書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

典型的な「連鎖」

2022年03月23日 22時56分00秒 | 意識論関連

男の子3人います。
長男があなた様の娘さんそっくりでした。今8歳です。

あなた様はいいほうです。私は、もっとすごいです。力でねじ伏せようと思っていましたから(^^;)
男の子なんでなめられたらいかんと思って。
玄関のドアを開け、蹴り飛ばしたこともあります。隣のおじいさんに見られました。(^^;)
回し蹴り、ものさしで殴る、たまに流血もありそのときは、幼稚園の担任の先生にちゃんと私が殴ってつけた傷だと説明しました。

今は8歳です。本当にたまにしか殴りません。
大体言えばわかってくれるようになり、殴るまでは行きません。でも、向こうも人間ですのでご機嫌が悪いと聞かないときもあり、そのときは私の天誅が下ります。

これは、この子に限らず3人とも。たぶん、殴って育てるのが私のやり方らしいです。
頭に血が上って感情で殴ってしますときもあり、そのときはあなたと一緒ですごく罪悪感で心を痛めます。
そういうときは、添い寝したときに頭をなぜてよく泣きました。素直に謝ることもあります。

親子なんだもん。ぶつかり合っていいのでは?
殴ることは悪いことだと思っていません。痛さで教えることは、子育ての中絶対あると思います。
TVでいってましたが、殴られて育った子のほうが人に対して殴らないそうです。痛さを知っているので。
でも、殴られたことのない子は痛みがわからないので手加減を知らないそうですよ。

兄弟で育つ子もそうですよね。兄弟でけんかする中で痛さを覚え、ここまですると相手が怪我することを学ぶんです。

私もよく親に殴られました。だからといって幼い頃はあのくそばばあ!と思っていましたが、思うだけ。
親と子は根がないんです。
私も幼稚園のとき、自分の好きな髪型を母がしてくれなくて泣いたら、母がきれて髪の毛をつかまれ、引きずられ洗濯機に頭を何度も打ちうけられました(^^)姉も覚えていて、いまだに笑い話のひとつです。
母の気持ちもわかります。4人目の末っ子で、兄たちのご飯の支度や忙しい朝、下が髪型くらいでヒスを起こす、きれますわな。
でも、私のおさな心には母の忙しさなど見えないんですよね。だって、4~5歳なんて自分のことしか考えられないでしょ?

あなた様の娘さんも同じ気持ち。その場、その場の気持ち・本能で生きているんです。
理屈が通用する生き物ではないんです。

ひとつアドバイス。
人の目や体裁を考えないこと。先生の手を煩わせまい。いいことですが、先生に任せるべき。そのぶんのお金はもらってプロでやられている方です。遠慮はいらないです。わたしなら、バスに乗せます。
あなた自身が、自分の手間を増やしている。自分で娘さんをどうかしようとしすぎている。
子どもは、社会で育てるものです。周りの力を借りましょう。

娘さんを変えるのではなく、あなたが変わってください。人は変えることはできませんが、自分の心なら変えられます。
ひとついい本をご紹介します。
江原啓之さんの「スピリチュアル子育て」です。子育てのヒントがあります。

母性は、子どもを育てていく中で育っていくのです。
持って生まれてくるものではないです

 

質問者からのお礼コメント
ありがとうございます。心に響きました。本も読んでみたいと思います。

 

 ↗Yahoo!知恵袋

 

 


⇨「TVでいってましたが、殴られて育った子のほうが人に対して殴らないそうです。痛さを知っているので。
でも、殴られたことのない子は痛みがわからないので手加減を知らないそうですよ。

私もよく親に殴られました」と言いながら子供を殴っておいて「人に対してなぐらない」というのは論理整合性が欠けている

 

⇨「(4~5歳なんて)その場の気持ち・本能で生きているんです。
理屈が通用する生き物ではないんです。

日頃の生活において子供の主体的意思選択を尊重していないことが子供のストレスとなって非合理なワガママを言い出すようになるのである

親に家庭内での封建的ヒエラルキーを「連鎖」している自覚がないから子供に無駄なストレスを与えてしまい これが我慢の限界を超えた途端に酷いワガママとして発現するのである

これは年齢に関係なく たとえ成人していても身勝手な犯罪者が出てくるのも 生育環境において主体性を尊重してもらった経験が著しく欠けているのが原因である

理屈が通用するように育てることが親としての社会的責任であり 「どうせ理屈など通用しない」と決めつけ諦めるための屁理屈をこじつけて満足しているのは精神的怠慢である

 

⇨「ひとついい本をご紹介します。
江原啓之さんの「スピリチュアル子育て」です。子育てのヒントがあります。

江原啓之などというオカルトの方が大衆にとっては気分が良く 人気を得られるものである

視聴者側のメディア・リテラシーも重要だが 放送側の倫理も問われるべきであろう

 

自分の行動を正当化できる都合の良い話ばかりを信じこもうとするからこそ ヒトは論理客観性を失うのである

 

 ◇

 

遺伝子や過去の環境は変えられませんが、現在の脳や環境を変えることはできます。虐待を減らすためには、虐待した加害者をただ責めるのではなく、親や家庭が抱えている問題に焦点を当て、それに合わせた支援をすることが必要です

黒田 公美(くろだ くみ)

理化学研究所脳神経科学研究センター
親和性社会行動研究チーム
チームリーダー


 ↗虐待はなぜ起こる?親子関係を科学する -理化学研究所

 

刑罰によって「ただ責める」ことは論理客観的再発防止には全くならない

自分の行動を事後正当化するための勝手な屁理屈をでっち上げるヒトの認知上の欠陥や無意識性を自覚させる必要であり 刑罰というものが虐待に限らずあらゆる犯罪において再発防止に実効性が極めて薄いことを周知すべきである

 

 ◇

 

ヒトという種の生物は 懲罰的に暴力を振るうことで満足する先天的本能習性があり ノルアドレナリンを「消費」することでセロトニンという安息感を得られる脳内麻薬が分泌され 満足感や安心感を得られるという先天的な性質がある

DVにおいて暴力を散々振るった後に 「急に泣いて優しくなる」という情動が促されるのは 先天的な脳のシーケンスによるものであり DV男から女性が離れられないようにもなる大きな要因ともなっている

暴力的な異性に対して「吊橋効果」的に心拍数の上昇などによって恋愛感情との錯覚を促されるのも同様である

「暴力で解決する」というプーチンのような独裁者が出てくる原因も 自分の情動や本能を意識の本質や自由意志だと勘違い錯覚しているのが原因である

 

ヒトの脳には様々な錯覚が存在し 主観的な安心感や満足感によって論理客観的真実を見えなくさせてしまう認知上の欠陥が存在しているため 様々な非合理な暴力が横行してしまうのである

振り込め詐欺師に騙される被害者も 自分の主観的感覚や印象に対する過信があるのが騙される大きな要因であり

主体的に物事を論理的に「考える」能力(理性)が充分に機能していないからこそ 虐待を連鎖したり 詐欺師の言うことを鵜呑みにし 独裁者に唯々諾々と服従する集団が出来上がるのである

こうした性質は民族国籍に依ることはなく あらゆる民族国籍において普遍的に見られる「ヒト」の習性なのである

 

 

Ende;

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「信じたくない」かどうかは個人的主観に過ぎない

2022年03月23日 15時09分09秒 | 意識論関連

「信じたい話」とは 「信じたい」という主観的欲望が基準であり

だからこそ論理客観性を喪失する原因となるのである

自分の主観的感覚や欲望というものを 短絡的に自分の自由意志や意識の本質だという「錯覚(感覚)」そのものもまた主観の産物である

実際には具体性も客観的根拠も示されていないフリードリヒ:ニーチェだのマルクス:ガブリエルだのを鵜呑みにしている文科系のバカ共というのは 自分の主観的感覚を絶対的なものだと 自分の自由意志だと勘違い錯覚しているのが原因である

プーチンが戦争を始めたのも 自分の主観的感覚を過信しているのが原因である

ロシア以外でもロシア人に対する差別のような事が起きるのも 差別をしているバカは自分の主観的感覚を絶対的なものだと過信しているからであり

ヒトという種の生物が非合理な破滅的行動を採るあらゆる「人災」の根源には ヒトの先天的欲望に起因する錯覚(主観)が働いているのである

こうした錯覚というのは 先天的なものであり 祖先が環境資源の奪い合い競争を勝ち抜いてきたという遺伝的進化の過程において結果的に遺されたものであり 当然ながら自由意志でも本質的意識でもないのである

 

ヒトは 自分の先天的行動バイアスを自分では選択することが出来ない

これはつまり 「自分のしたいこと」そのものは自分では選択不可能ということである

「自分のしたいこと」は選択出来ないが 「自分がするべきこと」は選択可能である

自分が主観的に殴りたい相手を殴ったところで 永続的な「解決」になるのかどうかとは関係がなく 殴りたい相手を殴ることで個人的 主観的に満足できるだけのことである

いくら説明しても未だにカントだのニーチェだのマルクス:ガブリエルだのマイケル:サンデルを哲学だと信じ込んでいるバカが大半であり 私個人的にはこんなバカ共は全員死ねば良いと「思って」いるのだが これは私の個人的主観であって バカを殺せば人類の頭の悪さが全て解消するわけではない

私も含めて あらゆる個人的な主観としての感覚には意味がない

重要なのは 主観的感覚や印象や感想ではなく 論理客観的な安全性や公平性を基準とした具体的に実効性のある対策である

 

ロシア民族に限らず あらゆる民族は過去に幾度もの「失態」を繰り返しており 決して間違わない民族や国籍が存在するわけではない

太平洋戦争では日本が朝鮮半島や中国大陸を侵略し

室町時代には蒙古による侵略もあった

ドイツ人もかつてはユダヤ人を迫害し

白人は黒人を排斥し続けている

「正義」の名の許に自分達とは異質な少数異端を排除し 民族を浄化したがる先天的本能習性という「人間としての欠陥」がヒトという種の生物には組み込まれているのである

 

兵隊というのは命令に服従させるために自分の頭で物事を判断して考えて行動を選択しないように盲目に洗脳されている

だから戦争などというバカげたことには便利に利用することができるのである

こうした洗脳による盲目性というものは ヒトという種の生物において普遍的に見られるものであり だからこそヒトはヒトを差別し 「組織の利益を優先し 個人の自律的な社会的責任を負わなくなる」のである

福島第一原子力発電所の事故原因においても こうした「組織の利益」を優先する盲目性が働いた

あらゆる「人災」の根源には ヒトの先天的な認知上の欠陥が働いていることに疑う余地はない

 

 

 


Ende;

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本当に批難すべき相手

2022年03月23日 11時39分45秒 | 意識論関連

毎回同じような差別が起こるんだけど

民族や国籍で差別するのは間違っている

本当に糾弾されるべきは「暴力的懲罰で解決する」ことであって

ロシア侵攻に乗じて日本のロシア人を差別するというのはトンチンカンにも程がある

イカれているのはプーチン政権であって 「ロシア人」という国籍や民族ではない

中国政府がイカれているからといって 横浜中華街の中国人は関係がない

本当に批難すべき相手が誰なのかを論理客観的に見極めることが重要であり 主観的感情だけで暴走することこそがプー太郎の発想と同じ「キチガイの発想」なのである

 

 

 


Ende;

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