川崎の1400mで実施された第1回ネクストスター東日本。北海道から1頭が遠征してきました。
チャダルクンは発馬で立ち上がってしまい4馬身の不利。ライゾマティクスが逃げてギガースが2番手でマーク。3馬身ほど開いてクルマトラサンとスノーシュー。5番手にホークマン。6番手に内から追い上げてきたコスモカシアス。7番手に2コーナーで躓いたアムクラージュ。8番手にアジアミッション。9番手にエドノバンザイ。3馬身ほど開いてカプセル。11番手にコンバットスプーン。12番手にチャダルクン。13番手にパンセ。シナノスマイルは大きく離されてしまいました。最初の600mは37秒8のハイペース。
3コーナーからはライゾマティクスとギガースが雁行。4馬身ほど開いた3番手にクルマトラサン。スノーシュー,アジアミッションの順で続きました。ギガースは4コーナーで勢い余って外に膨れましたが,その勢いのまま単独の先頭に。そこからは抜け出して快勝。ライゾマティクスは一杯になり,ギガースよりも外から伸びたクルマトラサンが2馬身半差で2着。さらに外から追い込んできたアジアミッションがクビ差の3着。
優勝したギガースはニューイヤーカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。前走の雲取賞は大きく負けていましたが,これは重賞で相手が強かったということもあるでしょうし,距離の延長に対応できなかったというところもあったのでしょう。今日の内容からしても,現状は短距離の方が向いているのだと思います。母の父はジャングルポケット。3代母がステラマドリッドで祖母がダイヤモンドビコー。
騎乗した船橋の森泰斗騎手はニューイヤーカップ以来の南関東重賞57勝目。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞11勝目。
デカルトRené Descartesは『方法序説Discours de la méthode』で,そしてスピノザは『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』で,共に真verumなるものの探求に対する決意decretumを語っています。スピノザが『知性改善論』でそれを語ったのは,『方法序説』からの影響を受けたからかもしれません。しかし,それは著書にそれを書くか否かという点に関する影響なのであって,真なる事柄を探求しようと決意することに対する影響ではありません。デカルトはデカルトで,スピノザはスピノザで,それぞれ独自に真理veritasの探究を決意したのであって,その点ではデカルトもスピノザも共通していたと僕は解します。他面からいえば,たとえスピノザが『方法序説』から何らかの影響を受けたとしても,本当はそんな決意はしていなかったのに真理を探究することを決意したといったわけではないし,『方法序説』を読むことによって,デカルトに倣って真理を探究することを決意したのでもないというのが僕の見解opinioです。
この部分に注目したのがフーコーMichel Foucaultであったと國分は指摘しています。フーコーはデカルトもスピノザも倫理的決断の中に身を置いていたと『狂気の歴史Histoire de la folie à l'âge classique』の中でいっていると國分は指摘しています。僕はフーコーの著書はいくつか読んでいるのですが,『狂気の歴史』は未読です。ですからこのことが『狂気の歴史』の中で,どのような文脈の下に指摘されているのかということは分かりません。ただ,國分がそのようにいっているのですから,確かにフーコーがそのような指摘を行っているということについては確実視します。
フーコーは知の考古学者として,デカルトおよびスピノザの決意の理由を語っています。それは,狂気から身を引き剝がすためには,このような強い決意が必要であったということです。『知性改善論』の冒頭部分を読めば分かりますが,これは確かに強い決意なのです。スピノザは,名誉gloriaとか金銭nummusが自身にいろいろな利益を与えているということは知っているし,もし真理の探究に励むなら,そうした利益からは遠ざかるようになるということも分かっているけれども,それでも真理を探究することを決意したという主旨のことを語っているからです。つまり金も名誉もいらないと強く決意しているのです。
チャダルクンは発馬で立ち上がってしまい4馬身の不利。ライゾマティクスが逃げてギガースが2番手でマーク。3馬身ほど開いてクルマトラサンとスノーシュー。5番手にホークマン。6番手に内から追い上げてきたコスモカシアス。7番手に2コーナーで躓いたアムクラージュ。8番手にアジアミッション。9番手にエドノバンザイ。3馬身ほど開いてカプセル。11番手にコンバットスプーン。12番手にチャダルクン。13番手にパンセ。シナノスマイルは大きく離されてしまいました。最初の600mは37秒8のハイペース。
3コーナーからはライゾマティクスとギガースが雁行。4馬身ほど開いた3番手にクルマトラサン。スノーシュー,アジアミッションの順で続きました。ギガースは4コーナーで勢い余って外に膨れましたが,その勢いのまま単独の先頭に。そこからは抜け出して快勝。ライゾマティクスは一杯になり,ギガースよりも外から伸びたクルマトラサンが2馬身半差で2着。さらに外から追い込んできたアジアミッションがクビ差の3着。
優勝したギガースはニューイヤーカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。前走の雲取賞は大きく負けていましたが,これは重賞で相手が強かったということもあるでしょうし,距離の延長に対応できなかったというところもあったのでしょう。今日の内容からしても,現状は短距離の方が向いているのだと思います。母の父はジャングルポケット。3代母がステラマドリッドで祖母がダイヤモンドビコー。
騎乗した船橋の森泰斗騎手はニューイヤーカップ以来の南関東重賞57勝目。管理している船橋の佐藤裕太調教師は南関東重賞11勝目。
デカルトRené Descartesは『方法序説Discours de la méthode』で,そしてスピノザは『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』で,共に真verumなるものの探求に対する決意decretumを語っています。スピノザが『知性改善論』でそれを語ったのは,『方法序説』からの影響を受けたからかもしれません。しかし,それは著書にそれを書くか否かという点に関する影響なのであって,真なる事柄を探求しようと決意することに対する影響ではありません。デカルトはデカルトで,スピノザはスピノザで,それぞれ独自に真理veritasの探究を決意したのであって,その点ではデカルトもスピノザも共通していたと僕は解します。他面からいえば,たとえスピノザが『方法序説』から何らかの影響を受けたとしても,本当はそんな決意はしていなかったのに真理を探究することを決意したといったわけではないし,『方法序説』を読むことによって,デカルトに倣って真理を探究することを決意したのでもないというのが僕の見解opinioです。
この部分に注目したのがフーコーMichel Foucaultであったと國分は指摘しています。フーコーはデカルトもスピノザも倫理的決断の中に身を置いていたと『狂気の歴史Histoire de la folie à l'âge classique』の中でいっていると國分は指摘しています。僕はフーコーの著書はいくつか読んでいるのですが,『狂気の歴史』は未読です。ですからこのことが『狂気の歴史』の中で,どのような文脈の下に指摘されているのかということは分かりません。ただ,國分がそのようにいっているのですから,確かにフーコーがそのような指摘を行っているということについては確実視します。
フーコーは知の考古学者として,デカルトおよびスピノザの決意の理由を語っています。それは,狂気から身を引き剝がすためには,このような強い決意が必要であったということです。『知性改善論』の冒頭部分を読めば分かりますが,これは確かに強い決意なのです。スピノザは,名誉gloriaとか金銭nummusが自身にいろいろな利益を与えているということは知っているし,もし真理の探究に励むなら,そうした利益からは遠ざかるようになるということも分かっているけれども,それでも真理を探究することを決意したという主旨のことを語っているからです。つまり金も名誉もいらないと強く決意しているのです。
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