狩猟採集生活をしていれば「所有の概念がない」などという話にはならない
自己の所有を認めてもらうためには 他人の所有も認めるのが必然であり 「所有の概念が差別を作った」というのは理論的に無理がある
実際に 狩猟採集生活をしている未開の土地の原住民に「所有の概念がない」わけではなく ハラリの分析には理論的な穴がある
差別というものは ヒトの本能的な統率協調行動習性の暴走によるものであって 狩猟採集生活においては集団的な統率協調行動が生存にとって適していたため進化的に遺伝的性質として遺された
それが農耕によって集団が大規模化し 集団内部で全ての他者を把握できなくなったことによる不信感や猜疑心によって 順位序列への欲求が暴走することで差別を生み出すのである
狩猟採集生活においては 集団内部での信頼関係が必要で 互いを信頼し 個人が主体的に判断しなければ狩りはうまく行えない
ところが 農耕が普及すると集団規模が大きくなることによって 相互の信頼関係が把握しづらくなることで不信感や猜疑心を醸成し 信頼できる範囲内での統率協調性が 集団外の人達に対する差別感情を生み出したのである
暴力団が暴力団内部でしか信頼関係を持たないのも ゲリラやテロリスト カルト宗教やヘイトスピーチにおいても 自分達の集団内部における「ストーリー」だけを盲目的に信用することで 集団内部の信頼関係に頼った統率的協調性を暴走させるのである
同じ観念を共有し 集団内部だけでの相互信頼関係がもたらす主観的安心感(快楽)に取り憑かれることで 中毒症状を引き起こし 暴力破壊への暴走へと突き進むようになるのである
ヒトは 信じたいものだけを信じようとする習性があり 論理客観的には信じるに価しないかどうかは自律的に評価検証をしないものなのである
主観的に信じたいものだけを信じていれば 主観的には安心で満足で楽しいのであろうが 一旦間違ったものを信じ込んでしまうと 自分が信じ込んだものが間違いだったことを認めたがらず 認知的不協和を解消する形で自分が一度信じ込んだものを事後正当化するための様々な屁理屈(ストーリー)をでっち上げるようになるのである
こうしてヒトは実証不能の観念を振り回し 他人に多大な迷惑もかけるようになる
差別の原因は「所有の概念」とは無関係である
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イヌは 育て方を間違えると非常に凶暴になる
飼い主に対する盲目的信頼による服従欲求を満たすことができない不安に駆られ 誰彼構わず噛みつこうとするようになるのである
ところが 一定のメソッドを用いた訓練をすることによって イヌは飼い主を絶対的服従対象として認識し これによって無駄吠えや凶暴性を発揮しなくなるようにもできる
カール:マルクスは「宗教はアヘンである」と論じたが 「イヌにとっては服従はアヘン」なのである
共産主義は宗教を弾圧したが 共産主義社会の多くが封建的独裁に陥ったのは 結局宗教をイデオロギーに置き換えただけであって 経験値の浅い新興宗教やイデオロギーは暴走破綻に陥りやすいためである
イヌだけの集団においては ボスだけが特異に服従対象を持てなくなるために 他の個体への暴力性や交尾繁殖行動が促されるのであって 別にイヌが「より優秀な遺伝子を選択しよう」と考えているわけでも何でもなく 生物学者達による「こじつけ」的説明に過ぎない
よくしつけられたイヌというのは 家庭内においてボスとみなした対象に対しては異常な執着を発揮し 無意味に喜び興奮し うれしさのあまりに尿を漏らしてしまう程である
兄の家でイヌを飼っていたことがあったのだが 兄家族が家にいる時に私が兄の家に入ると イヌは私に対して吠えて威嚇するのだが
兄夫婦が外出中に兄の家に入ると 留守番をしていたイヌは仰向けに寝転がり 服従の意思を見せるようになる
イヌは その場限りに服従する対象をコロコロと転移させ 客観的な羞恥心のようなものが全くない
こうしたイヌの卑屈な行動は弘中綾香氏も子供の頃の経験を語っている
イヌをしつけるためには ヒトが首輪のリードを引っ張って主導権を掌握し イヌの主体的行動を一切認めなければ イヌは簡単に諦めてヒトの顔色を窺い服従するようになる
イヌはそもそも主体性などなく その場の環境や状況に応じた気分的に安心できる行動しかしない
しかし ヒトはイヌとは異なり主体的に脳内麻薬を自給自足することができる性質があり 決して本能欲望によって促される行動しか出来ないわけではなく
自発的に物事を考え検証し 自己の人生における最優先事項を見極めることも可能である
チンパンジーを餌で誘導して様々な能力を発揮させることは簡単だが 餌で誘導しなければチンパンジーは自発的には先天的本能習性以外に何かを行うようにはならない
しかし ヒトは大脳新皮質の肥大によって 結果的ではあれ純粋行為による脳内麻薬の自給自足もできるため 先天的本能習性にはない行動選択もできるように「も」なる
人間性や倫理というものは 先天的生得的に組み込まれた本能習性が促すものではなく あくまで自発的な論理検証性(考え)に基づいた目的行動選択によって発揮されるものであって
単なる先天的本能習性は全て「結果」であって 「目的」ではない
遺伝的進化というものは あくまで「生存」にとって適した形質や習性への淘汰であって 「生存」にとって適する行動の全てに持続可能性や安全性や 平等や公平性や 弱者に対する慈悲だけが遺るメカニズム構造は存在しない
チンパンジーが野生環境下で生き残るためには 他者を騙して自分だけが利己的に旨い餌にありつく行動を採るように進化したのであり 進化の全てが都合よく人間性にとって有利に働く保証は何もないのである
リチャード:ドーキンスのお伽話でも読んでおけば 衆愚は気分的に満足し 「自分は先天的に人間性が組み込まれた優秀な生物なんだわ」とでも勝手に妄想して優越感に浸れるのであろうが
それこそが思考停止の洗脳であり 実証不能の「ストーリー」に過ぎない
Ende;