書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○淘汰圧力。

2016年12月26日 00時47分09秒 | 意識論関連
勤労閾値の高い蟻が淘汰されないのは、そんな淘汰圧力環境が存在していないからであり、何でもかんでも最適化が起きるわけではない。

生物進化というのは結果であって、目的のために進化しているわけではない。ゆえに生存などの特定目的に適さない行動習性を持った種が存続していても何ら不思議ではない。

アホロートル(山椒魚の幼形成熟)のような極めて弱い生物種が存在しているのも、決して最適化が働くわけではないことの証明である。

効率が良かろうが悪かろうが、結果的に死にさえしなければ存続可能であり、進化というものが絶対に効率が良くなるような変異でなければならない理由などない。

そもそも弱肉強食のピラミッドが成立するのは、特定種の生物がむやみに大量繁殖するなど。環境調和に適さない程強力で繁殖力が高い種が環境を喰い潰してしまうような個体が発生しても、その他の生物との間における環境調和が成立しないので、結局淘汰対象となりピラミッド全体で絶滅してしまった結果である。

このように変異に基づいた進化過程自体がそもそも非効率なものであって、進化そのものに論理的合理性なんぞ存在していおらず、進化というものが絶対的に合理性を持ったものであるという文科系大衆観念的妄想がダーウィンの進化論に幻想を抱き、間違った解釈をしているのである。

進化というものは個体の論理的合理性の追求によって知的選択が働いて起きるようなものではなく、ランダムな変異の結果、偶発的に死ななかった個体種への淘汰の結果に過ぎず、これが非合理で非効率なのは当たり前の話である。



永続性の原理もまた、環境調和が成立しなければバランスを崩して全てが淘汰されてしまうのであるから、永続性(環境調和/持続性)であってもダーウィンの進化論で説明可能なのである。



生物進化の結果に過ぎない現在の生物相だけを見て、あたかも進化変異の全てが絶対的に効率的で合理性を持ったものであるという観念を抱くのは間違いであり。

数億年にわたる生物進化過程においては数え切れない程の大失敗も繰り返しているはずなのである。

実際、生物史の中では幾度もの大絶滅の証拠が遺されており、進化変異の全てに意味があるわけではない。



菌類が抗菌剤への耐性を獲得する過程においても、耐性を獲得するために意図的に変異をしているわけではなく、変異の結果として偶発的に耐性を獲得する個体が発生するのであって。そもそも変異自体の大半が生存に適さないことからも、進化過程というのは極めて非効率で非合理な大量の屍の上に成り立つ「結果」でしかない。

それをどう勘違いするのかは知らないが、あたかも生存のために耐性を自発的に選択獲得しているかのように解釈すること自体が非科学的オカルトなのである。

これらの勘違いも、進化生物学が結果と目的の区別が出来ていないからであり。もはや痴呆としか言いようがない。

それでもポンコツ進化生物学者が淘汰されないのは、ポンコツをポンコツと認識する淘汰圧力が働く環境が存在していないからである。




Ende;
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