○放置。
2012年7月23日 政府の事故調査委員会報告書が提出されたが、結局ヒトがどうして無責任になるのかという習性傾向にまでは言及しなかったようである。
まだ読んでないけど、公開されてるのかな。
畑村洋太郎は多くの航空機事故などの重大事故調査を行っており、人災におけるヒトの無責任性、自律的な社会的責任判断の重要性も述べている。
ヒトが自律的に社会的責任を果たさなくなる心理構造の解析は工学の領域ではないとして無視するのは無責任である。
東電に対して想定外を認めないにも関わらず、工学だからヒトの心理構造の分析まではやらないというのはおかしな話である。
ヒトという種の生物が引き起こす人為的災害というのは、ヒトの本能習性による行動結果であることに論理的反証は全くなく。ただ、生物学による論理的根拠もない非科学的観念しか出てこない。
現在の生物学におけるヒトの本能習性行動の結果は、単に文化系大衆観念的満足安心を与えるだけのペテンに過ぎず。何らヒトが自律的に社会的責任判断を放棄する心理構造については無視されたままである。
人災というものはヒトの自律的な社会的責任判断の欠落の結果を指すものであり。自律的な社会的責任判断こそが人間としての極めて基本的で必要不可欠な素養である。
自律的な社会的責任判断というものは、必ずしも世間的成功や評価報酬を得られるとは限らず、内部告発者が排除差別の対象となることも珍しくはない。
文系大衆観念上では世間的な成功や評価報酬こそが人間の価値として扱われ、自律的な社会的責任判断によって世間的に排除されれば「バカ」扱いされるのである。
こうした文系大衆観念による、本質的人間の価値観の歪みが放置されていれば、自律的な社会的責任の重要性など誰も認識しなくなる。こうしたヒトの根源的無責任性の原因にまで言及しなければ、あらゆる人災の予防措置にはならない。
危険学は、実際に重大事象に発展した後から文句をたれるだけであり。あらゆる人災における普遍的ヒトの無責任性の構造に基づく普遍的対策をしないつもりであろうか。
それで「想定外」云々を他人に言うのは支離滅裂である。
Ende;