スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&完治

2011-01-09 19:22:57 | 将棋
 久保利明王将に豊島将之六段が挑戦という,関西勢同士のタイトル戦となった第60期王将戦七番勝負第一局。
 振駒で豊島六段の先手。久保王将のごきげん中飛車で,③の▲4八銀△5五歩。最近はこの戦型が多いですが,トッププロの課題なのでしょう。先手が左の銀も繰り出していったのに対し,後手は△3ニ銀型なので美濃囲いの銀で応戦。先手が3筋から仕掛け,一旦は5筋に回った飛車を3筋に回るという工夫をみせました。そして第1図に。
                         
 ここで先手は▲9七角。振飛車には角交換というのは,すでに過去の格言にもなりつつありますが,先手はそれを狙っていったわけです。ただ,このような形で交換すると,先手の香車も上ずるので,効率は良くない印象も受けます。実戦も交換の後すぐに△9五歩と突かれ,▲同歩△9六歩▲同香△6三角(第2図)で先手の香損がほぼ確定。玉側の香車ですので,普通よりさらに大きい差といえるのではないでしょうか。
                         
 もちろん先手としてもこれは想定内で,これでもやれると考えていたのでしょう。しかし取られた香車を8四に打つ後手の攻めが厳しく,ほぼ一方的な内容で後手の勝ちになりました。
 久保王将が先勝。第二局は21日と22日です。

 妹に対する新たなる支援が開始された12月13日は,の主治医であるN先生との会見が予定されていました。これが午後5時から。妹の作業の終了時刻は午後4時ですから,妹が家に帰ってくるのを待っていたのでは会見に間に合いません。ということで,僕が作業所まで妹を迎えに行き,そのまま磯子中央病院へと直行しました。したがってこの日は,朝は作業所まで妹を送って行く必要はありませんでしたが,作業所には行ったということになります。冷たい雨が降る寒い日でした。
 すでにお話ししましたように,母はリハビリ病棟へと移動してからは,小脳出血自体に関しては治療らしい治療が行われていませんでした。ただ,会見の前には検査をするというのが通例で,会見においてその結果がN先生の方から伝えられます。よって12月10日の金曜に,母は脳のCTを撮影していました。
 その撮影直前の一時帰宅がうまくいきましたから,このときの話題は,退院に関することが中心になるであろうと僕は思っていましたし,これは母も同様でした。アパートの叔父もできれば参加したかったようですが,時間的に無理とのこと。ということでこの日も,僕と母だけがN先生の話を聞くという形になりました。この会見は,母が入院している階のナースステーションで行われる場合と,1階にあるN先生の診察室で行われる場合の2パターンがありました。これはおそらく,会見が行われる当日に,N先生の外来の診察があるのか否かによって区別されていたのではないかと思います。この日は診察室での会見。なお,妹をひとりで病室に残しておくというわけにはいきませんから,会見には妹も同席はしています。
 まず最初に,検査で撮影された写真を見せられましたが,出血はかなり引いていました。ただし完全にというわけではなく,いくらかではありますが,その痕跡ははっきりとみてとることができました。ただ,N先生の判断によれば,これはもう問題にもならないという程度のもの。したがって,ときおり垣間見られる後遺症に関してはまた別ですが,10月8日に発症したと思われる脳内出血それ自体だけに限っていうのであれば,もうこの時点で完治したとみなしていいということでした。
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JRA賞&最大の競争相手

2011-01-08 18:46:14 | 中央競馬
 2010年のJRA賞は6日に発表されました。例年同様,競走馬部門のみ紹介します。
 年度代表馬はヴィクトリアマイル秋の天皇賞を勝ったブエナビスタ。大レースの勝利数ではこれを上回る馬もいましたが,負けたレースもすべて2着。年間を通して最高のパフォーマンスを示したのは間違いなくこの馬で,妥当な選出と思います。個人的にも,投票権があれば,この馬に投じました。ほかに京都記念を勝っています。部門別では最優秀4歳以上牝馬で,一昨年の最優秀2歳牝馬,昨年の最優秀3歳牝馬で,3年連続の受賞。
 最優秀2歳は牡馬が京王杯2歳ステークスと朝日杯フューチュリティステークスを勝ったグランプリボスで,牝馬はデイリー杯2歳ステークスと阪神ジュベナイルフィリーズを勝ったレーヴディソール。これらは各々の大レースが代表馬決定戦のようなものなので順当。とくにレーヴディソールは今年のレース振りを楽しみにしています。
 最優秀3歳は牡馬が皐月賞有馬記念を勝ったヴィクトワールピサ。三冠は3頭で分け合いましたが,有馬記念を勝ったのが大きな決め手で,順当な選出。ほかに弥生賞も勝ちました。牝馬は桜花賞,オークス,秋華賞の三冠を達成したアパパネ。こちらはこの馬以外にはあり得ません。昨年の最優秀2歳牝馬で2年連続の受賞です。
 最優秀4歳以上牡馬は宝塚記念を勝ったナカヤマフェスタ。この部門はやや難しい選択だったと思います。僕に投票権があったとしても,エスポワールシチーとかなり迷ったでしょう。
 最優秀短距離馬は高松宮記念を勝ったキンシャサノキセキ。オーシャンステークスと阪神カップも勝っていて,ここは順当でしょう。
 最優秀ダートホースはフェブラリーステークスかしわ記念を勝ったエスポワールシチーで,これも妥当と思いますが,下半期はやや残念な結果でした。昨年も最優秀ダートホースで2年連続。
 最優秀障害馬は中山大障害を制したバシケーン。この部門は端境期で,過去の受賞馬と比べるとやや見劣りする感は否めませんが,大レース勝ち2頭のうちどちらを選択するかとなれば,こちらになるのは理解できます。

 マイペース平和主義者であると感じられる妹と比較するなら,僕たちは必要性という観点からいうならば不要な場合にも他と争うということに慣れた生活を送っているといえると思います。そして僕が妹と共に過ごす時間が増えて感じるようになったことは,実は僕たちの日々の生活において,最大の競争相手となっているもの,あるいは僕たちが最大の競争相手と目しているものこそ時間tempusなのではないだろうかということでした。
 僕たちは時間を無駄に過ごしたと思うと後悔します。また,忙しくなるとあたかも時間というものが自分を追っているかのように感じます。電車やバス,飛行機などの乗り物が時間通りに運行しないと,それがたとえ少しのものであったとしてもイライラを感じたりします。しかるにこうした事柄は,僕たちが時間というものを気にしているから,もしかしたら必要以上に気にしすぎているからだといえなくもありません。
 第二部定理四四の備考Scholiumでスピノザが示しているように,時間というのは人間の表象imaginatioです。しかるに妹はおそらく時間というものを表象しません。あるいは表象するimaginariとしても,僕たちとは違ってごく限定的にであると思われてなりません。つまり妹は,争うということの本質的な意味自体を知らないというだけでなく,僕たちが日常の生活において最も競争相手として争っているともいえる時間というものを,少なくとも僕たちほどには表象しないように思えるのです。これではマイペースになるのはむしろ必然的necessariusであるといえるのではないでしょうか。実際に妹は,時間が迫っているという理由で急ぐということは,急かされない限りはしませんが,逆にいくら時間的に余裕があるという場合でも,だからゆっくりするということもしません。あくまで時間的な意味でどんな状況であるのかということには関係なくマイペースなのです。そんな妹を見ていますと,どうもこの仮説は正しいのではないかと思えてならないのです。
 妹が平和主義者であるということで,だから僕たちよりも優れているのだということをいいたいわけでは必ずしもありません。ただ,次のことは確かにいえるようにも思います。もしもすべての人間が,妹が現に有しているような心性であったとしたら,たとえば科学技術は現にあるほどまでには発展しなかったでしょう。しかし一方で,世界は現にあるよりもずっと平和であったことでしょう。
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立川記念&平和主義者

2011-01-07 19:13:38 | 競輪
 暮れのグランプリシリーズの余韻も残る中,新年最初の記念競輪も立川記念で今日が決勝。並びは渡辺-菊地の北日本,牛山-佐久間の関東,栗田-萩原の静岡,深谷-山口の中部に坂本。
 内枠有利に渡辺がSを取っての前受け。3番手が栗田,5番手に牛山,7番手に深谷で周回。残り2周のホーム,深谷の上昇に合わせて牛山も上がり,バックで渡辺を叩いて先頭。打鐘で深谷も巻き返していき,牛山は番手で粘ろうとするも山口が守り,引いた牛山が4番手,栗田が6番手,渡辺が8番手。深谷の掛かりがよく,このまま一列棒状でバック。残り半周からは番手の山口さえついていかれなくなり,独走となった深谷の優勝。捲り追い込んだ栗田が絶妙のハンドル投げで2着,山口の後ろから追い込んだ坂本が3着。
 優勝した愛知の深谷知広選手はヤンググランプリに続く優勝で記念競輪初制覇。暮れ,新年と立川は思い出の地になったことでしょう。逃げて後ろを引き離すというのは,A級ではたまに見られますが,記念競輪の決勝ともなるとそうもあることではなく圧巻。もうすでにトップと同等以上の力を持っていると考えていいでしょう。おそらく競輪史にその名を残す選手になると思われ,僕たちはその歴史の始まりを目撃しているということなのではないでしょうか。
                         

 妹のマイペースの要因として,次のようなことがあるのではないかと僕は考えるようになったのです。
 これは妹に固有のことではなく,もっと一般的にいえることのようですが,ダウン症の人間というのは基本的に平和主義的なところがあり,争い事というのをあまり好みません。これは妹の場合にも確かに当て嵌まっているように感じられます。そもそも,マイペースというのは,別のことばで表現するなら,おっとりしているといえなくもないわけで,そういう人間が他と争うことを忌避するということは,何となくであれ理解してもらえるのではないかと思います。
 ただ,このこと自体は,僕は前々から感じ取ってはいました。しかし,母の異変が生じて以降,妹と向き合う時間というものがそれまでよりも格段に増加していくうちに,僕は別の考え方をするようになってきたのです。それは,妹は単に個人的な性向として争い事を好まないというよりも,そもそも,争うということ自体の本質を理解していないのではないだろうかという考えでした。
 たとえば,運動会というのを例にしてみます。妹も小学校,中学校,養護学校と通いましたし,また養護学校の卒業後も,所属している施設では運動会が開催されていました。したがって,運動会に参加した回数というのはそれこそ数え切れないほどあるわけです。そして運動会というものは最終的に勝負をつけるものですから,妹が所属しているチームが勝ったこともあれば負けたこともあります。そして勝てば嬉しいと言いますし,負ければ悔しいと答えはします。答えはするのですが,それは実際に妹のうちに勝利の喜びや敗北の悲しみが生じたというより,単に勝ったときは嬉しいと言い,負けたときには悔しいというものであるということだけを知っていて,それをただ実践していただけにすぎないのではないだろうかと今にしてみれば思えるのです。
 第三部諸感情の定義二と三により,喜びや悲しみというのは個人の完全性ないしは実在性移行を意味します。しかし,もしも争うということの本質が何であるかということを知らないならば,勝利や敗北によっては完全性の移行のしようがありません。争うということを知らない平和主義者である妹は,勝利の喜びも敗北の悲しみも,実際には知らないのではないかと今の僕には思えるのです。
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棋王戦&マイペース

2011-01-06 20:48:56 | 将棋
 久保利明棋王への挑戦者が決定する第36期棋王戦挑戦者決定戦変則ニ番勝負第二局。
 変則なのでまた振駒。ここも広瀬章人王位の先手で中飛車に。渡辺明竜王は居飛車穴熊に潜りました。攻め合いで中盤が開始されましたが,先手は息切れして受けに回ることに。難しかったと思いますが,穴熊で攻めたのですから,後手ペースではあったろうと思います。
                         
 ここで☖6五銀と打ちました。部分的には変なところに銀を手放すわけで,決め手級の手でなければおかしいと感じました。しかし実戦は☗5五馬☖5七龍☗9一馬☖4五歩☗4七金☖5四龍と進み,☗4三歩と攻めの手番が先手に回ることに。以下☖同銀☗4二歩で第2図。
                         
 後手変調と思って観戦していましたが,ここで☖7一歩と打ったのが好手だったよう。対して受けずに☗同龍☖4四馬☗4一龍☖同銀☗4一歩成と攻め込んだのは,善悪は別に広瀬王位らしいと思いました。第3図に。
                         
 今度はここで後手が☖3六馬と踏み込み寄せ合いに。この寄せ合いは王手か詰めろの連続で先手玉を受けなしにできれば後手の勝ち,できなければ先手の勝ちという分かりやすい形に進展。後手が正しく寄せたか,また先手が正しく受けたかは不明ですが,結果的には受けなしとなり,後手が勝ちました。結果論ですが,第3図での踏み込みが勝因になったといっていいのではないかと思います。
 先輩の貫録を見せる形で渡辺竜王が挑戦者に。五番勝負は来月6日に開幕します。
                       

 僕は散歩をするとき,人混みはなるべく避けるようにしています。というのは,人混みでは自分のペースで歩くということができないからです。逆にいうとこれは,僕は好んで自分のペースで歩くということを意味しています。そうでないと歩くことによって僕はカタルシスを得ることができないのです。
 しかし,妹と一緒ですと,当然ながら僕は自分のペースで歩くというわけにはいきません。前にもいいましたが,僕は平均的には1㎞を10分程度で歩きますが,このペースだと妹はついてくることができないからです。したがって,妹と一緒の場合は妹のペースに合わせて歩くことになり,これが僕にとってはひとつの苦痛,肉体的な意味ではなく,精神的な意味での苦痛になり得るのです。
 それでも,単にスピードが遅いというだけであれば,それほど大きな問題とはならないのかもしれません。ただ,これはダウン症の人間一般の特徴としていえるのか,あるいは妹の個性になるのか分かりませんが,とにかくマイペースなのです。たとえば僕たちは,バスの時間が迫っていれば急ごうとしますし,あるいは信号が赤に変わりそうだとなればやはり急いだりするのが普通です。しかし妹はそうしたことにも我関せずで,一定のペースを崩すということをしません。これはもちろん歩く場合に限ってということではなく,普段の生活全般からして同様。少し寝坊したから急いで食事を摂るなどということは絶対にしませんし,身支度や歯磨きとかいったことに関しても同様です。よってそのような場合には急ぐことに慣れているこちらとしては,このマイペースぶりに焦りというかイライラを感じてしまうということがあるのです。どちらかといえば,妹を作業所まで送っていくときに僕が感じた精神的な負担の理由としては,時間の無駄よりもこちらの方が大きかったかもしれません。
 しかし,こうした日々を繰り返しているうちに,このようなことに精神的な負担を感じてしまうのは,むしろ僕の精神の方が病んでいるからなのかもしれないというようにも感じるようになってきました。急ごう急ごうとすることは,ある意味では合理的なことであるといえるでしょうが,必ずそうしなければならないというものではないからです。第四部定理四から明らかなように,人間は受動から逃れられませんから,このことが僕の精神的な負担となったのは事実ではありますが,逆に妹からひとつ教えられたという一面もあると僕は感じているのです。
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東京シンデレラマイル&新たなる支援

2011-01-05 16:57:57 | 地方競馬
 フヨウが出走を取り消して15頭による争いとなった12月30日の第4回東京シンデレラマイル
 事前に逃げを宣言していたバックアタックが押して先頭に。これをエフテーストライクとオノユウが追っていくという展開。ザッハーマインはいつになく行き脚が付かず,中団の内目を追走していくことになりました。前半の800mは49秒0。これはミドルペース。
 ザッハーマインはそのまま外には出さず,内を漸進。それでも番手としてはあまり変わらず直線に入りましたが,うまいこと最内が開いたのでそこへ突っ込むと鋭く伸び,あっという間に抜け出して2馬身半差の快勝。同じような位置から先に動き,こちらは外を回ったプリマビスティーが2着。好位から一旦は下がるもまた盛り返したラインジュエルが3着。
 優勝したザッハーマインは南関東転入初戦となった10月のTCKディスタフに続いて南関東重賞2勝目。この馬は重賞クラスですから,順当といえば順当な勝利。58キロの斤量は問題でしたが,ハンデ戦ではなく別定戦ですから影響はなし。ただ,前残りが多かったこの開催で,うまく内が開いたとはいえ,中団からこれだけ突き抜けたのは,確かな能力を示したといえるでしょう。牝馬路線なら重賞勝利も可能な馬だと思います。
 騎乗した大井の的場文男騎手にとってもTCKディスタフ以来の南関東重賞制覇で,東京シンデレラマイル初勝利。このレースはまだこれが4回目ですが,昨年は勝率で全国1位となった管理している出川克己調教師2007年の第1回も制していますので,早くも2勝目です。

 僕にとって最長の1日と感じられた翌日,すなわち12月13日から,作業所というか施設による妹の支援に新しいものがひとつ加わりました。それが,朝,作業所に行く際に,家まで迎えに来てもらうというもの。すでに作業所から家までの送りは基本的に週に1度でしたが行われていて,今度はそれに家への迎えが追加されたということになります。
 実際のところをいえば,この迎えというのは,妹への支援というよりは,家族に対する,これはこの時点でいうなら僕に対するということと同じ意味になりますが,支援という意味合いの方が強かったと思います。というのも,妹は作業所からの帰りにはバスを利用してひとりで帰って来ていたわけですから,送ってもらうことによって,妹の負担は減るものの僕にとっては何の変化もありません。しかし朝は僕が妹を作業所まで送っていく必要があり,迎えに来てもらえるのであれば,確かに妹の負担もいくらかは軽減するでしょうが,僕の手間が省けるということになります。したがって,僕自身の身勝手な感覚からいうなら,この迎えの支援というのは大変にありがたいものでした。支援が開始されるときには,作業所の職員との話し合いが持たれますが,先方からの提案もあり,この支援を月曜,水曜,金曜と週に3度利用することにしたのです。ただしこの週は特別の事情もあり,火曜日も利用しましたので,13日から始まった1週間に関しては,僕は16日の木曜日だけ,妹を作業所まで送っていったということになります。
 伯母の来日のとき,妹を作業所まで送ることを頼んだように,実は僕にとって日常的に最も負担に感じられていたのがこのことでした。だからこそ,この支援というのは僕にとって非常にありがたいものだったのです。ただ送っていけばいいだけですから,肉体的な面からいえば,これは大して苦労があることではありません。僕にとってこの送りが負担に感じられたのは,むしろ精神的な面でした。
 まず第一に,この送っていくという時間が,僕にはとても無駄なものに感じられていました。とくにバスを乗り継いで送り,帰ってくるわけで,バスの待ち時間というものがあります。とくにそういう時間というのが僕には何ら生産的でない,無為な時間のように感じられ,それが負担というかストレスになっていたのです。しかしもうひとつ,別の理由もありました。
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SSカップみのり&最長の1日

2011-01-04 16:49:57 | 競輪
 今年のS級S班18人のうち,ベストナインには入れなかった9選手によって争われた29日のSSカップみのり。並びは新田-佐藤-成田の北日本,加藤-山口の岐阜,坂本-大塚の九州に兵藤で,神山は競りを含めて自在。
 前受けは新田。この番手で神山が競り,加藤が中団,坂本が後方で周回。残り3周から坂本が上昇すると新田は引きました。打鐘を過ぎると加藤が外を上がって大塚と競り。これは大塚が守りましたが3番手に山口。バックから新田が捲っていくとだれも止められず,捲りきった福島3人による直線勝負に。それほど詰め寄られることなく新田が優勝。大外を成田が2着に届き,佐藤は3着。
 優勝した福島の新田祐大選手はこれまではFⅠの優勝しかなく,グレードレースはこれが初優勝。ただベスト18に入るくらいですから,むしろ記念競輪で勝っていなかった方が不思議だといえるでしょう。平行的に自転車競技にも参戦している選手。ニ足のわらじというのはなかなか大変なことだと思いますが,今年はどこかで記念競輪も勝つのではないかと思いますし,ビッグを勝ってもおかしくないだろうと思います。まだこれから強くなっていくでしょうから,今年が飛躍の1年となるかもしれません。新田選手には競技もプラスに作用するような気がします。

 横浜駅から磯子中央病院に行くのであれば,本当はJRの根岸線に乗り,磯子駅か根岸駅まで行ってからバスに乗り換えるのがベストの選択で,最も短時間で着くことが可能です。このとき,そうはせずに横浜駅からバスに乗ったのは,妹を連れていたから。まず,妹を連れて電車に乗るというのが僕自身にとって面倒に思われましたし,すぐにバスに乗れば,もう乗り換えることなく磯子中央病院まで行かれますから,僕にとっても少し楽でしたし,妹の負担の軽減にもなります。また,バスは横浜駅が始発ですので,必ず座って行かれるということもありました。すでに神奈川大学への,また神奈川大学からの移動で,妹もある程度の体力を使っていましたし,現に疲れた様子をみせていましたから,あえて最善手ではなく次善手の方を選択したのです。
 バスはかなり遠回りをします。もう冬至も近付いている時期ということもあり,バスに乗っている間に日は沈み,暗くなりました。磯子中央病院に着いたのは,5時半近くになっていたのではないかと思います。ほどなくしての夕食も運ばれてきましたから,見舞いは早々に切り上げ,またバスで家に向いました。この時間では夕食の準備をするという気にもなれませんでしたので,下りたバス停の近くのコンビニエンスストアで弁当を買って,それを夕食としました。家に着いたのは6時過ぎ。ただ,この日は朝のうちに洗濯をしていましたので,それを取りこんだりなどする時間もあり,僕は午後7時半ごろ,普段よりは遅めの夕食となりました。弁当でしたから,妹は先に食べ終えています。
 母の異変の後,最も大変であった日,あるいは最も長く感じられた1日はどの日であったかといえば,僕はこの日だったと思っています。こども医療センターの遺伝科に連れて行った日も大変ではありました。ただ,こども医療センターも神奈川大学も,妹を連れていくには同じように不便な場所にはありましたが,こども医療センターはバスは病院の目の前まで行ってくれます。純粋に移動した時間だけを考慮するなら,同じくらいか,もしかしたらこども医療センターの方が長かったくらいかもしれません。しかし,歩いての移動というのはこの日の方がずっと長く,その点でこちらの方が大変だと感じたのです。また,母の見舞いを先にすませておいたか,後にせざるを得なかったのかという違いもありました。
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報知オールスターカップ&リズムダンス

2011-01-03 18:49:42 | 地方競馬
 笠松から3頭,高知から1頭の遠征馬を交えての争いとなった第47回オールスターカップ
                         
 好発からマグニフィカの逃げ。負傷の町田騎手から的場騎手に替った高知のグランシュヴァリエが2番手で,3番手にはブルーラッド。この距離ですから折り合いに専念する馬が多く,スローペースとなりました。
 後ろから5番手に位置していたボランタスが向正面から進出してレースが動きました。前で対応したのはグランシュヴァリエとブルーラッドで,マグニフィカは後退。3頭が後ろを離して直線に入りましたが,グランシュヴァリエもすぐに脱落。最後まで抵抗したブルーラッドも力尽き,ボランタスが4馬身の差をつけての快勝。ブルーラッドが貯金を生かして2着に残り,直線で一番外を追い込んだタンゴノセックが3着。
 優勝したボランタスは昨年6月のゴールドカップ以来の南関東重賞2勝目。おそらく乗り難しいタイプの馬と思われ,そのために成績には安定性を欠いていますが,能力はおそらく重賞でも通用するものがあります。距離も本来はこのくらいあった方がいいタイプの筈で,今日は能力を出し切っての勝利。ただ,今後も好走と凡走を繰り返すという可能性もあるかと思います。『エチカ』岩波文庫版で意志と訳されているラテン語表記がvoluntas。
 騎乗した川崎の山崎誠士騎手はゴールドカップ以来の南関東重賞制覇で,2008年以来のオールスターカップ2勝目。管理しているの父である川崎の山崎尋美調教師で,オールスターカップ初勝利です。

 僕は実際に行ってみるまでよく分かっていなかったのですが,このリズムダンスの発表会というのは,ある団体が主催しているイベントの一部として行われるものでした。妹にリズムダンスを指導している講師が,この団体と関係があって,それでこのイベントに参加するということになったようです。イベントでしたので妹たちのダンス以外にもいくつかの発表があり,近隣の中学校の吹奏楽部の演奏,横浜マリノスのチアリーディングの演舞,また,僕は名前は知りませんでしたがプロの歌手の歌など,内容はかなり多岐にわたっていました。
 ダンスの発表といっても,別に妹がひとりで踊るというわけではありません。妹のほかにも妹が通っている施設でリズムダンスに参加している障害者もいますし,また,その保護者の中にもこれに参加している人もいまして,集団でダンスをするのです。僕はこうしたものを観るのは初めてでしたが,妹のダンスというのはまあひどいものでした。ほかの人たちはそれなりに踊れていましたが,妹だけはその動きに関係なく,ひとりで勝手に踊っている,というより動いているという印象でした。は何度か妹をこうした発表会に連れて行っていましたので,あとで話を聞いてみましたが,妹の場合はいつもいつもそんな感じだったようです。ただ,僕としても妹にみんなに合わせて上手に踊るということを求めているというわけではありません。妹が楽しめるのであればそれだけで十分ですし,実際にかなり楽しそうにしていましたから,連れてきたことはよかったと感じました。
 こうしたイベントでしたから,妹たちのダンスが終了しても,イベント自体はまだ続きました。ただ,発表終了後に現地で解散という段取りで,僕たち以外は残ったようですが,僕たちはすぐに会場を後にしました。神奈川大学はかなり広い敷地がありまして,このイベントの舞台となった体育館というのは,来るときに入ってきた門からはかなりの距離がありました。そこで帰りは体育館に最も近い門から出ましたので,来たときに下りたバス停とは異なった停留所になりましたが,同じようにバスで横浜駅西口へ。それから東口まで歩いて別のバスに乗り換え,母の見舞いに向ったのです。
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ヤンググランプリ&神奈川大学

2011-01-02 14:22:48 | 競輪
 年齢は20歳から31歳までと幅広いものの,92期から96期までの新鋭9人で争われた28日のヤンググランプリ。並びは牛山-木暮の関東,深谷には岩本,水谷-三谷の滋賀,脇本-西谷の近畿で,坂本は単騎。
 深谷が前,牛山が3番手,水谷が5番手という隊列で外を脇本が上昇。坂本も続いて打鐘前のバックで前に。深谷は引いて8番手。脇本ラインに続いていったのは牛山で,ホームから発進して先行争い。これは脇本が制しましたが,番手の木暮がバックから自力で出て先頭。これに水谷が続きましたが,さらにその上を深谷の捲り。これが決まって深谷の優勝。水谷が2着に残り,水谷マークの三谷が3着。
 優勝した愛知の深谷知広選手は96期の20歳と,このメンバーの中でも最も若く,また最もキャリアの薄い選手。おそらく8番手からでも捲れるという自信があってこうした運行になったものでしょう。グレードレースは初優勝ですが,GⅠの決勝に進出しているくらいですからここでは力は上位と思われましたので順当な優勝。今年は間違いなくさらなる飛躍の年になるだろうと思いますし,順調に成長すれば,将来の競輪界を背負って立つような存在になるのではないかと思います。
                         

 12月11日の土曜は,妹に美容院の予約が入っていました。妹は月に1度程度の割合で美容院に行っています。11月は伯母の来日中で,伯母が連れて行ってくれました。12月も伯母の来日は予定されていましたが,来日する22日以降では遅いということで事前に予約し,この日になったもの。よって僕が連れていく予定になっていたのですが,前日の夜,父の最期を僕たちと一緒に看取った父の最も下の姉から電話がありまして,連れて行ってもよいとのこと。ということでお願いすることに。美容院の予約は午後3時から。先に母の見舞いをして,磯子中央病院でその伯母と待ち合わせ,妹を預けました。僕は買い物をして帰りましたが,もちろん妹よりは早く家に着いています。
 妹は,作業所では基本的にパンをはじめとする食品の生産の仕事をしています。しかしそれだけではなく,レクリエーション,学校でいうならクラブ活動のようなものもありまして,リズムダンスというのをやっていました。これが毎週木曜日の午後。僕はそれは見学したことがありませんから,どんなものであるか詳しく知りませんが,年に何回かは,その発表会というのがあるのです。そしてそれが翌12月12日の日曜に予定されていました。これは妹が楽しみにしていることのひとつですから,僕としても連れて行ってやりたいという気持ちがあり,11月のうちから参加を申し込んでおいたのです。
 この発表会の舞台というのは神奈川大学でした。神大というのは僕も何度か行ったことがありますが,やや不便なところにあります。電車を使う場合,東急東横線の白楽駅か東白楽駅から歩くことになるのですが,どちらの場合もけっこうな距離があります。しかも神大に行くためには,どちらの駅から歩くにしても少し坂を上って行かなければなりません。僕にしてはどうということもないことなのですが,妹にはかなり大変な筈。ということでどうしたものかと思っていました。ところが,作業所というか,作業所を運営している施設の活動の一環ということで,引率者がひとり出るとのこと。そして,横浜駅からバスに乗って参加する全員で行くので,神大ではなく,横浜駅に集合ということになったのです。解散は現地でしたので,ついていかなければならないという点は何も変わりませんでしたが,懸案はこれでひとつ解消されました。横浜駅西口のバス停への集合時間が12時50分。電車で行くのが最も早いのですが,この点でも妹の負担軽減を考慮し,バスを選択。このため家を出るのは11時45分とやや早くはなりましたが,時間通りに集合場所に到着することができました。
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広島記念&委任状

2011-01-01 14:14:25 | 競輪
 昨年最後の記念競輪となったのは広島記念で,決勝(動画)は26日でした。並びは岡部に加藤,小嶋-上田の中部,浜田-佐々木の四国に鈴木-望月の南関東が続き,林は単騎。
 前受けは小嶋。中団に浜田が入り,林を挟んで岡部が後方という周回。残り3周のバックで岡部が上昇して中団に。引いた浜田が残り2周から巻き返していき,林まで一列で続き,その後ろに岡部,小嶋は後方に。バックから岡部が捲っていくも番手の佐々木に併せられて万事休す。直線はマークした鈴木の猛追を凌いだ佐々木の優勝。鈴木が2着で3着にも鈴木マークの望月。
 優勝した高知の佐々木則幸選手は2007年9月の取手記念以来となる久しぶりの記念競輪優勝。かつてはビッグの表彰台にも乗った選手で,また衰えるような年齢でもないのに最近は鳴りを潜めていました。ここは浜田が行ってくれての番手捲りですから,展開には恵まれ,そのわりにはきわどく詰め寄られてしまったいう気もします。今年は完全復活してほしい選手のひとりです。

 僕はこの種の書類を申請すること自体が初めてでしたので,委任状などは作成したことがありません。しかし,このような仕方で作成すればよいというマニュアルのようなものももらいましたので,それに則って作成しました。ただ,署名だけは本人の自署でなければならないということでしたから,名前だけは妹に書かせたわけです。
 このようにしなさいという指示がありましたし,またこの指示通りにしなければ妹の印鑑登録証は発行してもらえませんでしたからこのようにしたわけですが,僕はこの委任状のシステムには甚だ疑問を感じざるを得ませんでした。というのは,これはまったくもって形式的なものにすぎないと思えたからです。
 実際のところ,妹は重度知的障害であり,自分の名前を書くことくらいはできますが,委任状の中身の何たるかを知っていたわけではありません。そもそも,この委任状の内容を知るためには,相続の何たるかを理解していることが不可欠ですが,妹にそれを理解させるというのははっきりいって無理な相談です。つまりこの委任状は,形式はいくら完璧なものであったとしても,実際の内容は何も伴っていない,こういってよければ0だったのです。
 しかるに,もしもこのような方法で実印の登録ができるのであれば,別に僕でなくとも,だれであっても妹の印鑑登録をすることが可能です。ただ委任状に名前だけを書かせればよいわけですからこれは簡単。実印の登録自体は,何の不利益も被らないようなことかもしれませんが,これを悪意で利用することは可能です。また,このようなシステムで申請できる書類は,たぶん印鑑登録だけではない筈ですから,妹に具体的な不利益を被らせるということもいとも容易にできてしまうのではないかと思います。
 こうした悪意による詐欺というのは,現実的に発生していると思います。そしてこの形式だけで内容をいっかな伴わないような委任状という制度は,そうした犯罪というのを後押ししているとか助長しているとまでいってはいいすぎかもしれませんが,少なくとも誘発しているのではないかと思います。
 だれもが同じようにすべてのことをきちんと理解できるというものではありません。制度を作り,また運用していく立場の人間は,そのことをもっとよく理解しておく必要があるのではないかと思います。
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