書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

英雄。

2012年07月31日 17時22分04秒 | 意識論関連

○英雄。

 オリンピック選手による子供時代の危険行為を「自分を信じている。」などと短絡的に形容するのは、あまりに無責任。

 世間的に成功したからといって、子供時代の危険行為を事後正当化するのは典型的な文系大衆観念である。

 スポーツだの芸術だの占いで世間的に成功しても、それは短絡的に人間としての価値にはならないし。過去のあらゆる行為が正当化されるわけではない。

 世間的に成功したからといって、虐殺侵略を英雄扱いする文系大衆観念には合理的根拠が全くない。結果的英雄を観念的に事後正当化するから通り魔などという訳のわからぬ行為が行われるのである。



 文系大衆が大好きなバランス問題や程度問題を持ち出してしまうと、論理検証は放棄されてしまう。結果的に成功してさえいれば危険行為であっても事後正当化されてしまうからである。

 バランス問題だとか程度問題というのは、その場における当人の個人的気分による基準しか導き出さず、何ら合理性を持たない。

 子供がイジメを行う時も、大人が虐待を行う時も、程度問題にすりかえることによって残虐行為は増長原因ともなりうるのである。当人が「これはイジメではない。」とか「シツケの一環だ。」と主張したからといって、そんな個人的基準が社会で通用したのでは問題の全ては撹乱されてしまう。

 実際現状世間においては撹乱されている。

 原発が暴走するまで放置されたのも、程度問題やバランス問題にすりかえられていたからである。

 「この程度なら、大丈夫だろう。」という大雑把な程度問題で気分的に安心満足する文系大衆観念こそが、あらゆる「人災。」の根源的原因になっているのである。

 生物学者達が「人間らしさ。」などという大雑把な程度問題で安心したがるからこそ、ヒトという種の生物の危険性は一切科学的検証も行われずに放置される。

 大衆の多くも、こうした気分的安心こそが安全性であると錯覚し、安心と安全性の論理的区別が出来ないからあらゆる「ヒト」が引き起こす「人災」は放置されているのである。


Ende;
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撹乱。

2012年07月31日 17時21分10秒 | 意識論関連

○撹乱。

 政府の主張を国民が事後正当化しようとヒステリックに取り繕う性質っていうのがあるらしい。

 政府の主張であっても、あたかも民族の総意であるかのような錯覚が働いているのかも知れない。

 特に国益に供する話の場合は。

 国益に適する話を政府が主張すると、国民は民族という組織集団の利益を優先し、世界全体の持続可能性とか安全性を無視する性質があるらしい。

 大抵世界全体の持続可能性や安全性を無視する場合、本能的利己性が優先されているので感情的でヒステリック。

 チンパンジーが牙を剥き出して過呼吸になる行動と同じで、相手に気分的拒絶反応を与えて話を丸め、強制的に服従迎合させようとする本能的な社会形成習性行動結果であって、意識的行動/合理的検証選択ではない。

 自分「達」にとって利益にならないことを本能的に拒絶し、自分「達」にとって有利になるような行動バイアスがかかる。

 こうした民族主義的な主張というのは、動機が本能的で無意識なものなので、やたらと戦争をふっかけてくる。論理的思考をパスしているので冷静さに欠け、相手の主張を全く聞き入れず極めて感情的に押し通そうとする。

 本能感情が優先しているので、短絡的で感情的な最終解決に陥るのは必然である。

 かくして絶対的な「神話」はでっちあげられるのである。

 それは「観念」してしまうことで作り出されるのである。

 「日本は絶対に戦争に負けない。」「原発は絶対に安全。」「西武グループ会長の命令は絶対。」「大王製紙会長の命令は絶対。」だと「思って」いた。

 単なる「思い」という無意識なマインドセットというのは、主張している時には当人にとっては意識的な「考え」であると錯覚する。それは意識の9割以上が無意識であることを忘れているからだ。

 感情的ヒステリックに陥っている時、それは大抵本能的な無意識行動であると考えた方が良い。そしてそれは意識の大部分を占有する無意識な行動でもある。

 「神話」の類というのは気分的快楽を与え、文系大衆の脳を酔わせ、意識を撹乱し、思考停止、検証放棄の「安心」にヒトという種の生物を陥れるのである。

 ヒトはそれまで自発的に疑問を持たなかったことを、事後正当化する形で堅持しようと反射的に取り繕う。今までの自分の無意識な行動というものが、無意識でバカな動物的行動に過ぎないことを認識することが気分的に嫌だからである。

 認知症の初期症状というのは、これが悪化した形で表出する。

 ヒトは論理的合理性よりも、本能的感情を優先してしまう性質がある。それは本能的感情という無意識の方が意識の9割以上を占めているための結果である。

 ヒトという種の生物は、論理的合理性を追究するよりも、本能的行動バイアスに流されるよう本能的に組み込まれているのである。ヒトは基本的には動物であるから、本能的行動バイアスによって行動が促されるような仕組みが組み込まれているのである。

 動物の行動は全て、既に組み込まれた本能によって促される感情的バイアスによってのみ行動が決定する。論理検証性というのは、生物学的には本能的行動に対して利己的な優位性の結果として淘汰された「結果」であって、必ずしも社会全体の公的利益を優先するようには出来ていない。

 ヒトに至るまでの進化過程のほとんどは、利己的行動選択の結果として「生存」してきただけであって。社会全体の公的利益にまで意識を働かせるようには本能的には出来ていない。

 結果的に生存していたからといって、生存の全てが常に人間性を伴った正しい選択によるものである論証は全くなく。むしろ北朝鮮やオウム教団内部においてはバカである方が生存に適しているのであり。ヒトという種の生物はバカになるように進化した結果であると考えても構わない。

 だから振り込め詐欺にも簡単に引っ掛かり、同時に詐欺師自身も詐欺集団にも簡単に迎合服従するのである。


 こういう嫌な話をすれば大衆から嫌われることはわかっている。だから脳科学者達や社会心理学者達はこういうことには一切言及しないのである。

 ヒトという種における問題点というのは、いうなれば自分自身の問題点でもあるため。これを指摘されることは気分的拒絶反応が起こるのは必然的結果である。

 逆に自分自身の問題点を撹乱し、他人に責任をなすりつけるような話にのっかっていた方が気分的に楽で安心だからこそ排除差別という暴力性に意識を奪われてしまうのである。

 子供のイジメであろうと、テロや戦争であろうと、その動機の根本は差別排除の暴力による自己正当化の快楽にある。他人を攻撃している間は自分自身の問題点を意識から外し、無視し、「なかったこと。」にできるため、安心して排除差別に邁進することが出来るのである。

 逆に一旦排除差別を始めてしまうと、排除差別に迎合した自己を事後正当化するための言い逃れ取り繕いを始めるようになるのである。

 一度論理整合性のない行動に陥ると、自己自身では論理検証する冷静さが失われ、感情的ヒステリー(心理的拘束)によってのみ行動が「整理」されてしまう。

 脳というのは「整理」された短絡的行動の方が思考という面倒臭く煩わしいものをパスすることが出来るため、「これさえやっときゃ、全ては安心。」な行動に陥るような仕組みがある。

 座禅だとか単純作業による精神的安心というものは、こうした思考停止によるものであり。困ったことに気分的に安心を得てしまうと「心が綺麗になった。」と錯覚する性質がある。

 脳トレーニング類によって特殊能力を獲得すると、あたかも「自分の頭が良くなった。」と錯覚するようであるが。何をもってして「頭が良くなった。」と言えるのかということを気分的安心満足によってむしろ論理検証を停止させていることには、多くのヒトは気付くことがない。

 気分的安心満足という9割以上の無意識によって、1割にも満たない論理検証は簡単に停止させられるのである。

 脳科学者達は、こうしたヒトの脳の性質を利用して、脳トレーニング類による利益体制を維持しているのであり。これは要するに詐欺ペテンに過ぎない。

 脳科学者や社会心理学者達はイジメや暴力の発生メカニズム構造については一切言及しない。それは大衆の脳に拒絶反応を与え、脳トレーニング類の無効性をも立証させるため、何が何でも隠蔽黙殺しなければならなくなっているのである。

 脳トレーニング類というのは基本的に単純作業であり、機械的で特化された汎用性のない能力しか向上させることはない。電卓がどんなに高速大容量であっても、電卓以上の何の能力も存在しないのと同様、脳トレーニング類によって獲得された能力には、その能力以上の何の能力獲得にもならないのである。

 既に英国での大規模実験によって脳トレーニング類にはクソゲー以上の何の効果も存在しないことが実証されているにも関わらず、無知な大衆は気分的快楽安心を与えるクソゲーを鵜呑みにするのである。「○○認知能力」などの脳科学専門用語を用いると、あたかも素晴らしい能力であるかのような錯覚バイアスが働くようであるが、単なる一面的な特殊能力に名前をつけただけであって、何ら「頭が良くなった。」ことの論証にはならない。

 中国人が中国政府の主張に同調するのと同様、権威の主張に対する意味的バイアスがかかるようにヒトの脳は出来ているのである。

 どんなに脳トレーニングで特殊能力を獲得しても、イジメ問題を解決できるようには全くならないのはそのためである。

 脳トレーニング類ばかりを推奨する脳科学者というのは、イジメ問題などの重要な問題から意識を引き剥がし、バカになるように誘導しているのである。それを無責任で悪質と「思わない。」のは大衆やマスコミの多くがバカだからである。


Ende;
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