書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

〇公開監獄実験。

2015年02月05日 01時58分06秒 | 意識論関連
 なぜ軍隊や自衛隊というのは個人の自律的判断を尊重しない封建的組織でなければならないのか。

 「武器を扱うからだ。」的な意見が出そうだが、武器であろうが原発であろうが高速バスであろうが旅客機であろうが危険であることに変わりはなく、武器だけが特別に封建的組織でなければ安全性が確保出来ない論理的根拠は一切存在しないのである。

 福島第一原発事故においても「最も重要なのは個人が自律的に社会的責任を負うこと」の重要性を国会事故調査委員会の畑村洋太郎が述べていたように。 軍隊のように封建的組織こそがむしろ個人の自律判断を失わせてしまい無責任さを助長することに陥ることはあっても、むしろ安全性は損なわれる一方なのである。



 結果的であれ警察が「適度に治安が悪くないと存在意義を失う。」のと同様、アメリカ軍も適度に国際社会に不安定要素がないと存在意義を失うことになりかねないだけに、むしろ率先してイスラム過激派を「育てて」いる可能性もある。

 幾つかの大学で何度か行われた監獄実験のような残虐行為というのは、軍隊の刑務所や捕虜収容施設でも簡単に生ずるものであり。ましてや軍隊のように個人の自律判断を尊重しない封建的組織が管理する刑務所であれば、残虐性もよりエスカレートするであろうことは容易に想像出来る。

 それが結果的にイスラム過激派達に憎悪を醸成してしまうことでISILのような残忍非道な組織が出来てしまうとも考えられるのである。

 何せアメリカ軍はビンラディン「容疑者」を問答無用で殺害しておいて、「正義の鉄鎚を下した」などと平気で言い張るくらいだから、これを暴挙として扱わずにイスラム過激派だけを暴力的だと非難するのは公平性に欠けると私は思う。

 ISILのバグダディ容疑者もイラクの収容所に2度投獄されているという。彼がどのような不当な扱いを受けたのかも明らかにされずに一方的に狂人扱いするのは間違いなのではないだろうか。 もちろんテロリズムなどの暴力によって物事を解決しようとするのは間違いではあるが、パレスチナの女性救急隊員がやむにやまれず自爆テロ以外に出来ることを見失うような状況に陥ったように、ISILのメンバー達を迫害した米国軍隊や、それを放置することになった国際社会にも責任の一端があるように思える。

 アブグレイブだけが特別に収容者に残忍で屈辱的行為を行ったとは考え難く、むしろ米軍刑務所の多くでイスラム教徒が(本来何の罪もない収容者も含め)迫害された可能性は高い。それでも米軍兵士達はそれを問題だとは思っていないだろう。それは日本の警官がコソコソと交通取締を行ったりするのや、司法裁判さえやっておけば犯罪の全てが「解決」すると盲目的に信じている司法役人達と同様、「与えられた命令にさえ従っておけば自律的な判断責任の全てが放棄出来るものである。」という身勝手な妄想錯覚に由来する。

 兵隊であればこう主張したがるだろう。「命懸けなんだから、仕方ない。」と。 しかし、個人が主観的に命懸けでありさえすれば社会的責任を放棄出来るなどという理屈は存在しない。 そんな屁理屈は通り魔の論理と大して違いはないからだ。




Ende;
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