は判断します。
好発はクリノスターオー。外からキョウワカイザーが並び掛けていき,2頭が並んだまま1周目の正面に。ここでキョウワカイザーが前に出て,クリノスターオーが単独の2番手に。3番手がマイネルバイカ。マイネルクロップとマイネルバウンスが並んで続き,この後ろがストロングサウザー。ですが1コーナーを回るとマイネルバウンスが外を上昇。2周目の向正面に入るところでは2番手になり,さらに逃げたキョウワカイザーに並び掛けていきました。スローに近いくらいのミドルペースであったと思われます。
3コーナーでマイネルバウンスが先頭に。キョウワカイザーは後退し,マイネルクロップが2番手に。そして内をストロングサウザー,外からクリノスターオーが追撃。直線に入るとマイネルバウンスとマイネルクロップの間を突いたストロングサウザーが先頭に立ち,そのまま抜け出して優勝。マイネルクロップが2馬身半差で2着。外から迫ったクリノスターオーがクビ差の3着。
優勝したストロングサウザーは重賞初勝利。オープンでは勝っているものの,そのときの対戦相手からこのメンバーでは勝つというところまではどうかと思っていました。距離のロスを少なく乗った鞍上の手腕もありましたが,これだけの着差をつけていることを考慮すると,地方の馬場への適性も高かったのではないでしょうか。1800mを主戦場としていた馬ですが,距離は伸びた方がいいかもしれません。父はハーツクライ。Southerは南風。
騎乗した田辺裕伸騎手,管理している久保田貴士調教師は佐賀記念初勝利。
ホイヘンスが自作の機械を作った理由が,よりよいレンズを製作するためだったこと自体は疑い得ません。そしてその機械を実際に見たスピノザが,その機械自体はとても見事なものであると称賛し,しかしその機械を用いることによって高性能の球面レンズを製作するということについては疑問視したということも断定することができます。ここから分かるのは,スピノザが球面レンズを製作する職人的技術というのが,どんなに低く見積もったとしても,ホイヘンスと同等ではあったということです。また,スピノザの規準ではなくホイヘンスの規準から判断した場合には,ホイヘンスはその機械の導入によって,自身がなし得ていたそれまで以上の成果をあげることができたという可能性も否定できません。つまり蓋然性からすれば,スピノザの技術力は,ホイヘンスの技術力を上回っていたとする方が的確であることになります。
このことは,ホイヘンス自身が天体を観測するためにスピノザが研磨していたレンズを使用していたこと,そしてそのレンズを称賛していたことからも確かめられます。このことは端的にスピノザの技術力が自分よりも上位であるということを,ホイヘンスは認めていたということにほかならないからです。
現代的視点でいってもおそらく当時の視点からいっても,純粋な自然科学者としての実績はホイヘンスの方がスピノザよりもずっと上の筈です。そしてこの当時の自然科学者は,研究のための実験や観察に用いる道具を自前で準備する必要があったのです。するとホイヘンスよりもレンズを研磨する技術力に長けていたスピノザは,相当に腕が立つ職人であったと考えてよいでしょう。
これは望遠鏡のレンズに限った話ではありません。ケルクリングはスピノザが磨いていた顕微鏡のレンズを使用し,ホイヘンスがスピノザのレンズを称賛していたのと同じようにそのレンズのことを褒めています。つまりスピノザの技術力が秀でていたこと,いい換えればスピノザが,少なくとも球面のレンズに関しては,望遠鏡に限定されずもっと一般的な意味において超一流の職人であったことは,確定してよい史実であると僕は判断します。
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