ネズミにとって生きるとか死ぬという概念があるかというと
多分ないんですね
ネズミの脳においては「嫌」なことを避けて「好き」なことを追求することしかない
別に「生きるために」とか考えて食べ物を探しているわけではなくて、空腹になるととにかく何か口に入れたいという感情(行動バイアス)が働くことで、結果的に死なずに済む
死なずに済むような行動バイアスを先天的に持っている個体種だけが死なずに種として残ったわけですから、死なずに済むような行動を持った個体種しかいなくなるのは当然の結果ですよね
結果的に死ななかったことが「生存」とか「種の保存」になっているだけであって、これらは別に合理的に考えて選択した「目的」ではないんですね
先天的に決定している行動習性バイアスというものは、そもそも自分では選択不可能なものであり、自分の遺伝子は自己選択不可能であると同時に、それはあらゆる先天的行動バイアスもまた自己選択不可能性を持ち合わせている
繁殖行動においても同じことが言えます
配偶関係を形成するために異性から好かれるような行動を採ることがありますが、異性から好かれるような行動習性を先天的に持った個体種が子孫を残すことが出来たという「結果」でこそあれ、これら個体種の意識上には「子孫を遺そう」などといった概念は必要ありませんし、実際ないと言えます
朱鷺の人工繁殖において、「親が卵を棄てる。」という意味のわからぬ行動を採ったことが観測されていますが。朱鷺にとっては気分的に嫌なら卵を棄てることもあって不思議はありません
なぜなら朱鷺の意識の上には取り立てて「繁殖しなければ種の保存にならない。」などという概念も目的も存在していないからです
「意味のわからぬ行動」と形容しましたが、これはヒトが人工的に繁殖させようという「目的」のためにおいての「意味」のわからぬ行動なだけであって。朱鷺の主観的意識の上においては「知ったこっちゃない」わけです
たとえヒトであっても自分の子供に熱湯をかけたりする虐待行動が見られますが、ヒトにおいても動物的な意識の上においては子供の一人や二人が死んでも「知ったこっちゃない」んですね
あらゆる先天的行動バイアスの全ては、あくまで自然環境下において「死なずに生き残った」個体種に組み込まれているものであって。別に「生き残ろう」と思って自分の遺伝的性質を改変したわけではない
ですから、繁殖行動にせよ摂食行動にせよ、あらゆる生存にとって有利となる先天的行動習性は「死ななかった」という「結果」以上に意味はないのです
生物学者の多くはバカなので、先天的行動習性を取り上げて「生存や繁殖のために一生懸命頑張っている。」などと形容したがりますが。別に先天的行動習性は「したくてしている。」だけであって、何ら「目的を達成するために一生懸命頑張って」などいないのです
強いて言えば、「そうしないと、不安で仕方ないから、やっている。」とは言えますが、その不安を促す先天的行動習性自体は「生存や種の保存」といった目的に基づいているわけではなく。あくまで淘汰圧力によって遺された行動バイアス以上に意味はないのです
先天的行動習性である以上、これは環境依存性から逃れることが出来ませんから、卵を棄ててみたり、子供に熱湯をかけたりすることも充分あるわけです
そこで考えて欲しいのは、東電原発安全担当者が津波に対する脆弱性を放置したのはなぜでしょうか
国会原発事故調査委員会報告書には、こう記されています
「組織の利益を優先し、個人が自律的に社会的責任を負わなかったことが、最も根源的な事故原因である。(意訳)」と
組織の方針に従うことは、ヒトにとっては「そうしないと、不安で仕方ないから。」従うんですね
ヒトという種の生物は、先天的に集団組織という多数派に迎合服従しないと不安になる習性があります
ヒトが同調圧力に負けてしまうのは、そのためです
同調圧力に負けるということは、個人が自律的に判断選択することを放棄することでもありますから。これこそが原発暴走の根本原因でもあるのです
ヒトという種の生物は、先天的には人間としては欠陥品なのです
ハードウェアとして欠陥があっても、ヒトの大多数は本来ソフトウェア的パッチのような行動抑制や補正が可能であり。これが可能なのが人間としての意識の本来の価値になるわけです
その一つは規範や規則といったものですが、これはあくまで手続き的条件行動拘束でしかありませんから、理性は必要なく。「規範規則に背いたら、罰を与えられるのが怖いので服従する。」といった先天的恐怖心を用いてヒトが集団組織に迎合服従する先天的習性を利用した手法に過ぎません
こうした手法というのは、逆に東電社内においては組織の利益にそぐわない行動は、社会安全性を蔑ろにしてまでも抑制してしまう原因ともなります
ですから、人間性にとって最も重要なのは機械手続き的な規範規則などではなく。あくまで個人の自律的な社会的責任判断能力の方に存在するのです
「怖い」か「怖くない」かといった先天的感情バイアスに依らず、あくまで自律的な論理検証によって導き出す社会安全性や持続可能性にとって合理的な行動選択を、個人が行うことが必要不可欠なのです
感情というものは意識ではありません
どんなに強い感情を伴っても、むしろ感情を伴う故に自律的な論理思考を阻害してしまうことによって、ヒトは目的意識的な行動選択能力を喪失する原因となるのです
だから振り込め詐欺師は相手を焦らそうとする
「今日中に。」とか「今すぐに。」というのが振り込め詐欺師の常套句なのはそのためです
腰が痛くなっちゃったので今日は以上。
Ende;
多分ないんですね
ネズミの脳においては「嫌」なことを避けて「好き」なことを追求することしかない
別に「生きるために」とか考えて食べ物を探しているわけではなくて、空腹になるととにかく何か口に入れたいという感情(行動バイアス)が働くことで、結果的に死なずに済む
死なずに済むような行動バイアスを先天的に持っている個体種だけが死なずに種として残ったわけですから、死なずに済むような行動を持った個体種しかいなくなるのは当然の結果ですよね
結果的に死ななかったことが「生存」とか「種の保存」になっているだけであって、これらは別に合理的に考えて選択した「目的」ではないんですね
先天的に決定している行動習性バイアスというものは、そもそも自分では選択不可能なものであり、自分の遺伝子は自己選択不可能であると同時に、それはあらゆる先天的行動バイアスもまた自己選択不可能性を持ち合わせている
繁殖行動においても同じことが言えます
配偶関係を形成するために異性から好かれるような行動を採ることがありますが、異性から好かれるような行動習性を先天的に持った個体種が子孫を残すことが出来たという「結果」でこそあれ、これら個体種の意識上には「子孫を遺そう」などといった概念は必要ありませんし、実際ないと言えます
朱鷺の人工繁殖において、「親が卵を棄てる。」という意味のわからぬ行動を採ったことが観測されていますが。朱鷺にとっては気分的に嫌なら卵を棄てることもあって不思議はありません
なぜなら朱鷺の意識の上には取り立てて「繁殖しなければ種の保存にならない。」などという概念も目的も存在していないからです
「意味のわからぬ行動」と形容しましたが、これはヒトが人工的に繁殖させようという「目的」のためにおいての「意味」のわからぬ行動なだけであって。朱鷺の主観的意識の上においては「知ったこっちゃない」わけです
たとえヒトであっても自分の子供に熱湯をかけたりする虐待行動が見られますが、ヒトにおいても動物的な意識の上においては子供の一人や二人が死んでも「知ったこっちゃない」んですね
あらゆる先天的行動バイアスの全ては、あくまで自然環境下において「死なずに生き残った」個体種に組み込まれているものであって。別に「生き残ろう」と思って自分の遺伝的性質を改変したわけではない
ですから、繁殖行動にせよ摂食行動にせよ、あらゆる生存にとって有利となる先天的行動習性は「死ななかった」という「結果」以上に意味はないのです
生物学者の多くはバカなので、先天的行動習性を取り上げて「生存や繁殖のために一生懸命頑張っている。」などと形容したがりますが。別に先天的行動習性は「したくてしている。」だけであって、何ら「目的を達成するために一生懸命頑張って」などいないのです
強いて言えば、「そうしないと、不安で仕方ないから、やっている。」とは言えますが、その不安を促す先天的行動習性自体は「生存や種の保存」といった目的に基づいているわけではなく。あくまで淘汰圧力によって遺された行動バイアス以上に意味はないのです
先天的行動習性である以上、これは環境依存性から逃れることが出来ませんから、卵を棄ててみたり、子供に熱湯をかけたりすることも充分あるわけです
そこで考えて欲しいのは、東電原発安全担当者が津波に対する脆弱性を放置したのはなぜでしょうか
国会原発事故調査委員会報告書には、こう記されています
「組織の利益を優先し、個人が自律的に社会的責任を負わなかったことが、最も根源的な事故原因である。(意訳)」と
組織の方針に従うことは、ヒトにとっては「そうしないと、不安で仕方ないから。」従うんですね
ヒトという種の生物は、先天的に集団組織という多数派に迎合服従しないと不安になる習性があります
ヒトが同調圧力に負けてしまうのは、そのためです
同調圧力に負けるということは、個人が自律的に判断選択することを放棄することでもありますから。これこそが原発暴走の根本原因でもあるのです
ヒトという種の生物は、先天的には人間としては欠陥品なのです
ハードウェアとして欠陥があっても、ヒトの大多数は本来ソフトウェア的パッチのような行動抑制や補正が可能であり。これが可能なのが人間としての意識の本来の価値になるわけです
その一つは規範や規則といったものですが、これはあくまで手続き的条件行動拘束でしかありませんから、理性は必要なく。「規範規則に背いたら、罰を与えられるのが怖いので服従する。」といった先天的恐怖心を用いてヒトが集団組織に迎合服従する先天的習性を利用した手法に過ぎません
こうした手法というのは、逆に東電社内においては組織の利益にそぐわない行動は、社会安全性を蔑ろにしてまでも抑制してしまう原因ともなります
ですから、人間性にとって最も重要なのは機械手続き的な規範規則などではなく。あくまで個人の自律的な社会的責任判断能力の方に存在するのです
「怖い」か「怖くない」かといった先天的感情バイアスに依らず、あくまで自律的な論理検証によって導き出す社会安全性や持続可能性にとって合理的な行動選択を、個人が行うことが必要不可欠なのです
感情というものは意識ではありません
どんなに強い感情を伴っても、むしろ感情を伴う故に自律的な論理思考を阻害してしまうことによって、ヒトは目的意識的な行動選択能力を喪失する原因となるのです
だから振り込め詐欺師は相手を焦らそうとする
「今日中に。」とか「今すぐに。」というのが振り込め詐欺師の常套句なのはそのためです
腰が痛くなっちゃったので今日は以上。
Ende;