エピジェネティクスとは 親世代の行動が遺伝子発現に影響する現象であるが
どのように遺伝子発現に影響するかは後天的には選択できず あくまで遺伝的進化のアルゴリズムに則った収斂進化の結果でしかない
一例として母親が妊娠期に過度なダイエットをすると子供世代が肥満になりやすくなるといったものがエピジェネティクスであるが 別に母親は「子供が肥満になりやすくなる」ことを目的としてダイエットをしたわけではない
むしろ現代社会においては肥満にならないように遺伝子を選択しておきたいと後天的に「思って」も そんな遺伝子発現を選択することも 遺伝子改変をすることも構造原理的に不可能であることに何の違いもないのである
アセチル化やヒストン修飾も条件に応じて先天的に決定しているものであって 決して都合よく制御できるようなものではない
親世代の行動選択によって子供世代が肥満になりやすいことで生活習慣病になりやすくなる遺伝子発現そのものや遺伝子変異を後天的に都合よくコントロール制御できるメカニズムなど一切立証されておらず
エピジェネティクスとて様々な変異の中で環境適応的に淘汰された結果以上の何のアルゴリズムも働いていないのである
エピジェネティクス現象というのは 遺伝子の発現の仕方が遺伝子だけでは決定していないことを示しているだけであって 何ら「遺伝的変異の後天的選択可能性」の論証には全く該当せず 論理の飛躍も甚だしい科学を逸脱したバカ生物学者共の「こじつけ」である
バカ生物学者共は従来「〇〇(目的)のために進化を選んだ」といった生存戦略概念に基づいた「説明」を散々してきてしまっているため 今更「間違いでした」と認めれば権威性的地位権益を喪失しかねないという打算の基に科学的に根拠のない荒唐無稽なデマや嘘を持ち出して「はぐらかし」ているだけなのである
もはや会計検査院(行政)が介入して生物学界や哲学界から嘘やデマを排除するべきであろう
学生に嘘やデマを教え込んで授業料を徴収するというのは社会的大損害であり 組織的詐欺でしかない
大学を不可侵な「聖域」にすべきではない
それは日本大学の組織腐敗を見れば明らかである
京都大学霊長類研究所による11億もの研究費不正流用というのは生物学界全体の組織的腐敗の一端に過ぎず 山極寿一の主張する「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」などという話にも論理客観的根拠は何もなく ただ衆愚マスコミを安心満足させて人気を集めているだけのデマに過ぎない
総合大学院大学学長の長谷川眞理子も 一方では「進化に目的はない」「進化は選べない」と言いながら 一方では「○○(目的)のために進化を選んだのよ」などという「説明」をしており 論理整合性を欠いた「嘘」を平然と しかも公然と主張しているのである
多くの衆愚マスコミは 権威とみなした相手の主張を疑おうとはしない先天的習性があり 権威の主張を鵜呑みにしておいた方が安心で満足で自律的責任判断を放棄できるため バカ生物学者共の公然の嘘も平気で傍観放置するのである
あらゆる先天的本能習性というものは 進化的に決定しているものであって 後天的には何も選ぶことができない
断片的利他行動や 統率的協調性をいくら大量に「立証」しても それが社会安全性や公平性に基づいた「人間としての社会性」にとって常に適した行動習性を促す証明には一切ならない
実際にウクライナやパレスチナやミャンマーで行われている虐殺は ヒトの先天的本能習性に因る「結果」の立証であって 都合の良い衆愚マスコミにとって耳障りの良い「立証」だけを陳列して衆愚人気を集めることが「科学」の役割ではない
科学や哲学というものは 主観的安心満足や 「悩みを解消」を目的としたものではなく あくまで真偽の判定 真理の追求が目的であり 社会的役割でもある
だからこそ独立行政法人として国費を優遇されているのであり 社会的役割から逸脱した金儲けや人気取り 大衆迎合を目的とした現状の生物学界や哲学界というものは 社会に対する大ペテンであり 組織的な大規模詐欺に他ならない
これは陰謀などという複雑なものではなく 単に騙している方も騙されている方もバカであるが故に嘘に気づかないという痴呆を論じているだけである
厄介なことに バカというのは「自分だけは絶対に騙されてなどいない」という自己過信に溺れることで精神的安定を得ているため 自分の頭の悪さを自覚することを反射的無意識に拒絶し 本能的に「バックファイヤー効果」を存分に発揮することで激しい難治性を発揮する
認知行動療法の手法を用いて「なぜ そう思うのですか?」という問いかけを繰り返すことによって あたかも「自分で自分の間違いに気づいた」かのような錯覚を他人が誘導しないと間違いを自覚しようとはしなくなる
だが こうした認知行動療法的手法で気づくのは 「他人から誘導された自分の間違い」だけであって どうして間違えた観念に陥っていたのかも どうしたら間違いに陥らないようにできるかも 一切自覚することはなく 結局全て「他人から誘導される」という環境依存性からは逃れることはできず 先天的な認知上の欠陥を自覚することはない
先天的な認知上の重大な欠陥を自覚するためには 主観的な感覚を一切排除する論理客観性が必要である
「誰であっても間違える可能性がある」ことを前提に 「自分も間違える可能性が充分にある」ことを自覚していれば 暴力威圧的懲罰で何かが「解決」したなどという結論には陥らないのである
ところがヒトというのは 「自分がバカだった」と主観的に「悔やむ」ことに意識を奪われ 「なぜバカに陥ったのか」「どうやったらバカに陥らないようにできるのか」については論理客観的には検証しようとはしない習性(傾向性)によってバカが全然治らなくなってしまうのである
懲罰だの禊だの観念的反省だの 努力だの辛抱だの根性だのといった精神論こそが人間性だと倒錯しているから ヒトはバカが治らない
人間性とは 何かを盲目的に頑張って得るものではなく むしろ脳の「デフォルトモード(ボーッとしている状態)」の活動によって間違いに「気づく」とができ 真偽の論理客観的で正確な判別が冷静にできてこそ発揮されるものである
大学入試だの入社試験だの 多くのヒトが羨む特定の関門さえクリアすれば人間としての価値になるものであるかのように衆愚は倒錯しているが
そもそも学力偏差値は知能の本質とは無関係なものであり 学校で教えていることが全て正しいと思い込む盲目性もまた 頭が悪くなる大きな要因である
世が世なら地動説は「火炙り」であり ヒトラーやプーチンは救世主にもなれる
「世」という世間の価値観には普遍性はなく ファシズム(その場の多数)であって そこに普遍性のある真理はない
バカが多数派だからといって 「バカが正常である」ことの論理的証明にはならない
衆愚マスコミはヒトの傾向性や多数を短絡的に「人間性」などと安易に形容するが それは大多数の衆愚に対する迎合同調人気取りに過ぎず 真実の論証にはならない
多数衆愚に迎合しておいて 「信頼できるメディア」などと標榜するのは詐欺である
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