男の子3人います。
長男があなた様の娘さんそっくりでした。今8歳です。
あなた様はいいほうです。私は、もっとすごいです。力でねじ伏せようと思っていましたから(^^;)
男の子なんでなめられたらいかんと思って。
玄関のドアを開け、蹴り飛ばしたこともあります。隣のおじいさんに見られました。(^^;)
回し蹴り、ものさしで殴る、たまに流血もありそのときは、幼稚園の担任の先生にちゃんと私が殴ってつけた傷だと説明しました。
今は8歳です。本当にたまにしか殴りません。
大体言えばわかってくれるようになり、殴るまでは行きません。でも、向こうも人間ですのでご機嫌が悪いと聞かないときもあり、そのときは私の天誅が下ります。
これは、この子に限らず3人とも。たぶん、殴って育てるのが私のやり方らしいです。
頭に血が上って感情で殴ってしますときもあり、そのときはあなたと一緒ですごく罪悪感で心を痛めます。
そういうときは、添い寝したときに頭をなぜてよく泣きました。素直に謝ることもあります。
親子なんだもん。ぶつかり合っていいのでは?
殴ることは悪いことだと思っていません。痛さで教えることは、子育ての中絶対あると思います。
TVでいってましたが、殴られて育った子のほうが人に対して殴らないそうです。痛さを知っているので。
でも、殴られたことのない子は痛みがわからないので手加減を知らないそうですよ。
兄弟で育つ子もそうですよね。兄弟でけんかする中で痛さを覚え、ここまですると相手が怪我することを学ぶんです。
私もよく親に殴られました。だからといって幼い頃はあのくそばばあ!と思っていましたが、思うだけ。
親と子は根がないんです。
私も幼稚園のとき、自分の好きな髪型を母がしてくれなくて泣いたら、母がきれて髪の毛をつかまれ、引きずられ洗濯機に頭を何度も打ちうけられました(^^)姉も覚えていて、いまだに笑い話のひとつです。
母の気持ちもわかります。4人目の末っ子で、兄たちのご飯の支度や忙しい朝、下が髪型くらいでヒスを起こす、きれますわな。
でも、私のおさな心には母の忙しさなど見えないんですよね。だって、4~5歳なんて自分のことしか考えられないでしょ?
あなた様の娘さんも同じ気持ち。その場、その場の気持ち・本能で生きているんです。
理屈が通用する生き物ではないんです。
ひとつアドバイス。
人の目や体裁を考えないこと。先生の手を煩わせまい。いいことですが、先生に任せるべき。そのぶんのお金はもらってプロでやられている方です。遠慮はいらないです。わたしなら、バスに乗せます。
あなた自身が、自分の手間を増やしている。自分で娘さんをどうかしようとしすぎている。
子どもは、社会で育てるものです。周りの力を借りましょう。
娘さんを変えるのではなく、あなたが変わってください。人は変えることはできませんが、自分の心なら変えられます。
ひとついい本をご紹介します。
江原啓之さんの「スピリチュアル子育て」です。子育てのヒントがあります。
母性は、子どもを育てていく中で育っていくのです。
持って生まれてくるものではないです
質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。心に響きました。本も読んでみたいと思います。
⇨「TVでいってましたが、殴られて育った子のほうが人に対して殴らないそうです。痛さを知っているので。
でも、殴られたことのない子は痛みがわからないので手加減を知らないそうですよ。」
「私もよく親に殴られました」と言いながら子供を殴っておいて「人に対してなぐらない」というのは論理整合性が欠けている
⇨「(4~5歳なんて)その場の気持ち・本能で生きているんです。
理屈が通用する生き物ではないんです。」
日頃の生活において子供の主体的意思選択を尊重していないことが子供のストレスとなって非合理なワガママを言い出すようになるのである
親に家庭内での封建的ヒエラルキーを「連鎖」している自覚がないから子供に無駄なストレスを与えてしまい これが我慢の限界を超えた途端に酷いワガママとして発現するのである
これは年齢に関係なく たとえ成人していても身勝手な犯罪者が出てくるのも 生育環境において主体性を尊重してもらった経験が著しく欠けているのが原因である
理屈が通用するように育てることが親としての社会的責任であり 「どうせ理屈など通用しない」と決めつけ諦めるための屁理屈をこじつけて満足しているのは精神的怠慢である
⇨「ひとついい本をご紹介します。
江原啓之さんの「スピリチュアル子育て」です。子育てのヒントがあります。」
江原啓之などというオカルトの方が大衆にとっては気分が良く 人気を得られるものである
視聴者側のメディア・リテラシーも重要だが 放送側の倫理も問われるべきであろう
自分の行動を正当化できる都合の良い話ばかりを信じこもうとするからこそ ヒトは論理客観性を失うのである
◇
「遺伝子や過去の環境は変えられませんが、現在の脳や環境を変えることはできます。虐待を減らすためには、虐待した加害者をただ責めるのではなく、親や家庭が抱えている問題に焦点を当て、それに合わせた支援をすることが必要です」
黒田 公美(くろだ くみ)
理化学研究所脳神経科学研究センター
親和性社会行動研究チーム
チームリーダー
↗虐待はなぜ起こる?親子関係を科学する -理化学研究所
刑罰によって「ただ責める」ことは論理客観的再発防止には全くならない
自分の行動を事後正当化するための勝手な屁理屈をでっち上げるヒトの認知上の欠陥や無意識性を自覚させる必要であり 刑罰というものが虐待に限らずあらゆる犯罪において再発防止に実効性が極めて薄いことを周知すべきである
◇
ヒトという種の生物は 懲罰的に暴力を振るうことで満足する先天的本能習性があり ノルアドレナリンを「消費」することでセロトニンという安息感を得られる脳内麻薬が分泌され 満足感や安心感を得られるという先天的な性質がある
DVにおいて暴力を散々振るった後に 「急に泣いて優しくなる」という情動が促されるのは 先天的な脳のシーケンスによるものであり DV男から女性が離れられないようにもなる大きな要因ともなっている
暴力的な異性に対して「吊橋効果」的に心拍数の上昇などによって恋愛感情との錯覚を促されるのも同様である
「暴力で解決する」というプーチンのような独裁者が出てくる原因も 自分の情動や本能を意識の本質や自由意志だと勘違い錯覚しているのが原因である
ヒトの脳には様々な錯覚が存在し 主観的な安心感や満足感によって論理客観的真実を見えなくさせてしまう認知上の欠陥が存在しているため 様々な非合理な暴力が横行してしまうのである
振り込め詐欺師に騙される被害者も 自分の主観的感覚や印象に対する過信があるのが騙される大きな要因であり
主体的に物事を論理的に「考える」能力(理性)が充分に機能していないからこそ 虐待を連鎖したり 詐欺師の言うことを鵜呑みにし 独裁者に唯々諾々と服従する集団が出来上がるのである
こうした性質は民族国籍に依ることはなく あらゆる民族国籍において普遍的に見られる「ヒト」の習性なのである
Ende;