速読っていうのは 内容を憶えてはいるんだけど 理解はしていない
主観的解釈として「わかった」ような気分にはなっても 内容に間違いや嘘があっても指摘することはできない
「何ページの何行目に何て書いてあるのか」はわかるんだけど
「その内容は論理的に正しい話なのか」はまるでわかっていない
記憶の「量」を自慢しているだけであって 理解能力はチンパンジーレベル
要は「何も理解していない」
養老孟司の著作を速読暗記したところで その内容のどこに論理的齟齬とか論理整合性の破綻があるのかは 誰もわからない
イマヌエル:カントの「純粋理性批判」も同様
何かが「わかったような気分」になっているだけであって 論理客観的に理解しているわけではない
そもそも論理的には何も論証していないからな
悟性だの純粋統覚だの叡智界だの 「絶対に知覚することができない」と明言している話を どうして鵜呑みにできるのか
なぜ「絶対に知覚することができない」と言えるのか
なぜ「絶対に知覚することができない」ものが実存すると言えるのか
その論理的証明は一切されていない
「理性を超越」などと称して論理的根拠や証明を問答無用でパスしているのに それが「哲学」だと 「考えること」だと どうして言えるのであろうか
このことについて世の「哲学者」共は誰も言及すらしたことはない
要するに「デクノボウの群れ」に過ぎないのである
信じたいか信じたくないかは知ったことではない
畑村洋太郎が理解できる形で説明することを 一体誰ができるというのであろうか
畑村洋太郎に説明したら おそらく「お前は頭がおかしい」と指摘されて大学から追放されるのがオチである
だから 誰もしない
コソーリと内緒にしておけば バレないと思っているのであろう
Ende;