いや それは個人的に好きなことだから認知機能が向上するんであって 「バイクだから良い」というわけではないぞ
虫採りが好きな人なら虫採りで認知機能が向上するし
お菓子作りが好きな人ならお菓子作りで認知機能が向上する
人それぞれ集中して熱中して夢中になれることは違う
逆に言うと 他人からの見た目ばかりに執着して 本当に自分が好きなことがわからない奴は外見的な格好良さに倒錯して暴走族になることもあるので
「バイクに乗れば認知機能が必ず向上する」というものではない
バカがいくらバイクに乗ってもバカは治らない
川島隆太って「強いて勉めるのが勉強だ」などと言ってたバカで
最新の脳科学や教育心理学では 主体性こそが脳の発達に最も良いことが証明されており 「強いて勉める」とバカになることもわかっている
社会学者の宮台真司もそうなんだが 自分が強いられたことを事後正当化しておかないと気分的に嫌なもんだから 自分が強いられたことを他人にまで強いろうとする習性がヒトにはある
虐待の連鎖なんてのは最たるもので 他人から無理強いされるとヒトはバカになって 同じことを連鎖するようになる
合理性も何もない理不尽な校則を強いてくる教師というのは 自分が理不尽で非合理な規則を強いられ それを鵜呑みにした頭の悪さ 主体性の無さを事後正当化する形で生徒に強要するようになる
バカとは何かというと 自分の頭で物事を考えない状態を指すのであって どんなに知識の「量」をひけらかして自慢しても 統合的に論理整合性のある結論判断ができなければバカなのである
養老孟司だの長谷川眞理子だの川島隆太だのというのは 言っている内容に論理整合性がなく 衆愚の人気を集めているだけのオカルトに過ぎない
衆愚の多数人気をいくら集めても 科学的に正しいことを言っている保証にはならないのである
将棋の棋士が直感で指し手を見極められるように バイクレーサーもまた直感的にバイクを操作できるようになるのであり 何よりも好きで主体性があるからこそ直感的判断まで出来るようになるのであって 好きじゃないことをいくら「頑張って」も認知機能は向上しない
学力成績評価という他人から与えらえる形の抽象化された脳への報酬に無意識につられて学力偏差値競争をいくら「頑張って」も 地下鉄に毒ガスまきちらすようなバカにしかならない
他人がでっち上げた評価基準を鵜呑みにし そこに論理客観的根拠があるのかどうかも考えずに 目先の勝ち負け競争にだけ意識を奪われているからバカになる
何度も言ってるが 学力偏差値というのは認知科学的には知能の論証にはならないのであって いくら学力学歴を自慢しても そんなもん自慢している時点でバカが確定しているのである
Ende