書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

雑記。

2012年09月24日 16時20分22秒 | 日記

○交感神経と副交感神経。

 自転車で高速走行していると、呼吸が荒くなって交感神経優位になるため、運転が乱暴になる傾向がある。

 深呼吸をしたりすることで副交感神経を刺激することで、気分的な「荒さ」を抑えることができるらしい。

 荒川河川敷とかで暴走しているロードレーサーは深呼吸したり、カルシウムをちゃんと摂取するなど、気分的な暴走を抑える工夫をしてください。

 それが出来なきゃサルと一緒です。




○金魚。

 金魚と一緒に泳ぎたかったからって、学校のプールに金魚を放してはいけませんね。

 結局女子中学生の悪戯だったそうです。大騒ぎになっちゃったけど、なんだかかわいい悪戯ですね。

 魚と一緒に泳げる商業プールっていうのは衛生上難しいんだろうな。ネオンテトラとかミドリフグと泳げたら楽しいんだろうけどね。プール内部側面に照明が設置されていてもキレイだろうな。

 プールの壁や底が水槽っていうのは出来そうだけど、一緒に泳いでる感は出ないだろうな。

 無菌養殖した魚なら一緒に泳げるのかな、でもカルキ殺菌剤で死んじゃったらかわいそうだし。

 やっぱり南国の海で泳いで下さい。


○LTEの通信状態。

 KDDIがLTEの通信状態を、ストップウォッチ使って調査しているよ。

 通信状態の情報をGPS位置情報と連携させたアプリをこさえておいて、TSUTAYAポイント引き換えとか、通信費用割引でユーザーに使ってもらえば人件費が抑えられるだろうに。

 意外と木偶の坊が多いんだなKDDI。(毒。)



○2355金曜夜更かしワークショップ

 1~20の数字の中から読み上げなかった数字を当てるには、読み上げた数字を全て足しておいて1~20を全て足した値(210)から引けば導き出せる。

 でも、おいらは暗算が苦手。(T_T)


 そういえば、様々なコインから一枚どのコインを取り出したのかわかるっていう手品も、精密な秤を仕込んでおけば出来るね。

 手品っていうのも一種の科学的思考を促すのに使えそうなので、学校教科に組み込めば良いんだ。

 小学生の割り算の成績が下がったって大騒ぎしているけど、30代の働き盛りのビジネスマンがどれだけ割り算が出来るんだろうね。正直どうでも良いよ。

 世間的な成功と現状での学力成績にも統計的相関はないと思うし、そもそも割り算が出来ても自律的に社会的責任判断が出来ないなら社会人として糞の役にも立たない。

 論理的には優先順位の低いことを、文系大衆的強迫観念で大騒ぎするのはバカげている。そこに大局的「考え」が伴わないからなんだけどね。



○電動化。

 サイドブレーキのかけ損ねで起こる事故って、結構昔からちょくちょくあるような気がする。

 運転席に人が乗っていない状態では動き出さないように出来ないのかね。どうでも良いところは電動化したがるけど、安全に関わる部分の自動化が最優先でしょ。

 少なくとも停車している場所の傾斜を検出して、どの程度動き出しやすいのかを運転者に表示するだけでも注意喚起にはなると思う。


Ende;

繰り返す。

2012年09月24日 16時17分20秒 | 意識論関連



 またクレーン横転事故が発生した。

 以前から指摘されていた原因として、土木建築業者間の力関係によって安全性が蔑ろにされていることが原因であると言われている。

 こうした力関係というものは、動物本能的な社会形成習性の結果的順位決定観念によるものであり、体育会系集団に見られる規範意識的な服従迎合性に無意識に流された結果である。

 合理的根拠のない「集団の掟」に対し、無批判に迎合してしまう無意識性や無責任性と、自律的な社会的責任判断が伴わないことが原因なのである。

 ヒトという種の生物は、他人と自分との順位関係を決定しておかないと不安に陥る習性があり、これによって結果的に統率的協調行動を促すことになるのだが、これは予め服従対象の選択に意識的目的が伴わなければ結果的統率者の気分感情だけで統率協調行動に陥ることになる。

 子供のイジメなども、こうした本能的な統率協調行動の結果であり。これが本質的人間性である自律的な社会的責任判断能力を喪失させる最大の原因であることを、早急に周知認識する必要性がある。さもなくばあらゆる「人災」は構造原理的に減ることはない。

 他人にばかり自律的な社会的責任判断を求めるばかりで、自分自身が自律的な社会的責任判断をしないというわけにはいかないのである。それはもはや自律のない「子供の論理」であり「甘え」に過ぎない。

 ヒトの多くは自分が過去に下した選択の全てが自分自身の意識的選択によって行われているものであると「信じておきたい。」習性がある。そのため過去に下した自分自身の選択を事後正当化しておくための取り繕いや言い逃れには反射的に頭が良く働くのだが、自分の判断の誤りには意識が働かないことになるのである。これがヒトという種の生物が本能的にバカになる構造である。

 どんなに言い逃れや取り繕いに頭を高速回転させても、それは単なる反射的「思い込み」にしかならない。だから論理的「考え」が失われることになるのである。



NHKニュース←記事が削除されたらしくてエラーする。

Ende;

どぜう。

2012年09月24日 16時12分42秒 | 意識論関連

○整合性。

 どぜう政権に限らず日本政府というのは政策に整合性が欠如している。尖閣対応に関しても、都知事や国民の多数決に流される形で唐突に国有化を密室で決定したり。米軍の強弁に丸め込まれる形でオスプレイの飛行を容認してしまったり。

 政策というのはその場限りに国民や同盟国の顔色を窺うことではなく、相手国との対話も含めて理性的対応をすべきであって。何となく「時代の流れ」に無意識に流されることが暴走へと陥る最も危険なものなのである。

 中国政府も反日というウケ狙いで国民の感情を掌握し政権を獲得しようとするのもバカげているが、日本政府も政権維持を目的にしているからその場限りのウケ狙いしか出来なくなってしまうのである。

 反日暴動に関しては、暴動という暴力に突っ走った無責任な一部の中国人の責任ではあるのだが。オスプレイに関しては明らかに米軍の強弁に押し切られる形で丸め込まれている。たまたま中国との関係が悪化したからといって、恐怖心で米軍に迎合してしまうという主体性の欠落こそが、唐突で一貫性のない無責任な対応になってしまうのである。こうしたその場限りの無責任対応というのはオウム真理教教祖の意思決定と全く同じものであり、戦前の日本同様に非常に危険なものなのである。

 民主党にせよ自民党にせよ、権力を掌握することを目的としているからこそ、合理性のないその場限りのウケ狙いで政策が決定してしまうことが問題なのである。論理整合性に基づく一貫性がないからこそ「嘘」になるのであって、マニュフェストが全く守られないのも、その場限りのウケ狙いで並べただけに過ぎないからである。

 「責任を持つ」というのは、「何か問題が起きたら辞職すれば良い。」というような短絡的なものではなく。キチンと合理的根拠に基づいた一貫性のある対応を取ることである。その場限りに中国政府の顔色を窺ったり、日本国民の顔色を窺ったりと一貫性がないから対外的にも信用を失うのであり。日本国民から見ても何がしたいのかさっぱりわからない。

 その場限りに目先のウケ狙いで物事を決定するというのは、オウム真理教教祖の意思決定原理と同じである。

 合理性というのは、「その場限りに一面的な利益を優先すること」ではない。こうした根本的な文系観念の錯覚をしている限り、本質的な合理性追求には全く結び付かないのである。「国益を優先すること=合理性」などと勘違いしていれば本質的な合理性は全く追求されることはない。

 その場限りにあちこちの顔色を窺っているから無責任な対応になるのであって、これは最初から主体的な意思が欠落しているからである。

 本論では「本質的な合理性の追求こそが人間性である。」とは言っているが、都合の良いように捩曲げられては意味がなくなる。経済性を優先して原発を推進することを合理性だと言い張るのも、国益の優先を合理性だと勘違いするのも、これらは本質的な合理性というものを論理的に理解しないまま、言葉を断片的に勝手に引用し、自分達にとって都合の良いように捩曲げて解釈しているからである。こういった文系大衆的解釈をしているから論理的理解が全くすすまないのである。

 政府が唐突に尖閣諸島の「買い取り」に踏み切ったのは、明らかに都知事や国民のご機嫌取りである。都知事が主張していたヤギの駆除などの環境保全や漁船港の整備だけなら、中国政府のメンツを潰してまで国有化する必要性はなかったはずである。もちろん「メンツ」というのも「ご機嫌取り」ではあろうし、国有化することの違法性もないのだが、散々上陸許可も出さなかったのに唐突に「買い取り」を言い出すというのは、何をしたいのかが全く見えてこない。こうした意思決定の不透明さというのは政府に主体的な意思がないことの「結果」である。中国政府から見ても突然の方針転換によって軍国主義が復活したと錯覚されても仕方がない。

 都知事と中国政府との「板挟み」による気分的バイアスによる密室決定ではなく、統合的に見れば相手国との調整も充分に行えたはずである。台風などの天候悪化による漁船避難施設であれば、緊急時には国籍に関わらず利用できるはずのものであり、環境保全であれば国籍に関わらず各国の研究機関とも共同で研究しても良かったはずである。

 何にせよ、「相手が恐いから、丸め込まれておく。」だとか、「政権を維持したいから集団内部に迎合する。」といった、その場限りの気分的行動バイアスによる対応こそが、合理性ある責任判断を狂わせ、外見上の一貫性をも喪失させる原因なのである。

 暴動の有無に関わらず、恐いか安心かといった気分的バイアスによって、その場限りの対応をすることこそが対外的にも不透明さを醸し出すのであり。主体性がないからウケ狙いに走り、その場限りの対応に陥るのである。

 石原都知事のように、合理性はなくとも言っていることに一貫性があれば問題を指摘することも議論することも可能であるが、政府内閣のように密室で勝手に決定されてしまえば決定が実行されるまで何も指摘出来ない。それが国民の国政への関心を喪失させる最も大きな原因なのではないかと思う。これはどの政党が政権を取っても同じ結果である。

 現在の中国政府というものも、明らかに国民の気分的バイアスを利用した統率によって政権体制の維持を目的としており。これは戦前の日本やナチス政権下のドイツと同じ構造である。暴動に関しては中国政府の無意識的カルト性によるものであり、他国が言えるのはその構造的脆弱性だけであり、中国国民の意識次第である。

 あらゆる組織集団における不透明性というものは、体制維持という組織の利益を優先してしまう結果であり。これは原発の危険性放置でも問題とされたものである。生物学界が「ヒトという種の生物」における危険性をなかったことにしているのも、生物学界の体制維持を目的としているからであり。これを放置しておけば体制維持のためのウケ狙い政策も放置されることになるのは必然である。

 南紗諸島問題も含めて中国政府による見境のない領有権主張を放置すべきではないが、短絡的に国益を優先するべきでもない。あくまで統合的視点に立脚し、アジア全体、国際社会全体の持続可能性や安全性を優先すべきであって、都知事によるナショナリズムを用いたウケ狙いに安易に迎合したのは政権維持を目的としているからであろう。だからこそ「都知事に買われるのを回避したかった。」などという意味不明な取り繕いをしなくてはならなくなるのである。

 日本も中国も精神的な「甘え」が酷すぎる。その精神的な「甘え」こそが社会安全性の最大の敵なのである。それは国籍や民族の問題ではなく、個人の自律の問題なのである。

 往々にしてバカ程声が大きい傾向がある。その大きさだの強さに無意識に流されるべきではない。


Ende;

右寄りというわけではないですが。

2012年09月24日 16時10分47秒 | 意識論関連



 尖閣問題で「都知事が悪い、賠償しろ。」とかって意見があるけど、これはちょっと合理性がない。

 反日暴動で日本企業が破壊略奪されたのは都知事が悪いんじゃなくて、暴動を起こした理性の欠落した一部の中国人が悪いんであって。相手が暴力的だからって国際法上認められた主張をしたことが悪いというのは、理論的におかしな話です。

 暴力団排除のステッカーを貼っていたから拳銃弾を打ち込まれたからといって、暴力団排除を主張した個人を悪者扱いするのはおかしいでしょ。それと同じですよ。

 いかなる理由であれ、暴力で解決しようとすることは許されることではありません。もし力の大きさだけで物事が決定することが許されるのであれば、南京大虐殺だって重慶無差別爆撃だって正しいってことになっちゃうんですから、そんなバカな話が許されるわけないんですよ。どんな結果になったとしても暴力に屈して道理を曲げるべきではありません。

 石原都知事は高速増殖炉を賛美したり、やたらとオリンピックに執着したり、日の丸君が代を強要したりとおかしなところは少なからずありますけど、尖閣買い取りにおいては責任はないと思います。若干、答を急ぎ過ぎた感じはありますが、むしろ、都知事や国民の顔色に流され中国政府からの要望を無視する、政策に一貫性のない「どぜう」内閣の方が軽率。

 ヒステリックに暴力的最終解決で気分的に満足しようとする理性の欠落した一部のヒトの暴力性が問題なのであって、自律的に社会的責任判断をしなくなるような教育に原因があるのです。そしてそれは中国に限ったことではなくて、どこの国であろうと見られるものなのです。中華系の学校に放火したバカで軽率な日本人だっているんですから。

 ナチスもポルポトもソマリアもシエラレオネも、挙げたらキリがありませんけど民族国籍といった分子生物学的には意味のない分類で物事を判断すべきではないのです。

 優生学みたいに「どこの国の民族が劣っているのか。」という問題ではなくて、国籍民族に関わらずバカというのは少なからずいて、その原因と対策を立てることこそが重要なのです。

 何かトラブルが発生すると、特定個人を非難して気分的に満足しようとするヒトが多いですけど、それこそがバカなんだってことを認識してもらわないと困ります。それこそが危機管理能力を阻害する最大の原因だからです。

 中国内部でも反日暴動自体を非難している人はいて、決して中国人の全てがヒステリックで暴力的キチガイなわけではありません。南京大虐殺や重慶無差別爆撃をやらかした民族だからといって日本人の全てが暴力的なキチガイではないことや、広島長崎に大量破壊兵器を投下したアメリカ人の全てが無差別殺人者ではないことや、600万人のユダヤ人を死体に変換したドイツ人の全てが精神異常者ではないのと同じです。

 時代とか空気に流されることなく、個人が自律的に社会的責任判断を下すという、本質的な人間性を持つことこそが最も重要なことであって。目先の多数に迎合する形で時代や空気に流されてしまう自律のなさこそが「ヒト」という種の生物が持つ危険性であることを認識すべきです。

 イジメだの暴動といった集団暴力が止められないのは、自律的に理性的判断をする人が集団内部に少ないからに他なりません。

 とは言っても、一部のイスラム教徒のように暴動のさなかに一人で暴徒を説得するような危険な行為もやめて欲しいんですけどね。それは確かに人間として正しい行動ではありますが、理性的に暴力を抑制しようというのであれば、もっと合理的で安全な持続可能性のある方法論を選択するべきです。

 それがたとえ「微力」であるとしても、「無力」ではないのですから、諦めて自分の「微力」を放棄するという気分的満足に溺れず、地味で地道な積み重ねを忘れるべきではありません。

 「力の大きさ=正しい」という短絡的な観念を放棄することが、先ずは大切なんだと思います。「勝てそうな戦争なら、やった方が得。」なんていうヤクザみたいな価値観で物事を判断すべきではないのです。


Ende;