書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

寺島実郎。

2013年06月08日 14時56分55秒 | 意識論関連
○寺島実郎。

 寺島は原発の稼動是非を経済効率と安全性を秤にかけて判断すべきと言っておきながら、寺島本人は何の判断もしないという支離滅裂な男である。

 これを理性的だと勘違いするのは簡単であろうが、寺島は単なる無責任なだけである。

 自律的判断をせず、多数派に判断を委ねているというのは、要するに無責任ということであって。こんな無責任男を政府の有識者として扱うというのは内閣政府の任命責任に問題がある。

 「単に知識が豊富。」「エネルギー問題に詳しい。」というだけで、自律的な責任判断を放棄するような無責任な者を有識者として扱うのは適切とは言えない。

 クイズの正解率が高いだけ、試験の成績が良いだけでは人格の保証には全くならないのと同じことである。

 知識の「量」だけで知能と判断する文科系大衆観念に基づいた人選をしているから、無責任なキチガイが責任者として扱われることになる。こうした知能基準というものは、「偏差値の高い無差別殺人犯。」を生み出すものであって、何ら人格者としての責任判断能力の基準には全くならない。

 短絡的に知識の「量」だけで責任判断を行う役職の人選をしているから政府のやることがおかしいのであって、「有識者」の基準自体が根本的に間違っているのである。




 そもそも社会安全性というものは経済効率と秤にかけるようなものではない。

 経済成長というものも他国との競争が目的ではなく、あくまで国民の生活や仕事の質を基準にすべきであって、国際競争そのものを目的と履き違えるべきでもない。



 後見人制度を悪用して詐欺を行った弁護士同様、特定の知識能力だけでは人格の保障には全くならず。あくまでやっている内容、言っている内容を検証する必要がある。

 経済効率と社会安全性を秤にかけ、自分では何も自律的には判断しない無責任な奴を、文科系大衆観念上での「有識者」として扱っているから社会安全性が蔑ろにされるのは当たり前の話である。

 マスコミの垂れ流しを無為に鵜呑みにすべきではない。何度も述べているはずだが、全く徹底されないのは、大衆の意識(論理検証性)の欠如によるものである。制度上は民主主義を導入している日本においては、大衆の意識的選択なくして社会安全性など向上するわけがないのである。







Ende;
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