スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

妙手⑤&元旦

2009-08-08 19:18:28 | ポカと妙手etc
 これはどちらかといえば妙手よりもポカに属するのかもしれませんが,先月25日に行われた第3期マイナビ女子オープン予選一斉対局で,珍しい筋がありましたので紹介してみます。3組の1回戦より。
           
 相振飛車の序盤戦。ここから△3六歩▲同歩△同飛▲6八銀△6六飛(第2図)。
           
 このように横歩を取るのは相振飛車ではよくある狙い筋,部分的には先手の失敗なのですが,この場合は後手がすでに△5二金左を指していて,三間飛車なので当り前ですが△3三角は入っていないので,▲3二歩(第3図)の返し技がありました。
           
 △同銀では▲6七銀とされて困りますので△6八飛成でしたが▲同玉△6六銀▲3一歩成△7七銀成▲同桂で先手の銀得。開始30手前後でこの差はいかんともし難く,短手数で先手が勝っています。
 △5二金左は△3五歩よりも前に指された手。第1図は先手の誘いの隙であったといえそうです。

 多尿がありましたので相変わらず睡眠は断続的ではありましたが,何とか元旦を迎えることはできました。そして朝早く,まだ家族がだれも起き出さないうちに下に下りていって,冷蔵庫に入っていたトマトをひとつ丸かじりしました。すでに死の予兆をかなりリアルに意識してはいたのですが,それでもこのくらいのことができたのです。もうだいぶ前のことになりますが,船舶の事故により長いこと海を漂流した後に救出された方がいらっしゃいました。この方が救出後のインタビューの中で,人間というのはなかなか死なないものですよという主旨のことをおっしゃっていたのですが,それは本当なのなだなあと思います。おそらくその方も,漂流中には何度となく自身の死というのをかなりリアルなものとして表象されたのではないかと思います。しかし,あるいはそのように表象している間は,人間というのはそう簡単には死なないものなのかもしれません。
 前にも申し上げましたが,僕は子どもの頃から一貫してトマトは好物でした。実はこのときトマトを食べた一因として,やはり僕が自分の死をリアルなものとして感じていたことがあります。つまり僕は最後に好物であるトマトを食べておきたいと思ったのです。
 いつもならばそれでまた自室に戻って横になるのですが,このときは戻らず,そのままリビングで横になりました。元旦早々から迷惑な話だったと思いますが,たとえ死に対して恐怖感を覚えてはいなかったとしても,心のどこかには助けを求める気持ちがあったので,そういう行動になったのではないかと思います。そのうち家族も起きてきて,僕の状況を見て,僕ともいくらか相談した上で,救急車の出動を要請する電話をかけてくれました。
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竜王戦&罪悪感

2009-08-07 22:43:54 | 将棋
 第22期竜王戦決勝トーナメントの右の山は,展望した通りに羽生善治名人と森内俊之九段が勝ち上がり,挑戦者決定戦三番勝負進出を賭けて激突しました。対戦成績は羽生名人が55勝,森内九段が43勝,ほかに千日手7局。
 森内九段の先手となり,一手損角換り1-Ⅱ。先手が棒銀から超速攻を仕掛けました。
           
 ここから△1五同歩▲同銀△同香▲同香△1三歩▲1二歩。そこで△2二銀(第2図)と引きました。
           
 これは棒銀の教科書にあるような攻め方。途中,後手は通常の角換り棒銀の場合には△1三歩のところで△1六歩と反撃含みに指すこともありますが,この形では無理とのこと。ただ,最後の△2二銀は教科書では△2二銀打です。通常の角換りですと,△8五歩が突いてあるので,銀を引くと▲1一歩成△同銀▲8四香△同飛▲6六角という,やはりこれも教科書にあるような攻め筋がありますが,この場合は一手損が生きてそれはありません。だから銀を引いたと思ったのですが,以下,▲2四歩△同歩▲同飛に△2三銀打(第3図)の進展は驚きました。
           
 常識的には予定通りとは思えないのですがどうだったのでしょう。1二の歩は取れましたが,先手にポイントを与えてしまったような気はします。
 実戦はここから,後手の右辺の金銀3枚と桂馬を先手がすべて取って大きな駒得に。しかし先手玉も薄いので簡単ではなく,最後は馬をただで取られましたが,そこまでのリードを生かした先手が押し切っています。
 森内九段が挑戦者決定戦に進出。しばらくタイトル戦から遠ざかっていましたので,ここはチャンスをものにしてほしいところです。

 自分の死を現実的に表象するようになっても,それに対する恐怖感は感じなかったのですが,このことの理由のひとつに,もっと別の感情が生じたからだということは上げられるかもしれません。それは,一種の罪悪感でした。罪悪感という感情は,必ず何か対象を伴って生じるような感情ですが,このときの僕の罪悪感の対象というのは,先立つ不幸ということばで表されるような事柄でした。煙草について話したとき,同時に僕の家族構成も説明しましたが,そこにある通り,僕は両親と祖母がひとり健在なのです。
 僕がこういう種類の罪悪感を感じたことには,はっきりとした理由があります。これは中学生か高校生の頃のことですが,当時,僕と同年代の自殺というのが社会問題になっていました。そのときに母が,親より先に死ぬことくらい親不孝なことはないから自殺してはいけないという主旨のことを言ったのです。僕は未婚で子どももありませんから,今でも母の気持ちをそっくりそのまま理解できていないとは思いますが,なるほどそういうものなのかと思いまして,できることなら両親が生きている間は死なないでいたいということを常々思っていました。だから自分が死んでしまうということについて,恐怖感というのはなかったけれども罪悪感めいたものが生じたのです。
 もちろん,だれだって自ら望んで死ぬ,つまり自分自身の本性のみを原因として死ぬということは,第三部定理四からしてありませんから,親より先に死んだ人を親不孝と責めるつもりはありません。むしろそういう人たちは,このときに僕が感じていた罪悪感に似たような感情を,多かれ少なかれ抱いていたのではないかと思うのです。
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王位戦&不安

2009-08-05 18:55:30 | 将棋
 深浦康市王位の地元,佐世保での対局となった第50期王位戦七番勝負第四局。
 木村一基八段の先手で,相矢倉森下システムから,手数をかけて攻撃態勢を築く類型の少ない形。その間に後手は穴熊に囲いました。2日目早々に飛車交換が2度あって,8筋を突き捨てた後手がその飛車を打ち込んだのが第1図。
           
 先手はここから☗4四歩と突き出し,☖4二金に☗4五飛と打ちました。あまりに見え見えの狙いなのでびっくり。後手は当然☖5二銀と受け,☗1五角に☖3二金右。ここから☗4九飛☖同飛成で3度目の飛車交換になりましたが,以下☖1四歩☗4八角(第2図)。
           
 こうなってしまうと桂得で手番を握った後手がはっきり優位に立ちました。そもそも第1図から第2図の手順も,変形の穴熊がより固くなり,後手が満足できる順だったように思います。先手は☗9八香と上がった一手もマイナスにしかなってなく,それもこの差に影響していると思います。
 第2図からは☖1九角成でさらに駒得を拡大した後手の快勝譜となりました。
 深浦康市王位が何とか踏ん張って1勝を返しました。棋聖戦第一局の梅田望夫さんの観戦記の中に,野月七段が木村八段の人の良さを説明しているものがありましたが,それでいえば深浦王位の地元対局で,あるいは木村八段はかなりやりにくさを感じていたのかもしれません。
 第五局はお盆を挟み20日と21日です。

 僕の死に対する恐怖感に関しては,スピノザの哲学の観点からひとつ注意しておきたいことがあります。
 『エチカ』ではmetusというラテン語が用いられているのですが,これが岩波文庫版においては恐怖と訳されています。第三部諸感情の定義一三で定義されている感情affectusがこれに該当します。しかし僕はこの感情に関しては不安と訳す方が適当であると考えますので,このブログにおいては不安ということばを用いています。したがって,僕が語っている自分自身の死に対する恐怖感というのは,スピノザがmetusということばで定義している感情ではなくて,ごく一般的な意味で理解してもらって構いません。
 しかし一方で,一般的に恐怖といわれているような感情は,スピノザがmetusというラテン語で定義している感情,すなわちこのブログでいうところの不安という感情の過度のものであるといわれるならば,僕はこのことを必ずしも否定はしません。したがってそのような意味で理解するならば,僕が説明している自分自身の死に対するような感情に関して,それをスピノザ哲学的な意味で理解してもらっても構わないです。確かに僕が説明している感情は,未来における自分自身の死という,たとえいくらそれをリアルなものとして表象しているとはいっても,ある不確かな悲しみtristitia,絶対に確実であるとはいいきれないような悲しみだからです。
 僕は,目前にあると思えたような自分自身の死に対して,このような感情を抱かなかったのです。すでに別のテーマの考察で明らかにしたように,希望と不安というのは反対感情にして,必ずひとりの人間の精神mens humanaのうちに同時にある,心情の動揺animi fluctuatioを惹起する感情です。ということは,もしかしたら死への不安を感じないということは,生への希望spesも感じないということを意味するのかもしれません。僕はむしろこのことの方に,強い不安を感じざるを得ないです。
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全日本選抜&功罪

2009-08-04 18:53:58 | 競輪
 今年から真夏のGⅠに戻った全日本選抜競輪。舞台は大垣競輪場で,今日が決勝戦でした。並びは山崎ー伏見の福島,平原ー兵藤の関東,市田ー村上の近畿,石丸ー加倉の西国で,単騎の海老根はレースは福島追走に終始しました。
 Sは加倉が取って石丸が前受け。3番手が市田,5番手に山崎。後方の平原が残り3周のバックから動いてホームでは前に。これを山崎が抑えると,石丸,市田と動いてスローペースの打鐘から平原が発進して先行。5番手,石丸の外併走になった山崎がバックから捲り発進。これを平原自らが止めにいったところ,そのあおりで伏見が弾かれ圏外に。3番手から開いたインを掬った市田が一旦は先頭に立ちましたが,抜き返した山崎が優勝。外に行った村上が市田に迫るも,2着は市田で3着が村上。
 優勝した福島の山崎芳仁選手は正月の競輪祭を優勝していて今年のGⅠ2勝目。通算では6勝目。外併走となり,少し苦しい面もあったと思いますが,捲っていったときのスピードが違いました。本来なら伏見選手とマッチレースになるところでしたが,アクシデントがあったために楽勝に。これは自分で動く者の強みといっていいのではないかと思います。

 昨年の暮れには僕は自分の死をリアルなものとして,つまりいつかは分からないけれどもやがては確実に自分自身に訪れるような出来事としてではなく,ごく近い将来に自分の身に降りかかるであろうこととして表象するようになりました。たとえば,休日急患診療所から再び家に帰った後,僕はまた自宅の2階の自室に上がって横になり,眠りましたが,そのときには,もう下に降りていくということはないかもしれない,つまりそのまま死んでしまうかもしれないと,ぼんやりしかしはっきり意識していました。
 それほどまでに自分の死を現実的なものとして意識していたのですが,やはり不思議とそれに対する恐怖感というのは少しもありませんでした。確実に死ぬと決まったわけではありませんが,というか,より正確にいうならば,未来のことを確実に知ることができる人間はいないわけですので,自分が確実に死ぬということを知っていたわけではありませんが,死んでしまうのなら死んでしまったで,それは致し方ないというように思ったのです。
 今から考えますと,これがよくなかったように思うのです。もちろん死に対する恐怖感がないということは,ある場合にはよい面があるかもしれませんが,功罪ということからいえば,罪の方が大きいのではないでしょうか。というのは,もしも僕が自分の死というものに対して強烈な恐怖感というものを覚えていたとしたら,僕はその恐怖感を除去しようとしたでしょう。別のいい方をすれば,もっと早く,身体がこんな状態になってしまう前に,病院に行っていたと思うのです。逆にいえば,僕は自分の死に不思議と恐怖を感じなかったものだから,こんな状態になるまで自分の身体を放置してしまったし,さらになお放置し続けようとしたのだと思うのです。
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漱石とドストエフスキー&恐怖感

2009-08-02 19:13:37 | 歌・小説
 僕は現在は小説を読むとすれば夏目漱石ドストエフスキーのふたりだけです。それではこのふたりにはどのような関係があるのでしょうか。
 ドストエフスキーは産まれたのが1821年で死んだのが1881年。一方,夏目漱石は産まれたのが1867年で死んだのが1916年。少しだけですが重なっています。ちなみに僕がドストエフスキーを再び読むきっかけとなったニーチェは,1844年産まれで死んだのはちょうど1900年。ちょうどこのふたりの間に入っています。このことから分かりますように,ニーチェはおそらく同時代人の小説家としてドストエフスキーを読み,それを高く評価したのでしょう。実はニーチェはもうひとり,スタンダール,とくに『赤と黒』も高く評価しているのですが,スタンダールは1783年に産まれ,ニーチェが産まれる少し前の1842年に死んでいますので,同時代という意識は,ドストエフスキーの方が高かったのではないかと思います。
 夏目漱石がニーチェを読んでいたのは有名な話で,小説『門』の題名は,ニーチェの本の中から採用されたといわれています。ただしこれは弟子が勝手につけたといわれていまして,もしかしたら夏目漱石という人は,小説の題名に関してはそれほど重要視はしていなかったのかもしれません。
           
 一方,夏目漱石はドストエフスキーも読んでいました。ニーチェは基本的には思想家ですので,夏目漱石が影響を受けたとしてもそういう方面であったでしょうが,ドストエフスキーは小説家です。したがってその影響の受け方は少し違っていて,小説そのものに直接的に関係してきます。そして明らかに,晩年の夏目漱石は,ドストエフスキーを意識していたといっていいと思います。

 小学校の3年か4年の頃,僕は眠ることをひどく恐れるようになりました。眠ってしまい,そのまま目が覚めなくなってしまうこと,要するにこれは死んでしまうことを意味しますが,それが怖くて仕方なかったのです。
 とはいえ,その頃の僕は,自分にが差し迫っているということをリアルに感じていたわけではありません。この恐怖は,いわば自分自身というもの,ほかのだれでもない,独立した個としての自分自身が消えてしまうことに対する恐怖であったと思います。今になって冷静に考えれば,この頃が僕にとっての自我の芽生え,あるいは自我というものを強く意識するようになった時期であったのでしょう。
 もちろんこういう恐怖はごく一時的なものでした。成長し,大人になり,いつしか僕は自分の死に対して恐怖感を覚えなくなりました。幸いにして昨年の暮れまで,僕は自分の死をリアルなものとして意識しなければならないような経験はありませんでしたが,たとえば何らかの事情で今日明日にも死んでしまうという境遇に見舞われたとしても,それはそれで仕方がないと感じるようになったのです。もちろんこれは死にたいという意味ではありません。ただそれが与えられる場合には,自分の死を受容できるようになったのです。
 僕のこういう気持ちに,スピノザの哲学がはっきりと影響しているのかどうかは分かりません。ただ,死というものがどんな人間にとっても,したがって自分自身にとっても避け得ないものであるということ,そしてそれは自然の中に貫かれている法則によって,つまり神の必然性によって生じているということは,スピノザの哲学に触れなければ理解しなかったことであるかもしれません。
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