オルテガ:イ:ガセットは形式や手続きを踏襲することこそが人間性や倫理であるかのように述べたが
これは根拠のないデマである
形式や手続きを踏襲しておけば ヒトは主観的に安心感が得られるため この安心感を安全性や人間性と錯覚する習性があるため オルテガのデマに誰も気づかず 短絡的に鵜呑みにしているに過ぎない
従って オルテガも哲学ですらなく むしろ誹謗中傷を煽る大衆迎合に他ならない
現状の哲学界はオルテガだのカントだのニーチェだのといった論理的根拠を伴わぬ単なる主観的満足安心を得られる話を鵜呑みにしているバカの集団であり 既にマイケル:サンデルやマルクス:ガブリエルのような大嘘つきが権威扱いされているのであって これこそが「学問を汚している」状態なのである
バカな哲学者や文系の学者共は「古典は普遍性を持っている」などと言い出すことがあるが ヒトという種に見られる普遍的な錯覚をどんなに並べても 錯覚が錯覚ではないことの論証には一切ならない
教育系ユーチューバーに対する根拠のない誹謗中傷が起きるのも 旧来の手続きや形式を脱構築(革新)することに対する主観的拒絶反応に過ぎず バカ丸出しとしか言いようがない
ヒトという種の生物は 革新的な脱構築性に対して反射的に拒絶反応を示し 機械手続き的形式に則った因習を継続することばかりに中毒に陥る習性がある
ガリレオ・ガリレイによる地動説に対し 「火炙り」などという暴力的懲罰によって黙らせようとしたことも ヒトという種の生物における先天的錯覚が促した「失敗」である
「失敗」は その構造原理を論理的に究明することによって 「失敗」に陥らないよう教訓として知識財産にすることも可能だが ヒトの多くは他人の「失敗」は自分には関係がないものだと身勝手な過信をすることで安心し 自分の行動にフィードバックするという謙虚さを持とうとはしないものである
ヒトとは そういう残念な生き物に過ぎないことを自覚していれば 過去に犯した様々な「失敗」から学び 同じような原因によって引き起こされる様々な失敗(人災への危険性)を回避することが可能となる
これこそが本当の「教養」というものであって 「カップ麺が売れた本当の理由がわかるかどうか」などというバカみたいな基準を持ち出している時点で むしろ「教養」が著しく欠けたバカとしか言いようがない
「マナー産業」が金儲けのためにデマをでっち上げるのと同様 「教養産業」が金儲けのためにデマをでっち上げることはよくある手口である
その一方で「メディアリテラシー」などと称して 読み手の方に嘘やデマを見抜く責任を丸投げしておけば 金儲けのためならどんなデマや嘘を展開しても許される免罪符のように使っているのである
何が嘘で 何が真実なのかを区別認識できなければ どんなに大量の情報を「知って」いても人間としての「知能」としては機能することはない
読書猿がどんなに大量の知識を「知って」いても 「知識のエコシステム」などという意味不明な実証不能の謎の観念を持ち出し あたかも知識の量さえあれば生態系の頂点に君臨できるかのような錯覚を「脳への報酬」として独習を促しても 出来上がるのはただのバカに過ぎない
「東大教授のお墨付き」などと言っても 東大教授という肩書だけでは糞も味噌も一緒くたであり 何せ養老孟司を「名誉教授」にしている大学であり そんな肩書は糞の役にも立たないことを知るべきである
Ende;