明日11月8日は皆既月食だそうだ
Ende;
幸福とは何か
養老孟司はこう答えた
「そんなこと考えないこと」だと
「考え」ない方が楽である これは一面的事実ではあるが 「人間」としては最悪である
何も「考え」ずに目先の欲望だけ満たしておけば 動物的な「ヒトという種の生物」としては幸福であるが それは無責任な犯罪者の幸福も含まれる
社会的諸問題に何の関心も持たず 環境や社会を破壊をしまくって利己的な目先の欲望を満たしておけば「ヒトという種の生物」としては幸福なのである
そうした安易な「幸福」に衆愚を誘い人気を得るのは簡単である
幸福には利己的な幸福と 公益性を含んだ幸福がある
宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と述べた
地球の裏側で赤ん坊が丸焦げにされていたら 如何なる豪華な料理も味などわからなくなる
しかし 戦争にも犯罪にも事故にも環境破壊にも関心を持たずに 目先の欲望を満たすためだけに無責任な行動をしていれば 「ヒトという種の生物」としては幸福だと「感じ」ることは簡単である
それはとても簡単な幸福である
「イヌの幸福」や「サルの幸福」はそういうものである
社会安全性になど何の関心も持たずに 携帯端末に取り憑かれながら電動キックボードで危険な運転をしていれば ある種の安易な幸福を得ることは簡単である
そういう簡単安易な幸福を あたかも幸福の真理であるかのように錯覚させ 衆愚人気を得ることも簡単である
とはいえ 年がら年中パレスチナやミャンマーやウクライナのことを気に病んで生活しているわけにもいかず 日々の生活や仕事や趣味のことに集中することも人生には必要ではある
個人的な趣味に熱中している間は 個人的には幸福である
爬虫類マニアが爬虫類を追いかけ回している時には幸福であり
昆虫マニアが昆虫採集をしている時にも幸福を感じられる
気象マニアは空を眺めているだけで幸福を感じられるだろう
だが そうした個人的幸福というものは 社会が安全で持続可能だからこそ成立する幸福であることを理解していれば 自ずと社会安全性や持続可能性への配慮も働くようにもなるのである
養老孟司は昆虫マニアだが 嘘も平気でつくペテン師である
養老の著作を読めばわかるが 「教科書に墨を塗らされた」だの「世間がそれを許さなかった」だのとルサンチマンを陳列して 「悪いのは世間社会だ」という論法を展開することで これが無責任な衆愚にとって愚かさの正当化にこじつけることが可能となるために衆愚からの多数人気を集めることが可能となるのである
これは情動的には相互に利益をもたらすことになり 主観的な安心満足によって誰も疑うことがなくなり盲目的信頼の暴走状態を作り出すことになるのである
これこそが「洗脳」の根源的メカニズムであり オウム真理教の組織体制の構築と同じプロセスによって養老孟司は大衆やマスコミを「丸め」込んでいるのである
プーチン政権はプーチン一人で作られているのではなく 政権を支える多数の個人の無意識な無責任さによって作り出されたものであり オウム真理教であろうとナチス政権であろうと同じことである
ナチス政権において悪名高いアドルフ:アイヒマンも 「自分は政権に忠誠忠実な一吏官に過ぎない」と称して自身の無責任さを正当化しようとしていた
東京電力福島第一原子力発電所にせよ 日本大学田中英寿理事体制にせよ それら腐敗組織に同調迎合忖度服従したことを「組織の体質」などと称して組織を構成している個人の自律的責任判断選択の放棄を正当化出来ていると錯覚し 満足しているのと同じ無責任さである
「社会が悪い」などと言うのは 通り魔でもテロリストでも言える簡単なものである
NHKを筆頭とするマスコミが 安易に養老孟司の衆愚人気にあやかって学術権威扱いしているからといって 養老孟司の発言内容が論理的正当性が担保されていると勘違いし 誰も自律的には内容を検証しなくても構わないと「思って」いるのも 個人が自律的には何も考えない無責任さに因るものである
催眠術にかかっている人には意識はある
振り込め詐欺師に騙されている人にも意識はある
だが その意識とは 先天的情動によって左右されているシーケンシャルな機械的意識であり 無意識だからこそ騙されたり洗脳されたりするのである
警察も銀行協会もキャッシュカードの暗証番号を電話口で訊ねたりはしないことを いくらNHKが毎日のように報道しても 焦りや恐怖といった情動を煽られれば全部忘れてしまい 簡単に電話相手の話を信用し 鵜呑みにして暗証番号を詐欺師に教えてしまうのである
ヒトの大半は自分の主観的情動こそが意識の本質だと錯覚しているからこそ 焦りや恐怖といった情動を煽られることで客観的論理検証性を簡単に喪失し騙されるのである
多くの人は 多数のマスコミが信用している養老孟司は信じて構わないと「思って」いる
NHKが「信頼される報道機関」だと自ら標榜してさえいれば それを鵜呑みにして何の批判精神も持たずに衆愚人気や書籍の販売部数を「根拠」に その「数」こそが養老孟司の発言内容の論理的保証であるかのように勘違いしているのである
養老孟司は「客観的事実などない」と断言したオカルトである
「世界は存在しない」だの「時間は無限に分割すればなくなる」だのといった荒唐無稽な話で衆愚人気を集めたマルクス:ガブリエル同様 センセーショナルで論理的根拠もなければ突拍子もない非科学的オカルトの方が大多数の衆愚には人気を得ることは簡単である
NHKはマルクス:ガブリエルを「新時代の哲学」だと称して まるで社会の諸問題の解決につながる話であるかのように垂れ流したが その批判も訂正も一切していない
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「絶対に知覚することのできない叡智界」などという何の根拠もない話を「近代哲学の最高峰」などと称して垂れ流しておいて何の批判も訂正もしていない
しまいには「意識など幻想だ」などという「脳科学者」共の話まで無批判に垂れ流す始末である
意識が存在していないと言うのであれば もはやあらゆる犯罪や過失の全ても環境や状況によってシーケンシャル(無意識)に促されたものだということになり 個人の責任の全ては「なかったこと」にもできるのである
ヒトの意識の大半は無意識ではある
だからこそ意識的に物事を検証し 真実かどうかを見極める必要があるのであり 「無意識が大半だから何が起きても仕方がない」で済まされる話にはならない
「マスコミや大衆の大半が養老孟司を信じている以上 嘘が見抜けなくても自分の責任ではない」という都合の良い解釈をこじつけることも簡単であろう
「俺がバカなのは 俺の責任ではない」という言い逃れをすることも簡単であろう
それで社会安全性や持続可能性が担保されるわけがないことは当たり前の話である
誰も責任を負わない社会に安全性もヘッタクレもあったものではない
自分の頭で考え 何が真実なのかを検証判断する自律的な社会的責任なしに 人間としての幸福もスッタクレもないのである
Ende;