スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東日本大震災被災地支援福井記念&時間変更

2011-07-12 18:38:18 | 競輪
 地元エースの登場となった福井記念は今日が決勝。並びは金子-山口の中部,脇本-市田-渡辺の福井,村上に紺野,田中-堤の西国。
 やや牽制がありましたが,村上がSを取って前受け。金子が3番手,田中が5番手,脇本が7番手で周回。残り2周のホームで脇本が上昇開始。田中が併せて出て,番手戦を挑もうかというところでしたが,バックでは後退し8番手。村上を脇本が叩いた打鐘から金子が巻き返していきホームまで先行争い。制したのは脇本で金子は後退。バックから後方の田中が発進。しかし4番手の村上に合わされ失速。直線手前から市田が踏み込むと,後続の追い上げを一杯に凌ぎきって優勝。金子は早々に脱落したものの,その後うまく立ち回った山口が中を割る形でかなり迫って2着。外を回った村上が,さらにその外から追い込んだ堤を抑えて3着。
 優勝した福井の市田佳寿浩選手は昨年は10月に開催された福井記念以来となる記念競輪13勝目。田中と競りにならなかったのが最大の勝因。競り込まれていたら,仮に競り勝てたとしても,村上に展開が有利に運んだのではないかと思います。金子の巻き返しを牽制で阻止した上での優勝で,その点は価値が高いのではないでしょうか。
                         

 この日も,帰りに薬局に寄ってきましたが,インスリンも注射針も在庫が揃っていて,処方されたすべてのものを受け取ることができました。そして次回は8月1日が通院の日として設定されたのですが,ひとつ,大きな変更がありました。それは時間です。検査はこれまで通り正午からで変わりません。というより,検査の内容に血糖値の計測が含まれていますから,これはあまり早めるということはできません。変更があったのは診察の方で,これが午後1時からとなりました。
 前にもいいましたが,父は存命中はⅡ型糖尿病で,やはりみなと赤十字病院で,僕の主治医と同じ医師の診察を受けていました。父の場合も採血と採尿の検査,そして診察と,内容自体は僕と同じでしたが,実は父の診察時間は決まって午後1時からだったのです。つまりこれでみれば,正午に採血と採尿を行って,その検査の結果がМ先生に届くまで,1時間も掛からないようです。1時ということになれば,当然ですが一旦は家に戻るということはできません。よって検査の終了後は,おそらくみなと赤十字病院内の食堂で昼食を摂るということになるでしょう。つまりインスリンを携帯して行かなければなりません。また,使用済みの注射針に関しても,検査を受ける段階から持っていくということになります。この日だけ1時になるのか,それともこれからはずっと1時になるのかは分かりません。
 翌6月7日は妹のみなと赤十字病院の歯科でした。これも母が連れていきましたから,どんなことが行われたのかは僕には分かりません。ただ,母の話によりますと,次で当面の治療は終了ということになるようです。歯周病に関して何か処置をしたということではないようなので,おそらくそちらについては経過を観察し,あまりに痛がるようになったときには何らかの処置を施すということなのだろうと思います。終了というのは,医師の治療に関することではなくて,おそらくその前に行われている歯科衛生士による歯のクリーニングが一段落するということだと思われます。僕が連れて行っていたときもそうでしたが,妹は歯科に行けば歯が痛いと今でも言うようなのですが,日常生活については何かひどい不便性が生じているということはありませんから,それでいいのだろうと思います。
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ディープディーン&検査結果詳細

2011-07-11 19:18:38 | 血統
 宝塚記念で待望の大レース制覇を達成したアーネストリー。牝系の輸入基礎繁殖牝馬は4代母にあたるアメリカ産のディープディーンという馬。ファミリーナンバー3-n
                         
 輸入は社台で繁殖生活は日本のみ。3頭目に産んだアスコットラップという馬から枝葉が広がりました。このアスコットラップが最初に産んだ産駒がギャロップダイナ。条件馬の身で挑戦した1985年の秋の天皇賞で,日本競馬の最強馬の1頭,シンボリルドルフを差し切って優勝。フロックでなかったことは翌年の安田記念を優勝したことからも明らか。秋の天皇賞はサクラユタカオーの4着。引退レースとなった同年の有馬記念,僕の競馬キャリアで最初の有馬記念ですが,ここでもサクラユタカオーやメジロラモーヌを相手に2着に食い込んでいます。
 ギャロップダイナの妹がダイナチャイナで,1997年の目黒記念を勝ったアグネスカミカゼの母。この馬はブリンカーを装着することで一気に勝ち進み,その目黒記念が最後のレースだったのですが,もしも無事ならばさらに活躍できていたかもしれません。
 これを最後に一族から10年ほど重賞の勝ち馬は輩出しませんでした。しかし一族の復活を予感させたのがダイナチャイナの妹の孫として産まれたヴァンクルタテヤマで,2008年にプロキオンステークスとサマーチャンピオン,一昨年は北海道スプリントカップサマーチャンピオンと重賞4勝。この流れを引き継いだのがアグネスカミカゼの妹の産駒となるアーネストリーで,ギャロップダイナ以来,一族から2頭目の大レース勝ち馬となりました。
 活躍馬が牡馬ばかりなので,これがすぐに一族の復権になるとは限りませんが,枝葉は続いていますので,またどこかで優秀な馬が誕生するという可能性はあるだろうと思います。

 いつものように引き取ってもらう使用済みの注射針を携えて再びみなと赤十字病院に。この日は4月の通院の際にはもらうことができなかった,検査内容のオーダーとその結果が印字された検査詳細情報をもらうことができました。
 糖尿病の患者にとって最も重要な検査といえるヘモグロビンA1cですが,この日は6.9%。4月のときよりもさらに改善されていたわけです。何度かいっていますように,僕の場合はこの値は,今年の2月の検査のときに異常に高くなったときを除けば,およそ7%前後で推移していたのですが,実際に7%を下回る値が出たのは,昨年の7月26日の通院のとき以来。そのときも同じ6.9%でした。
 それから糖定性ですが,この日は1+という結果。つまり若干の尿糖が出ていたものと思われます。これも説明したことですが,尿糖の有無というのは,尿の採取時における血糖値がどれくらいであるのかということと比例します。実はこの日は血糖値が247㎎/㎗と高めでしたので,その影響で尿糖が出たものと思われます。この日は起床時に自宅で血糖値を計測していましたが,なぜか330㎎/㎗という,この頃にはなかったような異常な数値が出ていました。これだけの数値が出てしまいますと,そうもすぐには血糖値は下がってくれませんので,血糖値が高いであろうということは僕の想定していた通りです。もちろんこんな数値が続けて計測されるようであれば大問題ですが,これはあくまでもこの日だけのこと。翌朝も計測しましたが,そのときは72㎎/㎗で,むしろ副作用としての低血糖を心配しなければならないような値でした。どうしてこの6日の朝だけこんなにも異常な数値が出てしまったのかは分かりません。
 もうひとつ,このブログでいくらか気にしているのは尿クレアチニンですが,この日は50㎎/㎗でした。これはどうやって計測しているのか分からないのですが,僕の場合,この検査の結果は必ず10㎎/㎗か,そうでなければ50㎎/㎗であるかのどちらかです。これは正常の下限が10㎎/㎗で,たびたびいっていますように,筋肉質な体型である方が高くなるようなので,僕はそうも高くなることは考えられず,どちらかしか出ないのなら50㎎/㎗の方がよいのでしょう。ただし体重は依然として増加には転じていません。
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竜王戦&アームバンド

2011-07-09 18:54:05 | 将棋
 昨日の第24期竜王戦本戦トーナメントのもう一局は右の山から,中堅に入ったといえる山崎隆之七段に若手の佐藤天彦六段。こちらも公式戦初対局。
 振駒で佐藤六段の先手。山崎七段の一手損角換り1-Ⅱから先手の棒銀。この戦型ではたまにありますが,後手が居玉で頑張る中盤の戦い。この将棋は最終盤の競り合いというのがなく,結果的に中盤の応酬で決まってしまったようです。ここでは局面がはっきりしたと思われるところを。
                         
 8四にいた角を引いたところ。狙いは▲2四歩△同歩▲4四角△同金▲2四飛の十字飛車。これを受ける手として△4三銀があるのですが,実戦は△6五銀右と攻めていきました。これには▲同桂△同銀は当然で,角も逃げてはいられませんから勢い▲4四角△同金(第2図)と進みます。
                         
 先手はこう進めたなら▲5二銀と打っていくのが本線でしょうが,この攻め合いは後手が勝つとのこと。よって▲7一銀の修正手順が指されたのですが,余されてしまうことになりました。つまり第1図で△6五銀右と出たのが,最終的な勝着であったということになると思います。
 勝った山崎七段は来週の金曜に準決勝進出を賭けて久保利明二冠と対戦。その将棋も採り上げます。 

 週が明けて6月6日は僕のみなと赤十字病院通院の日でした。この日はいつもより少しだけ早く病院に到着しました。これは乗ったバスが速く走ったからです。
 前にもいったことがあると思いますが,みなと赤十字病院というのはわりに広い県道82号線から少し細い道に入った通りにあります。僕の家から向いますと,この細い道に入るところが右折。そしてこの右折した先,これは病院よりさらに先という意味ですが,そこに首都高速の新山下インターがある関係で,ここを右折する自動車というのがわりに多いのです。しかしこの右折の信号は青になっている時間が非常に短い。病院入口は直進ですから関係ないのですが,病院前まで行くバスの場合,ここで思いのほか時間が掛かるのです。ところがこの日はそれがスムーズで,普段よりも早い到着となったわけです。
 実は前日の5日,僕はWINS横浜で馬券を購入した後,ちょっと所要がありまして,バスで本牧方面へ出掛けました。この場合,途中で中華街や元町の近辺を通過するのですが,異常と思えるくらい混雑していました。どうも元町をF1のレーシングカーが走行したらしく,おそらくその見物客の影響だったのだろうと思います。前日にこんな大渋滞を経験していましたので,余計にこの日のバスの運行は順調に感じられました。
 最初は中央検査室で採尿と採血ですが,この日はそれまでと変わった点がひとつだけありました。それまでは採血のために注射をしますと,脱脂綿のようなものを患部に貼られ,それを5分ほど押さえているように指示されました。これは採血に限らず,注射をした際にはよくなされる処置ではないかと思います。しかしこの日は,濡らした脱脂綿を患部に貼られるところまでは同じでしたが,その上から青色のアームバンドのようなものを当てられ,そのままで5分ほど待つようになりました。要するに自分の手で押さえつけている必要というのはなくなったわけです。したがって,採血が終ったらすぐに移動することが可能になりました。というか,自分の手で押さえながらでも移動することは可能といえば可能でしょうから,移動が楽になったというのが正確かもしれません。ただし僕の場合はこれで一旦は帰宅しますのであまり関係はありません。
 このアームバンドは使い回しです。検査の後で診察があるという場合,そちらの受付で返却することも可能。僕はその場で5分待ち,中央検査室の受付に返して,家に戻りました。
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竜王戦&コミュニティー

2011-07-08 23:50:27 | 将棋
 第24期竜王戦の本戦トーナメントは一昨日の開幕局で展望では本命に推した羽生二冠が破れるという波乱の幕開け。今日は注目カードが2局。2局の観戦は僕の能力から無理ですので,左の山の若手同士の対戦の方を選択しました。公式戦初対局。
 振駒で永瀬拓矢四段の先手で角道オープン中飛車美濃囲い。稲葉陽五段は5筋の位を許さず持久戦の構え。7筋に位を張った先手が中央から仕掛ける形で小競り合い。後手が捌きにいくのを先手が抑え込むような展開に。断続的に進行をみていましたが,下図から本格的に観戦。
                         
 ここは▲7四飛と切る一手に思えます。逆にいえばそうやってこいという意味の△6七馬だったということでしょう。以下△同歩に▲4三歩成△同金▲5二銀を考えていましたが,歩は成らずに▲4三銀。△4六歩は筋といえる攻め。▲5七金は検討の範囲ですが△4七歩成▲同金の進行には驚きました。これでは失敗しましたといっているようなものだからです。反省の一手は△7七馬(第2図)。
                         
 攻め駒の状況と玉の危険度から勘案してここは先手がよくなっていると思いました。▲3ニ銀成△同銀は検討手順。そこで歩を守りつつ▲4三金。取らせろと△4ニ歩。▲同金△4四馬▲5一金まで検討手順。そこで△2五桂は少しも考えていませんでした。狙いは1筋ですがそこで▲3九角と引いて受けたのも僕には驚愕の一手。一時的にであれ玉の退路を塞ぎますから僕なら絶対に指せません。1回は飛車を打っておく手を考えていましたが△4八歩。▲同金引は当然。△1四歩も悠長な感じはありますがこちら側から攻めたくなるのは分かりますし,玉の逃げ道にもなっています。先手はさらに▲2六金(第3図)と受けました。永瀬四段は受け将棋ですが,このあたりは棋風通りといったところ。
                         
 ここで△5三馬と歩を払いましたが▲2五金と要の桂馬を取られ,△5六桂に▲3四金と進出。△4五銀は考えていませんでしたが部分的には金の行き場がなくなっています。▲5四歩△同馬▲5ニ飛△4八桂成▲同角△5三金(第4図)までは検討の範囲内。
                         
 ここはまた大変になっているかもしれないと思えました。▲4二飛成とすれば△3四銀は当然。▲4六桂に△4三馬もほかは考えにくそう。▲3四桂△同馬▲3一銀△2一王▲5三龍の詰めろまで,検討する間もなく進みました。△3一王はこの一手。▲4二金と王手し,△2二王に▲3ニ金と取り,△同王に▲4四歩の垂らし。これには△4ニ歩(第5図)。先手は選択肢がありますが,後手はこれしかないという手が続いている印象でした。
                         
 ここで▲4一金の詰めろ。うまい受けが浮かびませんでしたが△3三銀。▲5一龍△2二銀打▲4三歩成まであっという間に進行。△同王で取って▲5五桂に△3ニ王と戻りました。▲4三歩は当然。△2四歩と通気口を開け▲4ニ歩成△2三王までは一本道。▲4三桂成は予想の一手でついに△4六桂の反撃。▲4七銀△2五歩▲4六銀△2六歩。先手が1分将棋に突入していることもあり,このあたりは検討している時間がありませんでした。▲同歩はこうやると思っていた手で△2七歩。▲同玉(第6図)は当然。
                         
 △2五歩は検討の本線。▲3五銀打はあるいはこれかと思っていた手。△4七金は考えていませんでした。詰むかどうかじっくりと検討したいところですが時間がありません。▲3三成桂△同銀▲3四銀△同銀▲5三龍△4三歩まで瞬く間に進展。そこで▲3五銀打(第7図)という攻防手が指されました。
                         
 △2六歩▲3六玉△4六金▲同銀まで検討通り。△4四桂と打つ手を調べていて,どうも先手が勝ちそうかなと思っていたら△2五金でした。▲4七玉の一手に△7七飛と打ち,▲5六玉と脱出。それは許さんと△4四銀と縛りました。先手は▲3二角△2四王の交換を入れてから▲4四龍と銀を取り,△同歩に▲3五銀打。△同金▲同銀△同王▲3六金△2四王▲2五歩△3三王▲2四金△2二王▲3四金(第8図)まで,変化の余地はあっても検討の範囲内。
                         
 これはとても受からないので先手玉が詰むかどうかの勝負かと思いました。ところが△4七銀▲5五玉△5七飛打▲4四玉△5三銀▲4三玉△5四飛成▲5二玉△6三銀▲6一玉という逃げ方を選択したので△3四龍(第9図)と金を抜かれる波乱が起きました。
                         
 すぐには詰まなくなったとはいえここで▲3五桂。△3一桂を▲同金と取り△4二銀▲2一角成△3三王▲1一馬。これに△2二金と合駒をせざるを得ないのでは後手に勝ち目はなくなったように思えました。以下も続きましたが先手の勝ちになっています。
 何か独特の世界があるような感じの指し回しで永瀬四段が2回戦進出。次も突破して佐藤康光九段と対戦することになれば,その一戦は採り上げます。今日のもう1局はまた明日。

 このとき,妹は前日の6月1日から1泊の宿泊だったのですが,これに関してはこの共生記の中でこれまでに触れていなかった事柄が多く含まれますので,ここで詳しく説明しておきます。
 妹は作業所に勤務しているのですが,この作業所というのがある福祉法人の施設のひとつであるということは以前に説明した通りです。妹も福祉法人自体の方に出掛けるということもあり,その場合には位置の関係で,作業所よりは家から遠くなります。そしてこの法人の建物に,宿泊施設というのが併設しているのです。
 障害者,とくに知的障害者の場合,面倒を見きれないという理由で,ことばはあまりよろしくありませんが家族や親戚から見放されてしまうというケースが現実的にあります。この宿泊施設というのはそうした人たちのためのもの。したがって,実際にはそこで寝泊まりしている人がいるわけで,生活実態がそこにはあるわけですから,宿泊施設というよりは居住空間,あるいは一種のコミュニティーがあるといった方が正確だろうと思います。極端な場合ですと,そこで居住者が死んでしまったというようなときに,遺体を引き取るということを拒絶され,無縁仏としてではありますが,法人の手で葬られるというようなこともありますから,単なる居住空間としての意味以上のものをもっているということは確かだと思います。
 そこでこの福祉法人に勤務している人はだれでも,このコミュニティーの中で暮らすようになるということが,可能性としては考えられるわけです。したがって僕の妹のように,現在はそれを利用する必要性がないという人も,少なくとも1年に1度は一種の訓練としてここに1泊することになっているのです。それが今年の場合,これはこちらから求めたというわけではなく偶然ではあったのですが,6月1日と2日ということになっていました。6月2日の朝に妹が家に不在であったのは,こうした理由からです。
 は,ゆくゆくは妹がそこで暮らすようになるケースも想定はしているようです。妹の場合,現在でも頼めばすぐに入所できる筈です。たとえば入所させて,週末だけは家に帰るというような使い方も可能ですが,現時点で必要か不要かでいえば不要ですから,利用はしていません。
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ホクトベガメモリアルスパーキングレディーカップ&肝機能の回復

2011-07-06 20:36:58 | 地方競馬
 58キロのラヴェリータに53キロのアイアムアクトレスが挑むという図式になった第15回スパーキングレディーカップ
                         
 まず内からスズリスペクトが先頭に。トーホウドルチェも好発でしたが外だったので2番手に控えました。発馬はこの2頭ほどではなかったラヴェリータですが,この2頭の外をあまりスピードを緩めずに上昇し,1コーナーに入るところで先頭に立ち,レースを引っ張りました。スズリスペクト,トーホウドルチェと続き,アイアムアクトレスは4番手。前半の800mは49秒9ですからスローペース。
 能力ではっきりと劣るスズリスペクトは向正面で後退。トーホウドルチェが2番手に上がりましたが,3コーナーを回ってからむしろ逃げたラヴェリータの方が差を広げ始め,結果的に6馬身もの差をつける圧勝。トーホウドルチェも2着は危なげなく確保。アイアムアクトレスは意外と動けず3着まで。
 優勝したラヴェリータは3月のエンプレス杯以来の重賞7勝目。このレースは一昨年,昨年と勝っていますので同一重賞3連覇の偉業。この馬は牡馬を相手にしても対等に戦える馬で,58キロでもその貫録を見せつけた形。川崎は最も得意とするコースですし,夜の競馬の経験も豊富だったということも大きかったろうと思います。La Veritaはイタリア語で真実。
 騎乗した武豊騎手2007年以来の3勝目。管理している松元茂樹調教師は3連覇で3勝目。
                         

 この日の遺伝科の予約時間は午後3時。僕は自分自身の経験から,それなら母と妹が帰宅するのは午後6時前後になるだろうと想定していたのですが,それより1時間も早い午後5時頃には帰ってきたので驚きました。こども医療センターで時間が掛かるのは,診察が始まるまでの待ち時間と,精算のための待ち時間なのですが,どうもこの日は病院に到着するなり診察してもらえたようなのです。母も自動車の運転以外はほぼ入院前の日常を取り戻している状況ですが,過度の負担がかからずにすんだのは幸いでした。
 翌週の火曜日,5月24日は母の磯子中央病院の内科の通院でした。4月の検査のときは数値が良化していたものの,ASTもALTも正常値とされる範囲はオーバーしていたのですが,この日はさらに良化し,ついに正常値の範囲内に治まるようになりました。降圧剤を変えてからだいぶ日も経っていて,その効果がここにきてはっきりと表れるようになったということなのだろうと思います。一方,前回はこちらも異常な値を示していたALPの方は,やはり良化こそしていたもののこの日も正常とされる値を上回っていました。ただどうも主治医はこちらの方に関してはあまり問題視していないようで,このために,肝機能の数値に異常が出始めてから1ヶ月に1度という割合で設定されていた通院の間隔が,次回は2ヶ月後に延びることとなりました。これはそれだけよくなってきたということの証だと考えてよいのだろうと思います。
 月が明けて6月2日。この日は母の脳外科の方の通院でした。内科の場合は午後ですが,脳外科は午前中。また,母の脳外科の通院は主治医の関係から必ず木曜に設定されていて,これは妹の送りのサービスがない日ですので,これに支障が出ることになります。ただ,この日は妹がちょうど宿泊中でしたので,問題ありませんでした。
 妹の支援のうち宿泊のサービスは,母の入院中は基本的に月に2回,1泊という形で利用していましたが,退院してからは月に1回,ただし2泊という形に変えました。宿泊のサービスがある場合は事前に着替えなどの用意が必要で,その負担を減らすということを主目的にした変更です。もっとも,この日の宿泊は,実際にはこのショートステイの利用ではありませんでした。
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農林水産省賞典中山グランドジャンプ&歯科定期検診

2011-07-04 18:38:32 | 中央競馬
 東日本大震災の後,3月と4月の中山競馬は中止。4月16日に予定されていた中山グランドジャンプは他場での代替が難しく,ずっと延期になっていました。それが今夏の福島競馬が被害が甚大で開催できなくなったため,中山に代替となり,7月2日に第13回中山グランドジャンプとして行われました。
 最初の正面の直線に入るところで内からメジロラフィキが先頭に立つと,あとはずっとこの馬が馬群を引っ張る形。今年は仮柵の関係で4260mという距離だったのですが,この距離のレースとしてはかなり快調に,ペースを緩ませずに逃げた感じがします。また,こういう場合はえてして早い段階で取り残されてしまう馬が出てしまうものですが,そんなこともありませんでした。
 ふたつの大障害を飛越しても落馬する馬はなし。あと1周となったところでオープンガーデンが2番手に上がり,マイネルネオス,メルシーエイタイムという順に。向正面でメルシーエイタイムが先に動き,オープンガーデンに並び掛けると,オープンガーデンは苦しくなったか後退し,メルシーエイタイムが2番手に。逃げたメジロラフィキが先頭で直線に入り,最後の置き障害に挑みましたが,ここで力尽きるかのように倒れ込んで落馬。頚椎骨折で即死だったよう。メルシーエイタイムがうまくこれを避け,あとはゴールにまっしぐらかと思いましたが,先を越される形となったマイネルネオスが,この障害を飛越した後の短い直線をぐんぐんと伸び,ゴール前でメルシーエイタイムを交わして大逆転優勝。メルシーエイタイムが2着。落馬を避けるために外を回ったオープンガーデンをゴール前で内から交わしたタカラボスが3着。
 優勝したマイネルネオスはこれまで障害は16戦して3勝。ただ,負けたレースもそんなに大きく崩れてはいませんでした。障害の場合,高齢になっても極端に衰えるということはなく,こういうタイプの馬は無事に使い続けていればどこかでチャンスが巡ってくるもので,この馬の場合はここがそれだったということでしょう。今後ももう少しは活躍し続けられる馬だと思います。父はステイゴールド,姉に2003年のフラワーカップを勝ったマイネヌーヴェル,弟に2008年のシリウスステークスを勝ったマイネルアワグラスと同年の京成杯と弥生賞を勝ったマイネルチャールズ
 騎乗した柴田大知騎手はデビュー直後に活躍して,その後は落ち込み,1勝も上げられない年もありましたが,昨年あたりから輝きを取り戻す兆しをみせていたジョッキー。大レースはこれが初勝利。管理している稲葉隆一調教師は2000年のジャパンダートダービー以来の大レース3勝目。きょうだい4頭が重賞を勝ったわけですが,すべて稲葉調教師の管理です。

 その後,しばらくの間は特筆するような出来事は何もありませんでした。月が明けてゴールデンウィークも終わり,5月13日の午前中に,I歯科へと歯の定期検診に行ってきました。実は歯科は4月中に行く心積もりをしていたのですが,きちんと時間を確保できる日というのがなく,この日まで延びてしまったもの。I歯科の場合は行けばほとんど待たずに診察してもらえるというのがほとんどのパターンで,この日も同様でした。
 前にもいったように,この歯科には歯科医師,歯科助手,歯科衛生士の3人がいました。それが前年の暮れの定期検診のときは,歯科助手がおらず,ふたりだけでした。この日は3人ともいたのですが,歯科助手はそれまでには見たことがない人でした。おそらく前任の歯科助手が何らかの事情でこの歯科を退職し,前回の定期検診のときはその後任がまだいなかった時期だったのだろうと思われます。僕の歯を直接的に治療するのは前任の歯科助手であるケースが多かったのですが,この日は前回と同様に歯科衛生士の方が僕の歯のクリーニングを施しました。それ以外には何の問題もありませんでしたので,いつもの定期検診と同様にそれで終了。正午を少し過ぎた頃には家に着くことができました。
 週明けの火曜,日付でいえば5月17日は,妹のことも医療センターの遺伝科の予約が入っていました。前回は母はすでに退院していたのですが,まだ連れて行く自信がないということだったので,僕が連れていきました。しかしこの日は母が連れて行くとのこと。そのために僕は午後からですが予定をひとつ入れることができました。僕の行き先からするとやや遠回りだったのですが,時間的にいえばちょうどよくなりそうだということで,途中までは僕も一緒に行き,神奈川中央交通のバスに乗り換えるあたりで見送りました。つまり僕は病院までは行きませんでしたから,そこでどんなことがあったのかということまでは分かりません。ただ,特別に何らかの検査を行うという場合には,大概の場合は事前に連絡がありますが,この日はそれもありませんでしたから,主治医と少し話をして,癲癇の発生を抑止する薬の処方箋を出してもらうという,この病院への妹の通院の主目的だけで終ったのだろうと思います。
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東日本大震災被災地支援寛仁親王牌・世界選手権記念&間引き運転

2011-07-03 19:09:39 | 競輪
 大津びわこ競輪場の廃止で玉突き的に弥彦競輪場での開催となった第20回寛仁親王牌の決勝。並びは渡辺-佐藤-成田の北日本で,神山が番手戦,そしてその神山に大塚,浅井-山口-山内-坂上の中部。
 前受けは浅井。5番手に渡辺の周回。残り2周のホームで渡辺の後ろは内が神山,外が佐藤に。しかし渡辺はなかなか動かず,浅井が誘導を使ったまま打鐘。ようやく渡辺がかまして浅井を叩くと,ホームで番手は神山。ただ,渡辺のスピードに遅れてしまった感があり,浅井が神山をどかして2番手に入る形に。バックの中ほどから浅井が渡辺との差を詰めていくように発進。直線で渡辺を交わすと,山口の追い上げも凌いで優勝。マークの山口が2着,中割りとなった坂上が3着に食い込み,並び順ではありませんでしたが中部の上位独占。
 優勝した三重の浅井康太選手は昨年の立川記念以来のグレードレース優勝で,ビッグは初制覇。渡辺の番手を狙って前で待ち構えていたかのようなレース。渡辺の発進が遅くなったことで,それがとてもうまくいったように思います。ワールドカップの競輪競技で銅メダルを獲得した選手ですから,寛仁親王牌の優勝者に相応しいように思います。

 計画停電が行われなくなったのは,ひとつには気候がだんだんと暖かくなってくる時期であったため,暖房の使用量が減ってきたということが大きかったのだろうと思います。しかしもうひとつ,企業の努力というのもありまして,電車の間引き運転というのがありました。というか路線によってはこれは現在も行われています。
 僕は最寄りの駅がJRの根岸駅ですから,最も多く利用する鉄道というのはJR根岸線および京浜東北線です。ただこれは現在は東日本大震災以前のダイヤで運行されていますから,影響を受けるということはありません。根岸線以外で多く利用するのは京浜急行なのですが,こちらは現在も日中は間引き運転がされていて,これに関しては僅かながら影響を受けています。
 どの程度の頻度で利用するのかとか,どの区間を利用するのかということもあまり定まってはいないのですが,区間だけでいうなら黄金町から京急川崎の間が最も多く僕が利用する区間ということになります。もちろん常にその区間を利用するというわけではなく,その途中で乗車したり下車したりすることもありますが,これ以外の区間はほとんど使いません。
 日中のこの区間は東日本大震災の前は,快速特急が1本走ると各駅停車が2本走り,再び快速特急が走ると各駅停車と急行が1本ずつ走って元に戻るというのが基本的なダイヤ構成でした。それが現在は,快速特急と急行は変わりませんが,2本走っていた各駅停車は1本だけになっています。したがって快速特急とか急行を利用する場合には何の問題もないのですが,場合によっては各駅停車しか止まらないという駅を利用しなければならないケースがありますので,そういうときには以前と比べますと長く駅で電車が来るのを待たなければならないということがあります。また,各駅停車の運行自体も,前の電車や後続の電車との運行間隔の調整のためと思いますが,以前よりゆっくりになっています。つまりそれだけ時間が掛かるようになっています。僕などは多くても週に1度か2度程度しか利用しませんからどうというほどのことではありませんが,日中に京浜急行の各駅停車を日常的に利用しなければならないという方々は,あるいは不便さを感じているのではないかと思います。
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棋聖戦&電波時計

2011-07-02 19:30:38 | 将棋
 僕の高校の修学旅行には九州も入っていて,水前寺公園にも行きました。その水前寺公園での対局となった第82期棋聖戦五番勝負第三局。
 深浦康市九段の先手で角換り相腰掛銀に。先手が▲2六歩のまま飛車を4筋に回り,桂馬を2五に跳ねて角を2八に打つ展開。先に羽生善治棋聖の方から仕掛け,いきなり飛車を切っていく中盤戦となりました。その後,先手は飛車を敵陣に打ち下ろし,その龍がめまぐるしく動き回る形で戦いが継続。観戦は下図から。
                         
 これはさすがに△2二同金と取る一手。先手は▲7四歩。まず△3六馬を検討。僕はそれで後手の方がよいのではないかと思ったのですが,△6五桂が選択されました。これは先手玉を逃がす心配もありますが,取られそうな駒が王手で逃げるわけですから,むしろ自然な手という意味もあると思います。▲8六玉を考えていたところ▲6六玉。△3六馬は検討していた手。どちらの銀を取られるのも痛いですが,うまく両方を受けることはできない。そして早い攻めも見つからない。僕にはどう指せばよいのか難しく,先手がやや苦しいように思えてきました。それでも実戦の▲7三歩成(第2図)はあなた任せみたいな手ですが,この局面で考えられる手ではありました。
                         
 どちらの銀を取る手も考えられるところ。僕が主に検討していたのは△3五馬の方でしたが△5八馬の詰めろ飛車取りが指されました。受けなければならないので▲6七歩。△8四桂と打つかとも思いましたがシンプルに△5七馬の王手。▲7六玉の一手に△3八飛の詰めろでした。下から追い掛ける手はあまり考えていませんでしたが,先手は歩切れですのでこれは相当に厳しく思えました。▲3四角~▲6六歩のような受けも無効であることを確認。よってここで検討は終了。あとは実戦の進行を見守るのみ。▲6八角は根性をみせた粘りと思いますが△7七桂成で先手の投了となりました。
 羽生棋聖が3連勝で防衛。一時は互角の戦いを繰り広げていた相手に2年連続のストレート防衛は,今後に向けても大きいことではないかと思います。
                         

 東日本大震災後の影響のひとつに,僕が使っている電波時計が電波を受信しなくなったというのがありました。この時計はボタンをひとつ押せば電波を受信するようになっていますから,僕も何度かは押したのですが,それでも受信しません。ただクォーツ時計としてはそのまま使用できるものですから,いつからか放っておき,そのまま使っていました。しかし現在は不受信の状況というのは解消されています。
 僕が最初にこれに気付いたのは4月22日の朝のことでした。この時計は深夜の1時,2時,3時の3回,自動的に電波を受信し直すようなシステムになっています。おそらくそれで受信を開始したのでしょう。朝日新聞の報道によれば,この電波を送る機械が福島県の田村市にあるそうで,これが地震で電波を送信できなくなった後,福島第一原子力発電所の事故の影響で,この場所自体に人が近付くことができなくなっていたようです。それが21日になって人が入り,電波の送信が再開されたとのことで,このため僕の電波時計も22日に朝には電波時計として復旧していたのだと思います。
 とはいえ,この時計はその後もずっと電波時計として機能していたというわけではありません。この後,また受信できなくなったり,受信するようになったりということを繰り返しました。僕ももうボタンは押さなくなっていましたから,自動的に電波時計になったりクォーツ時計に戻ったりということを繰り返していたわけですが,5月14日の朝に電波を受信して電波時計に戻っているのを確認して以降は,クォーツに戻ることなくずっと電波時計として機能しています。この間にどういう事情があって受信したり受信しなくなったりということを繰り返したのかは分かりません。
 一方,買い物の方ですが,こちらは発生していたある特定の食品の品薄状態というのもその後は発生していません。どうもヨーグルトが一時的に品薄状態に陥ったのは,ヨーグルトは生産をするために大量の電気を消費するため,計画停電やそれに伴う節電の影響というのがあったからだったようです。前にもいったように僕のところは計画停電の対象区域外でしたので,計画停電が行われなくなったのがいつからだったか覚えていませんが,その頃からはヨーグルトも以前のように入手できるようになっています。
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サンケイスポーツ賞優駿スプリント&競馬再開

2011-07-01 18:42:00 | 地方競馬
 近年の地方競馬は短距離戦が手厚くなっています。その流れで今年度から1200mの南関東重賞が新設。それが一昨日の準メーンとして行われた第1回優駿スプリント
 この距離ですから発走は重要ですが人気のロードガバナンスが出遅れ。概ね外枠の方がスタートダッシュがついた感じで,逃げたのはラブビジョン。ゴーディー,カラカル,ミヤサンキューティと離れずの追走。前半の600mは34秒3のハイペース。
 直線に入るとラブビジョンは後退。ゴーディーが先頭に立ちましたが,こちらも脚色は一杯一杯。ミヤサンキューティが楽々と交わしていくと,その直後に位置していたセントマーチが追ってきました。ゴール前ではやや差が詰まった感はあったものの,交わすには至らず,ミヤサンキューティの優勝。セントマーチが2着。セントマーチの後ろからの競馬となったリバーキンタローが3着。
 優勝したミヤサンキューティは昨年暮れに大井の新馬勝ち。その後,1400mの1戦を除いて一貫して1200mを使われ続け5戦3勝。第1回ということで,こういうタイプと,クラシックからの転戦組のどちらが上位なのかがひとつの焦点でしたが,前者の距離適性が上回る結果となりました。来年度以降もこうした傾向が続くことになるのかはひとつの注目点です。父はクロフネ,母の従弟に2007年の平安ステークス,東海ステークス,エルムステークス,2008年の名古屋大賞典ブリーダーズゴールドカップで重賞5勝のメイショウトウコンナイトライトシャダイプリマの分枝。
 騎乗した大井の真島大輔騎手は2月の金盃以来の南関東重賞制覇。管理する大井の鈴木啓之調教師は開業およそ2年で初の南関東重賞制覇。

 12月のときは網膜症の検査日和といえるような日であったわけですが,この日はよく晴れていました。このために余計に眩しさが増してしまい難儀しましたが,午後,というか夕方近くには外出しなければならない用件がひとつありましたので,出掛けています。もっともこれは伊勢佐木町の近くの長者町というところで,僕の家からはそうも遠くありませんでしたからほとんど問題ありませんでした。
 この週から南関東の競馬は再開されていまして,15日がクラウンカップだったわけです。一方,中央競馬の方は関西での競馬は3月のうちから行われていたのですが,WINS横浜はずっと閉鎖されていました。僕はインターネット投票は申し込んでいないのでこの間は中央競馬の馬券は購入していません。それが16日の土曜から,レースは限定されていましたがWINS横浜での発売が再開。ということで週末の16日と17日は早速WINS横浜まで出向いて馬券を購入。関東圏での中央競馬の再開は翌週の東京競馬からで,たぶんその日,つまり4月23日からは元通りに全レースの発売が再開されたのではないかと思います。そして僕の週末の過ごし方も,東日本大震災以前へと戻りました。
 少し戻りますが,4月19日の火曜日に,信託銀行から通知が届きました。これは相続の手続きが完了したという旨のもの。前にもいいましたように,定期預金の相続に関してはそれが満期を迎えてからということになっていましたので,この日になったわけです。僕の通帳に記入したのがいつであったかは定かではありませんが,確かに4月15日の金曜日付で,先方から多額の現金が振り込まれていました。
 その翌日となる4月20日の水曜は,妹のみなと赤十字病院の歯科の予約が入っていました。この日も前回と同様に,母が連れていきました。この日は主治医が変わったそうです。僕が何度か連れて行っていた頃,歯科はS先生という方が担当されていたのですが,この日からはI先生になったそうです。もっとも,母によれば,もともと妹がみなと赤十字病院の歯科に通い出した頃の担当はこのI先生の方だったということですから,S先生は何らかの事情で一時的に妹を担当していただけであったのかもしれません。
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