書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ズバリ。

2011年03月10日 11時05分35秒 | 日記
 意識というキーワードで、無差別に読みまくっていたら、自己啓発系と思われるページにおいて、「本能=危機回避能力。」という旨の記述があったので。反論のメールを送付したところ。回答を頂いたので、検証してみようと思う。

 この人物が論ずるに。

 『私達が定義する「野性の本能」とは、ズバリ、「危機回避能力」なのです。
バラコミ理論上では、「本能は危機回避するもの。」であると定義しています。
つまり、振り込め詐欺も、車に飛び出す子供も、飛び出す猫も、バラコミ理論で解釈すると
「関係者全て」の
「カルマ」
「セット」
「危機回避」
が関係していると捉えるのです。』

 とのことである。

 これは本当に「理論。」であろうか。ハーバード大学のハワード:ガードナーの提唱する「MI理論。」と同様に、理論的には根拠のない観念としか思えない。

 この「バラコミ理論。」上では「野性の本能」とは、「危機回避するもの。」と定義しているそうであるが、その定義に論理的根拠は一体何か。論理的な根拠もなしに「定義。」してしまうから理論ではなくなるのである。

 私が「ズバリ。」という言葉で想起するのが、細木数子である。TBSの番組のタイトルとして「ズバリ。言うわよ。」と掲げながら、その中において「占い師の言うことなんか、真に受けるんじゃないわよ。」などという無責任発言である。

 「ズバリ。」言ったからといって、それは何ら論理的な根拠にはならないのであるが。相手を丸め込もうとするとき、論理的根拠のない決め付けをする際に用いられる言葉としか思えない。

 説明の中には「捉える。」とあるが、これもまた論理的根拠の説明にはなっていない。

 バランスコミュニケーション理論は、実際には理論ではなく。経験則である。提唱者自身が臨床心理の人間でもない。それは私も同様である。



 

 臨床は科学ではない。従って、臨床に科学的検証を強制することはできないのであるが。科学的検証が可能である方が、より安全性を担保できるのは確かである。あまり科学的理論を振り回して情緒不安定な人間を大量生産するのも建設的とも思えない。特に私の場合。

 しかし、理論的に根拠が明確である方が安全性が高いのは確かである。「どうなっているのか、よくわからないが。こうしておけば、概ねうまくゆく。」という経験則だけでは、本当に安全であることの証明が存在しないということであるからだ。

 本当に危機回避をするためには、理論は不可欠である。危険学、失敗学というのは工学的なアプローチであり、徹頭徹尾理論的追求を行うものである。

 航空機の運行において、経験則ばかりで行われたら危なくて仕方ない。しかし、現実には着陸においては操縦者の経験的な技術任せであることは確かである。こればかりは現在の科学技術をもってしても理論化することも、それによる自動化もできない。無理に自動化したことで反って危険が増した例もあるくらいだ。

 現実の社会の全てが理論で説明できるわけではないが。可能な限り理論的根拠を解明する姿勢は必要である。

 かつては、ナチス政権の指導者であるアドルフ:ヒトラーも、戦場での恐怖体験からくる抑鬱状態の治療として。臨床心理の催眠術を用いた治療によって、過剰な自信を持ってしまったともいわれている。単に患者の気分を改善するだけでは、本当の意味における患者自身が求める状態になるとは言い切れない。

 もし、心療内科などに通院されている方が、この文章を読んで医師を信用できない気分に陥るとしたら。それは少しはやとちりである。これはまだ、研究段階の理論であって、実際の臨床に直接用いるべき話ではない。理解しなくてはならないのは医師の方であって、自分の精神もコントロールできない医師であるなら、患者の面倒を見ている場合ではないからである。

 私の意識に関する話は、たとえ臨床心理の医師であっても情緒的には不安定になることは充分ありうる。むしろ何の反応もない無関心で無意識な医師の方が信用ならないと考えるべきである。自らの愚かさを知ろうともしない無意識な人間にとって、私の話は単なる少数意見でしかないからである。







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