書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○詐欺。

2016年04月18日 15時46分15秒 | 意識論関連
養老孟司がこんなことを言っていた。

「ファンタジーが好きなことをバカにされたが、ハリーポッターが成功したのでざまぁみろと思った。」

養老は単に「ファンタジーが好き」なだけであって、養老自身の作品でも何でもないものの社会的成功がどうして「ざまぁみろ」なのかが全く意味不明である。

毎度のことだが養老は「社会的成功に意味はない」とも言っているので、相変わらず論理整合性のない支離滅裂さは健在である。

世間の大衆の大多数は、言っている内容の論理的整合性よりも、世間的成功などの勝ち負けを短絡的に人間としての価値だと信じ込む習性があり。自律的には誰も論理検証などという面倒臭いことはパスして世間的成功者の言っていることにこそ価値があるという妄想に溺れる傾向がある。

大衆の多くは、世間的成功などの表面的な勝ち負けを短絡的に人間としての価値か何かと錯覚しているが。世間的に成功して資産が増えり名前が売れたからといって人間としての社会性の論証には全くならないことは、少しでも考えれば気付くはずであろう。

大衆の多くは、社会持続性や安全性よりも、「こうすれば(現状世間において)成功出来る。」的な話にばかり意識を奪われ。世間的成功者を崇め、媚びへつらい、服従迎合するという、卑しい価値観を優先してしまう習性があり。これが論理検証性を失わせ、実証不能の観念を鵜呑みにする原因でもある。

ヒトという種の生物である以上、目先の利益が、自分が生活する社会全体の利益よりも優先してしまいがちな傾向があるのは確かだが。そうした先天的本能習性に無意識に流されていては人間性もすったくれも語るに足らない。

そもそも個人的にファンタジー小説が好きかどうかなどというのは個人の勝手であって、そんなことをバカにされたなどという話にいちいち反応して「悔しい」と思っている時点で、世間大衆の意見に簡単に流されるという自発的主体性の欠如を物語っており。これもまた、自律的論理検証性の欠落に起因した、その場限りの気分感情に思考が左右されてしまっていることも示している。

養老孟司の著作では、ちょくちょく「悔しい」といった主観的気分感情論に基づいた大衆迎合的勝ち負け論が登場するが。こうした主観的な気分感情論を陳列しておいた方が大衆にとっては何かをわかったような錯覚に陥れ、人気を得ることが簡単なようなのである。

大衆の多くは、論理的に正しいかどうかなどには興味はなく。あくまで気分感情的な共感を得て、気分的に「納得」することを短絡的に「論理的理解」か何かと勘違いすることで。論理的には何の意味も持たない観念論を、あたかも科学的論拠であるかの如く錯覚するのである。



米国ではドナルド:トランプのような金持ち有名人でさえあれば人気を得ることは簡単なようで、言っている内容がただのヘイトスピーチであろうと、その場限りに気分的に共感しさえすれば何かの解決にでもなるとでも妄想するのであろう。

気分的共感というものは、その場限りの気分的な安心満足感を得ることが可能な麻薬のようなものであり。麻薬で脳が麻痺していれば、自律的論理検証性も何も働き難くなることは必然かも知れないが。そんな先天的本能習性という無意識に流されていて倫理も人間性も語る資格はなかろう。

気分的共感というのは、ヒトという種の生物における先天的な社会形成習性の一部であり。無意識な条件反射的行動バイアスでもある。「スルメ見て、イカがわかるか。」と言われて悔しいなどという話は、所詮養老孟司個人の主観的感想でしかないのだが。そんな話に共感して何かを論理的に理解したかのように妄想錯覚しているから、養老の大衆人気に基づいた世間的権威性が温存されてしまうのであろう。

養老孟司の言っている内容というのは、どうにでも解釈可能なあやふやな話ばかりで、ほとんど占い師レベルの話であり。科学を装った詐欺でしかない。

現状社会制度上では占いは詐欺としては扱われていないが、論理的根拠のない嘘で金を請求していて詐欺以外の何なのかは私には理解出来ない。

養老孟司や茂木健一郎の言っている内容を詐欺だと理解していない以上、どんな詐欺にでも簡単に引っ掛かるのは当たり前の話であろう。


Ende;
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ○バランス崩壊。 | トップ | ○程遠い。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

意識論関連」カテゴリの最新記事