スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王将戦&録画

2009-09-08 19:03:39 | 将棋
 早指しに生まれ変わった第31期女流王将戦挑戦者決定戦(直リンク)。対戦成績は岩根忍女流二段が3勝,上田初美女流二段が1勝。
 振駒で岩根二段の先手。三間飛車に振り,上田二段の居飛車穴熊になりました。先手から開戦したのですが一失あったようで第1図。
           
 後手が5筋にと金を作ったところ。ここで先手は▲6三歩成△同銀▲同銀成△同金と銀を交換してから▲5八歩と受けました。駒を渡してから受けに回るのは不自然ですが,金を穴熊から離すのが大きいとみたのでしょう。以下,△5六歩▲5七歩△同歩成▲5八歩。このまま続けば千日手です。
 上田二段は準決勝で,詰みを逃れた後で,千日手指し直しとなり,指し直し局もかなり非勢の将棋を大逆転しました。しかしここは後手であっても千日手にする局面ではなかったようです。直前に手に入れた銀を△6五銀(第2図)と打って飛車を捕獲して打開。この判断は正しく,ここは後手が優位に立っていると思われます。
           
 この後,早指し戦特有の混戦となり、いつ終るかしれないような戦いが延々と続いたのですが,最後は打ち歩詰で逃れる形になった後手が勝っています。
 上田二段のタイトル挑戦は初めて。清水市代女流王将との三番勝負は来月11日に第一局が指されます。

 僕のそれまでのテレビの視聴状況はそんなところだったのですが,もうひとつ,これもいつの頃からか,僕はテレビ番組を録画して視聴するということを一切しなくなりました。この点に関しては趣味に関係するような番組であっても同様です。ケーブルテレビで見ているCSの番組は,大抵の番組が再放送されますから,見逃すということはあまりありません。ただ,たとえば将棋のNHK杯などは,1度きりの放送なので,棋譜は講座のテキストに掲載されますが,放映はそれを見逃すと見ることができなくなります。それでも僕は,用事があって見られないということが前もって分かっていたとしても,それを録画するということはしないです。
 これはずっとそうであったというわけではなく,以前は僕も録画をしていました。最も長くテレビを見ていたのが学生時代であるように,録画本数が多かったのもその頃から20代半ばにかけてではなかったかと思います。もちろんその頃はまだVHSビデオの時代でした。ただ,時間的な余裕がなくなってきたという関係もあるかもしれませんが,録画しておくと,録画しておいたということに安心してしまい,結局なかなか見ないで録画しておくものだけがどんどん溜まっていくというようになってきました。これでは埒があかないように思えてきて,録画することを一切やめてしまったのです。
 このようなわけで,最近,とくにブログをやり始めるようになってからのここ3年くらいは,僕はテレビ番組というのをあまり見ていなかったということになります。それは逆にいえば,テレビを見たいという欲望が強くは生じなかったということです。入院中の退屈しのぎという動機は,かなり消極的なものではありますが,これがなければテレビを見ようという気持ちが僕の中に生じるということもなかったのではないかと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊橋記念&テレビ

2009-09-06 19:00:41 | 競輪
 競輪学校95期生のルーキーチャンピオンレースが11レースで行われたため,12レースでの施行となった豊橋記念の決勝(動画)。並びは松本-岡部で東日本,桐山-遠沢の神奈川,高橋-永井-島野の中部,石丸-合志で西国。
 前を取ったのは石丸。3番手に松本,5番手に桐山,後方から高橋で周回。残り2周で高橋が上昇開始。バックで石丸を叩くとうまく追い上げた松本が4番手に入り,石丸が6番手,桐山が8番手の一列棒状で打鐘を迎え,そのまま高橋の先行。バックから石丸が捲り発進したのに併せて永井も番手捲り。しかし石丸のスピードがよく,その上を行ききってしまい,石丸が優勝。マークの合志が2着で,出られなかった松本を捨て外を捲り追い込んだ岡部が3着。
 優勝した岡山の石丸寛之選手は昨年10月の京王閣記念以来となる4度目の記念競輪優勝。今年は不振という印象があったのですが,今日は2段駆けの上をさらに捲ってしまったのですから文句なしに強かったです。コンスタントに力を発揮するというタイプではないのかもしれませんが,ビッグでの活躍も期待できると思います。

 元旦の夜というのは,症状自体はそれまでよりも楽になってきてはいましたが,まだ何かをしようという気持ちは起こっていませんでした。だからベッドの上でときに眠りながら横になっているだけでも,自分の身体が回復していくことの喜びは感じていましたが,暇を持て余すというようなことはありませんでした。しかし翌日になると,1日をずっと病院で過ごすということになったこともあり,そうそう眠り続けることもできませんから,横になっているだけではだいぶ退屈になってきました。そこで,この日も母が見舞いに来ましたので,テレビを視聴するためのカードを買って来てもらい,テレビでも見ることにしました。すでに説明しましたように,テレビはベッド脇のパソコンで視聴できるようになっていたのです。これはHCUだけがそうなっていたというわけではなく,一般病棟でも同様でした。つまり入院患者用のベッド1台とパソコン1台,そして冷蔵庫というのがセットになっていたわけです。
 僕が最もテレビを見ていたのはおそらく学生時代の頃ですから,20年前くらいになります。就職してテレビの視聴時間が減少するのはごく自然なことでしょう。そしてその後,僕はいつの頃からか,ゴールデンタイムにはよほどのことがない限りテレビというものを見ない生活を送るようになりました。とくにこのブログをやるようになってからはそう。実際に入院する前のテレビの視聴状況についていえば,NOAHや競馬,競輪,将棋といった,このブログのカテゴリーにもなっている類の番組を別とするなら,ほぼ欠かさずに見ていた番組というのは,テレビ朝日でやっているぷっすまと,tvkのsakuakuくらい。いずれも夜11時台の番組です。これら以外の番組ということになると,何を放映しているのかもよく知らなかったくらいでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王座戦&食

2009-09-04 22:17:25 | 将棋
 いよいよ開幕した第57期王座戦五番勝負。対戦成績は羽生善治王位が8勝,山崎隆之七段が2勝。
 振駒で山崎七段が先手となり相掛り。先手の棒銀に後手は高飛車。昼休み前の▲6八銀に対していきなり△9五歩と仕掛け,先手は出た棒銀を引くことになりました。ここは先手の作戦負けに思えます。
 この後,また駒組みとなり,先手が9筋を受けたところで今度は後手が1筋からの攻め。将棋において端攻めというのはどんな戦型の場合でも生じ得る攻め筋ですが,このように一方が両方の端攻めを敢行するというのはかなり稀なケースなのではないかと思います。
 この将棋で最も印象深かった手順はこの少し後の第1図から。
            
 歩切れの後手は細かい攻めがありませんがここで△6二金。▲4八玉に△8三銀と上がり,▲7六飛に△7二金と寄りました。つまり先手の飛車を目標にしたのです。▲5六銀に△2七歩成▲同金△1七桂成▲同銀と香車を入手しておき,それから△8四銀(第2図)と上がりました。
           
 ここで▲4五銀と出たのに対して△7五銀。▲5六飛に△5五香と取った香車を打ち,▲4四銀△5六香(第3図)で初期の目的を達しました。
           
 実戦はここから先手が反撃に出ましたがこれは届かず。逆に後手の飛車打ちからの攻めが厳しく,後手の勝ちとなりました。全体を通していえば,先手は角落ちのような将棋になってしまい,それが苦戦を招いた最大の要因でしょう。
 羽生王座が先勝。第二局は16日です。

 G先生にはもうひとつ,点滴に頼らず何か自分で食べてみたいという気持ちはありますかという主旨のことをこのときに尋ねられました。
 実をいうと,2日になって最も楽になっていたのは悪化していた口渇でした。この口渇というのは,僕の場合には喉が渇くというよりは唾液が出ないという症状だったわけですが,少なくとも2日の朝の時点では,ちゃんと唾液が出るような状態になっていたのです。ほとんどの人はこのことを幸せであるとは感じないでしょうが,唾液が出るということは素晴らしいことです。僕はこのときにそれを実感していました。
 一方,僕は偏食の傾向が少しありましたが,これは食に対するこだわりとか,ましてやグルメとかそういった類のものではありません。むしろ僕は食に対するこだわりというのは,きわめて希薄な人間であったし,それは今でもそうだと思います。あれが食べたいとか,これが食べたいとか,そういった欲望がないからこそ,毎日毎日好きなものを食べ続けていたともいえるわけです。
 ところが,そんな僕であっても,こういうときにはおいしいものを食べてみたいという欲望が湧くから不思議なものです。もっとも,元旦の朝にトマトをひとつ食べて,それ以降は何ひとつとして口に入れていなかったわけですから,もう24時間以上何も食していなかったことになります。これだけ長い時間にわたって絶食したという経験は僕にはありませんでしたから,当然といえば当然の欲望であったともいえるかもしれません。
 僕は食事をしたいという気持ちを伝えました。G先生はすぐに対応してくれたようですが,この日の夕食には間に合わず,翌日の朝食からになったと,わざわざ夕方にまたHCUまで来て教えてくれました。結果的にいうと,僕の絶食は,ほぼ丸2日にわたって続いたということになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原記念&G先生の話

2009-09-02 18:44:36 | 競輪
 台風の影響が懸念されましたが悪天候の中で準決勝が争われ,予定通りに日程が消化された小田原記念。昨日が決勝(動画)でした。
 並びは佐藤-藤原-佐久間で東日本,山口-橋本の栃木茨城,荒井-岩津-池田の西国で萩原が単騎。佐藤も出ましたが荒井がSを取って前受け。4番手を内の佐藤と外の山口で争うような周回になり,萩原は橋本の後ろ。残り2周半で山口が荒井を叩きにいきましたがこれは荒井が突っ張りました。さらに蓋の外れた佐藤が外から上昇,荒井を叩いて先頭へ。萩原がこの4番手にスイッチ。打鐘でもまだスローでしたが山口が上昇してきたのに合わせて佐藤が発進し,抑え先行に。うまく山口が4番手に入りました。バックからその山口の捲り。しかし同じ関東ながら別ラインとなった藤原の強烈なブロックに遭って失速。そのまま踏み込んだ藤原が抜け出して優勝。2着は接戦でしたが,3番手の佐久間が粘る佐藤を交わしていました。佐藤ラインの上位独占。
 優勝した新潟の藤原憲征〔のりゆき〕選手は一昨年7月の地元の弥彦記念以来となる記念競輪2勝目。ここは佐藤選手がうまく先行したことで展開に恵まれました。佐藤選手もそんなに早く駆けたわけではないと思いますが,絶好調には程遠い近況でしたし,捲りなら打てる選手ですので,山口選手を止めてからは楽なレースだったかもしれません。

 僕の糖尿病に関する知識というのは,そのほとんどが入院後に得たものです。したがって僕が最初にG先生と話をしたときには,僕は糖尿病というのが基本的に不治の病であるという,ごく基本的なことさえ知りませんでしたし,当然ながらⅠ型糖尿病とⅡ型糖尿病の違いということについても知りませんでした。このとき僕は,それまでの生活習慣についていくつかの質問をされた後に,Ⅰ型糖尿病とⅡ型糖尿病について教えられました。G先生ははっきりとは言いませんでしたけれども,そのことばの端々には,僕の場合はⅠ型糖尿病ではないかというニュアンスがあるように僕には感じられました。実際のところ,G先生が僕はⅠ型糖尿病の可能性が高いのではないかと考えていたのかどうかは分かりませんけれども,僕の感じ方が正しかったのであれば,結果的にG先生は正しい判断を下していたということになります。何を根拠にそのような判断を下したのかはまた分かりませんが,やはり医師として多くの糖尿病患者を診察してきた経験があるわけですから,そういう判断が下せていたとしても,僕は少しも不思議には思わないです。また,一般的にいっても,僕のような痩身の人間は,Ⅱ型糖尿病にはなりにくいということがあるようです。
 しかし,実際にある糖尿病患者について,Ⅰ型であるかⅡ型であるかについて正しい診断を下すためには,そのための検査が必要であるということでした。このとき,G先生がHCUまでやって来て,僕に話そうとしたことの主題はこのことであったと思います。しかし年始なので,詳しい検査はすぐにはできず,週明けになってからになるということでした。入院していますと曜日の感覚というのはなくなってきますが,この1月2日が金曜日。したがって僕の本格的な検査は5日の月曜から始まるということになったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竜王戦&主治医

2009-09-01 21:52:21 | 将棋
 深浦康市王位の先勝を受けて指された第22期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
 深浦王位の先手で,森内俊之九段は意表の四間飛車。先手が居飛車穴熊,後手が銀冠の持久戦になり,後手の方から仕掛けました。
           
 それが第1図からの△1五歩。以下▲同歩△6五歩▲同歩△1五香▲同香△6六歩▲5七金△6五桂(第2図)。恥ずかしながら初めて目にする攻め筋でしたが,▲6八角と上がって金が引けなくなった瞬間なので,一時的に駒損でも成立はするようです。
           
 ここで先手は▲5九角と引き,3七に転換。後手の手筋である△4六歩の突き捨ては▲同歩と取っておき,王手となる瞬間に▲4五歩(第3図)と突き出しました。
           
 ここで後手は△7三金打。以下,▲4四桂△9五歩▲7七歩△9六歩▲7六歩△8四銀引▲6六香△7四金左▲6七飛△6三歩(第4図)と進みました。
           
 後手は9筋に拠点を作った上に上部が猛烈に手厚くなりました。これは銀冠が穴熊に勝つときの典型的なパターンのひとつ。▲3二桂成で駒損は広がるのでまだ難しいでしょうが,穴熊が生きるような展開にはならなくなりました。実戦もこの後は盤面左側の戦いに持ち込んだ後手が一方的に攻め倒すことになりました。
 これで1勝1敗。挑戦者が決定する第三局は11日です。

 1月2日の昼頃に,退院後の主治医となる医師がやってきて,いくつかの話をしました。HCUというところは,それが必要な患者が入院しますので,たとえば外科に罹る患者もいれば呼吸器科とか泌尿器科など,あらゆる種類の患者がいるわけです。実際にこのときにいたかどうかは別として,可能性としてはそうなります。僕の場合は糖尿病ですので内科ですが,みなと赤十字病院では総合内科といわれています。その総合内科で受診する患者というのはやはり多岐にわたるだけあって,医師の数も多数いるわけですが,糖尿病の場合は糖尿病の専門医に近いような医師がいるようでして,この医師も多くの糖尿病患者を診察しているようでした。
 なお,退院後の主治医といいましたのは,入院中にも主治医というのがいまして,これは別の医師になっていたからです。こちらの医師には僕は一般病棟に移ってから初めて会いましたし,一般病棟で僕の様子を見にくる回数も,退院後の主治医になる医師の方が多かったですから,実質的には入院中からもこちらの医師の方が僕の主治医であったといっていいのではないかと思います。ただし,退院後に保険の申請などの書類を書いてもらったのは,入院中の主治医ということになります。
 僕はあまりこういうのは好きではないのですが,実名を出すのはどうかと思いますので,退院後の主治医をG先生,入院中の主治医をH先生としておきます。G先生は非常に変わった苗字で,僕はこんな苗字はこの先生しか知りません。40台半ばの男の人でした。一方,H先生の方は20代と思われる女の人でした。この日,僕と話をしたのは,G先生の方ということになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする