オウム真理教内部の「絆」や「共感性」というものが 「一線を超えない」理由になどなりません
プーチン政権内部でも ナチス政権内部でも 日本大学田中英寿体制においても 自律的な社会的責任を負わないバカの群れの内部で「絆」だの「共感性」だのが働いても 「一線を超えない歯止め」には全くならず むしろ暴走破綻への無意識な「流れ」を作ってしまう原因でもあるのです
あっちの「絆」であろうと こっちの「絆」であろうと 「絆」という主観的安心感や満足感や仲間意識そのものは人間性の論証にはなりません
「誰かに求められているかどうか」に関わらず 「社会的に認知評価されているかどうか」に関わらず 論理客観的根拠や証拠に基づいた「本当のこと」を見極めてこその人間性や倫理として機能するのであって
個人的に悪趣味であろうが 多数人気が得られなかろうが それは人間性とは無関係なのです
人畜無害な悪趣味は 社会的には人畜無害なのであって 主観的嫌悪感という個人的好き嫌いそのものは 所詮や主観に過ぎず 論理客観的な人間性や倫理の論証には全くならないのです
自分の主観的好き嫌いが絶対的基準になっているのであれば それは自分に対する過信でしかありません
自分の個人的好き嫌いが完全無欠の絶対的評価基準だと「思って」いるとすれば それこそが「倒錯」というものです
真理は主観の中にはありません あくまで論理客観的根拠に基づいて識別されなければならないのです
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