書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

パブロフの「ヒト」

2022年06月23日 12時52分28秒 | 意識論関連

ヒトというのは どうしても物事を単純化して判断する傾向があり

敵と味方という単純化した二元論で「正義」を振回せば物事が解決すると錯覚しがちである

ロシア人に対する入国制限というのは あくまでプーチン政権に対する対抗措置であって ロシア人という民族国籍に対する差別排除措置ではない

その点については 日本国政府として公に周知しておくべきことでもあろう

ロシア人でもウクライナ侵略に賛同していない人なら海外に出てしまっているのであって むしろ日本などのロシア以外の国にいるロシア人は「敵」ではない

 

ヒトという種の生物は チーム分けをして優劣を決定して順位序列を作るのが先天的本能として存在しているために スポーツ競技やサバゲーや「フォートナイト」のような勝ち負け(損得)に一喜一憂してゲームとして楽しむこともできるのである

これは かつてヒトの祖先が環境資源の奪い合い競争に勝ち抜いた結果的習性であって ヒト以外の天敵や獲物の獲得以外でも統率的協調性は有利に働くものでもある

敵と味方に分かれて明確な区別が出来ないと 勝ち負け競争が成立しないため ヒトは勝ち負け競争がしたいがために物事を単純化して差別をしたがるものなのである

ゲームはあくまでゲームであって 国際秩序に「ゲーム理論(勝ち負け損得勘定)」を持ち込むというのは不謹慎極まりない無責任な発言である

イジメにおいても「イジメられる方にも問題がある」ことにしておけば イジメをする上において都合が良いからそういう嘘をこじつけるのである

本当はイジメる標的なんぞ誰でも良いのであって 無差別殺人犯の屁理屈とさしたる違いはない

 

要は 集団統率的な協調性を発揮したいことが本能的に優先していて 差別や序列というのはそのための屁理屈として無意識に事後正当化としてこじつけている「エピソード記憶」に過ぎないのである

イジメなどの暴力的差別集団の場合 イジメの標的など本当は誰でも良いため 集団の中でイジメの標的にされないためには率先してイジメをし イジメ集団の中での序列を高く保つ「必要性」が出てきてしまう

イジメ集団の中では 「どれだけ卑劣なイジメができるか」が序列の基準となり それを競争することに陥るため イジメは最終的には殺害にまで暴走的に発展してしまうこともある

まあ 要するにバカだからなんだが こうした頭の悪さというのは腐敗した組織集団の内部では逆らうことが出来ずに唯々諾々と洗脳的に傍観放置しなければならない状態に陥ることが ヒトには普遍的に見られる

本来権威肩書があろうがなかろうが ヒトであることに違いはないにも関わらず 少数の権威肩書の理不尽な横暴を 多数の無為な傍観者によって温存してしまうことに陥るのは 権威肩書という抽象化された序列順位を「常識(正解データ)」として「学習」してしまうことによって 本来民主的に決めるべき事柄ですらも独裁者に対する恐怖心によってヒトは簡単に独裁体制の横暴に逆らわなくなるのである

数の力は必ずしも合理性が伴うわけではなく 多数が理不尽な横暴を傍観放置して許してしまうことは 何ら珍しいことではないのである

真理は数では決まらない だから議論が必要になるのである

見解に間違いが混入していたとしても 論理客観的議論によって磨かれれば より高次の真理に近づくことが可能となるが ヒトはどうしても感情的に強く出てくる圧力に屈服しがちで 「怖い」相手には逆らわなくなり それが権威肩書という抽象化された順位序列によってより強く発揮されることにもなるのである

そして 同時に 自分にとって都合の悪い話をする「嫌な相手」には耳を貸さなくなり 議論そのものが成立しなくなってしまうことも珍しいことではない

 

ヒトは自分の頭で物事を考え判断するよりも 何も考えずに主観的印象や情動だけで物事を判断しておいた方が安心で満足感が得られるものなのである

それは エサをくれる都合の良い相手にだけ媚びへつらうイヌの行動習性と何ら変わりはない

 

 

Ende;

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