書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

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2019年08月25日 11時42分43秒 | 意識論関連
東池袋のプリウス暴走事故が報道されてから高齢者事故が減ったという

まあ あれだけの事故が起きれば一時的には慎重になる人は多いんだろうけど 厳罰化は根本的な対策には全くならないのよね

踏み間違いという「過失」は誰でも起こす可能性があって これはアクセルとブレーキが見えない足元に並んで配置されているという構造的欠陥に由来するものなので「ポカヨケ」的な構造的対策をしないと根本的な対策にはならない

ポカヨケの観点からは どんなにヒトが注意しても ヒトである以上間違いはなくならないので 構造的に間違えないように対策するのが重要

そもそもマトモな人なら「罰が怖いから注意」するわけではないので 厳罰化というのは合理性がない

「気をつけて」なんていう精神論というのは「頑張れ」と一緒で長続きするものではないし そもそも間違えやすい構造そのものは放置されることになる

日本人に限らず ヒトというのはどうしても精神論で何かを解決しようとしてしまう習性があって 頑張るとか努力することに「美しい」という主観的感覚(行動バイアス)を抱いてしまうことで合理的な対策を忘れてしまう性質がある

そういう美的「感覚」に頼るから小中学生の自殺も止められないことになる

注意力とか 頑張る なんてのはそんなに長続きするものではないので 普通にしていて起こるミスなら構造的に対策をすべきだし

東池袋の事故の場合 事故が起きる前から「運転が危なっかしい」という前兆があったわけで 具体的にどのような状態を「危なっかしい」のかを定量化して免許の強制取り消し制度とかも視野に入れた方が良い

ヒトって そんなに四六時中「頑張って」いられるわけではないし 松永莉子パパだって間違いを絶対に起こさないわけではない

本当に事故を減らすために必要なのは 加害当事者への懲罰ではなくて 誰もが起こしうる過失であるなら構造的対策を徹底する必要がある

小池都知事が踏み間違い防止装置に補助金出しているけど 構造的対策というのは一つだけではなくて 原発のように重層的に行うべきであって シングルペダルや左手レバー式アクセルなども併用すべき

現状可能なあらゆる対策を採るべきであって それに対して刑罰というのは加害当事者だけを悪者にする「はぐらかし」になってしまう性質がある

交通事故が年間何万件と起きているにも関わらず 具体的に有効な対策を採らなかった警察や自動車メーカーをはじめ 私も含めてあらゆる国民全員にも薄く広く責任の一端はあると考えるべきで 警察任せや法手続き任せにして何も考えなくなることが一番危険性放置につながる

「罰で解決」というのは神話です 「原発は絶対に安全」というのと一緒で 合理的根拠がありません

しかし ヒトというのは合理的根拠よりも目先の気分的安心満足を優先してしまい 合理的根拠のない神話の類いを信じ込みたがる習性がある

意図的に通り魔やテロをやらかすことであっても そういう意味のない訳の判らぬ行動をとる「原因」を徹底的に究明し 具体的に実効性のある対策につなげないと恒久的な再発防止の知見にはならない

「文明」と称しておきながら 具体的に合理性のある原因を明文化しないというのは もはや「文明」とは言えないんですよ

東池袋の暴走事故を起こした爺さんは もはや逃亡の恐れもないので逮捕勾留されないだけであって 事故を起こした爺さんだけを拘束したところで予備軍的に存在する「運転の危なっかしい爺さん」への対策にはならない



先日 近所のスーパーの駐車場で 別に狭いわけでも何でもないのに駐車スペースに自動車を収められない爺さんを見かけて 怖いので遠回りして避けた

何をもってして「危なっかしい」のかを論理的 定量的に測定できるようにして 事故を起こす可能性があるかどうかを判定して強制的に免許を停止させる制度は必要であろう

都知事による補助金だけとか 厳罰化だけとか そういう「これさえやっときゃ全ては解決」という短絡的判断ではなく 重層的に安全確保のための対策というものをすべき

それは国家プロジェクトとして行うべきものであって 松永莉子パパにはそういう要望を政府にして欲しい

現時点で可能なあらゆる対策を行うためには むしろ刑罰は逆行することになる

主観的な「感覚」に頼らず 客観的合理性のある判断をしないと 具体的実効性のある恒久的対策には結びつかず 再び同じような惨劇が起きる可能性を放置してしまうことになる



ヒトというのは 何か重大事象が起こると悪者探しをして罰を与えて満足してしまう先天的習性がある

それは アオリ運転をしているバカの感情論と程度の違いはあっても同じものであって 腹を立てても何かの社会的な役に立つわけではない

「罰(暴力)を与えれば解決だ」というのは ヒトの脳の先天的欠陥による「錯覚」に過ぎない

逮捕もされないことが「悔しい」のかも知れないが そうした主観的感情論は社会安全性において意味がない

莉子パパの気持ちがわからないわけではないけれど 気持ちという感情よりも具体的に事故を減らすための理性的対策を優先することの方が重要

自動車事故であっても 航空機事故や原発事故と同じように再発防止を優先すべきであって そのためには罰というのは邪魔な感情論でしかなく ヒトの先天的な欠陥(錯覚)に過ぎないことを認識すべき



Ende;
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