生物学者や医師は 共感性を短絡的に「社会性」などと規定しているが
共感性も 動物の本能としての社会形成習性も 組織腐敗の原因となるものでもある
内受容感覚とは所詮は「主観」であり それが健康と密接に相関があるとしても 健康なら組織腐敗を傍観放置しても構わないという話にはならない
自律的な社会的責任判断を放棄し 自分が属する集団組織の腐敗を無責任に傍観放置しておけば さぞかし気分的には安心満足で 身体的にも健康であろうが それは「サルの健康」に過ぎない
ナチスの吏官アドルフ:アイヒマンは ユダヤ人大量虐殺計画書の作成に邁進することによって気分的安心満足を得ていたのであり 気分的安心満足でありさえすれば「人間としての社会性」として働くわけではない
東京電力福島第一原子力発電所において 上司の言いなりに原発の危険性を放置しておいた方が気分的には安心満足だったからこそ 自律的な社会的責任を放棄したのであり 「組織の体質」だの「組織は頭から腐る」などと個人の主体的責任判断を放棄しておいた方がさぞかし身体的には「健康」なのであろう
日本大学の組織腐敗においても 多数派に同調迎合忖度服従していた方が気分的には安心満足でいられたのであろうが 「人間としての社会性」の放棄にしかならない
腐敗した組織の中で 組織に迎合せず 自律的に社会的責任として判断選択すれば 腐敗組織の中では排除迫害の標的にされ 気分的には安心も満足も得られないであろう
ナチスに反対すればスイス山中で自決を余儀なくされるのであれば ナチスに迎合同調忖度迎合しておいた方がさぞかし気分的にも身体的にも「健康」でいられるのであろう
島皮質の働きによる内受容感覚が促す「共感性」という主観的安心満足を短絡的に「人間としての社会性」と混同するというのは極めて社会的に無責任なデマである
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