書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

「も」のつく話

2021年12月18日 15時40分19秒 | 意識論関連

私が学生だった時代 生物学の授業では 昆虫の擬態進化の説明において「天敵から見つからないように周囲の環境に姿を似せた」といった説明がされていました

つまり 昆虫が自らの遺伝子を都合よく書き換えて 周囲の環境と見分けがつかないような姿を 主体的に選択しているということを意味します

これが遠藤秀紀ら一部の生物学者達が主張する 遺伝的進化に対する「典型的な間違い」なわけです

遺伝子というのは自分で選ぶことなどできません

自分の遺伝子は自分では書き換えようがないんですよ

瞳の色を緑色にしたいと「思って」も 生まれつきの瞳の色は変えようがない

それでは 昆虫の擬態進化は一体どのような仕組みで生じたのかと言うと

まず遺伝子の変異が起きます

紫外線とか放射線とか極端な温度変化とか配偶交配によるシャッフルとか 様々な理由で遺伝子に変異が起きることで バリエーションが生まれるわけです

でも どういった姿に変異するのかは昆虫自身にも誰にも選ぶことはできず 派手な黄色い姿で産まれてくることもあるかもしれませんし 枯れ葉みたいな地味な姿に産まれてくることもあるでしょうし その中間的な姿も含めて様々な姿の多様なバリエーションを変異は促します

昆虫の天敵は主に鳥類です

鳥類というのは目がとても良くて 遠くからでも食べ物を見つける能力が高いので 見た目の派手な目立つ昆虫から真っ先に食べようとするでしょう

すると 見た目が派手で目立つ姿に変異した昆虫は片っ端から食べられてしまい 残るのは枯れ葉みたいな色の地味な姿の昆虫だけが生き延びます

ですが 鳥類というのは目がとても良いので 色が枯れ葉みたいなだけでは逃れきることができず やっぱり食べられてしまうことになります

しかし まだ変異は続いていて より枯れ葉に似た模様や形状に変異した個体も出てくることで 天敵から食べ尽くされることを免れることもあるわけです

ここで ちょっと留意しておいて欲しいのが 「免れることもある」という点です

「免れることもある」ということは「免れられないこともある」ということでもあるのです

どの程度「免れられなかった」のかは 何せ捕食者の鳥類のお腹の中で消化されちゃってますから 全く証拠が残らない

変異によるバリエーションというのは 誰にも「選ぶ」ことができませんから 昆虫当人(「人」じゃないから「当虫」かな)がどんなに「食べられたくない」とか「困るから」などといった後天的事情とか理由は遺伝子には影響を及ぼすことはありません

「生まれつき目立つ姿なら喰われる」 ただそれだけです

ですから 現存する個体種以外にも かつてはもっと はるかに多くの個体種が存在していたかも知れないのです

 

たまたま枯れ葉っぽい姿で生まれる遺伝子を持っていた個体は 当人の事情とか都合とは関係なく 他の個体よりは目立ち難かったので 結果的に食べられずに済む確率が高くなる

でも 目立つ姿の個体が全部食べ尽くされてしまうと 今度は枯れ葉っぽい目立たない個体も狙われるようになります

なにせ捕食者にしてみれば食べることは死活問題ですから ちょっとぐらい目立たない姿だからといって見逃すわけにはいきません

そうなると より枯れ葉っぽい模様とか形とかテクスチャー(質感)に変異した個体だけが食べられずに済むようになるので 結果的に擬態への収斂進化がどんどん進み もはや誰が見ても枯れ葉にしか見えないような姿への進化が促されること「も」あるのです

「も」ってつけました

枯れ葉っぽい姿への収斂進化が促されたとしても 必ず絶滅せずに生き延びられる進化に「成功」する保証はないのです

何せ変異自体はランダムなので 意図とか戦略とか そういった主体的な「目的」に則って起きるわけではないので むしろ天敵から見つかりやすい姿で産まれてきてしまった個体もたくさんいたでしょう

捕食者から見て いかにも美味しそうで食欲を誘う姿で産まれてきてしまった個体もいたかも知れません

でも そういう食べられやすい個体変異は全部食べられて鳥の糞にされてしまって 存在した証拠すら残らない

はて 一体どのくらいの個体種が食べられて死滅したのかは 現存する個体種だけ見ていても全くわからないのです

現存する生物というのは 過酷な自然環境における過酷な弱肉強食の生存競争の中で偶然絶滅せずに生き延びることができた ほとんど奇跡的なまでに幸運な個体種だけへの収斂の結果でしかないのです

 

とまあ 擬態を例に挙げて遺伝的進化の説明をしましたが 擬態進化の説明は既に一部の生物学者達によってマスコミでも説明されたこともあるので 「そんなの知ってる 常識だよ」と思った方も多いかも知れません

でも 話はそれだけでは終わらないのです

あらゆる遺伝的進化というもの全てにおいて 擬態進化と同じ過程が働いていることまでは 生物学者も含めて多くの人は理解していないようなのです

NHK高校講座において 乾燥地帯の植物が動物から食べ難いトゲが生えていることに対して 「食べられては困るから トゲを生やした」といった説明を生物学権威がしているのです

後天的に「困って」も 遺伝的要素には影響を及ぼすことはありません

植物を食べる動物も 柔らかくて食べやすい植物と 固くて食べにくい植物があれば 食べやすい植物から食べてゆくのは必然でしょう

ヒトだって食べやすい食事と 食べづらい食事のどちらかを選べと言われた やっぱり食べやすい方を所望するものです

他の動物だって同じで やっぱり柔らかくて食べやすい植物の方から食べ尽くしてゆくことになるのです

そうすると 結果的に固くて食べにくい植物だけが残ることになりますが それでも草食動物は「食べない」わけにはいきませんから 食べにくい植物の中から多少は食べやすい植物を選んで無理矢理にでも食べ尽くしてゆくことになり 結果的にトゲだらけで誰も食べられないような形質の植物への収斂進化「も」促されることになる

また「も」ってつけました

遺伝的進化というのは全てが「成功」するわけではないので 完全に食い尽くされて絶滅(失敗)した植物もいたかもしれないのですが 当然ながら草食動物の糞になってしまっているので証拠なんか全く残らない

遺伝的進化というものは 膨大な「失敗」の中から偶然「成功」した結果 現在の生物相に収斂して落ち着いたのであって 生態系を形成する個体の意図目的に関係なく 遺伝的進化の全ては自動的に起こる自然現象に過ぎず あくまで「死なずに繁殖を継続できている」個体種以外が全部死滅した「結果」でしかないのです

 

NHK「ジェンダーサイエンス」という番組の中では 子宮内膜が薄いと胎盤の血管が母体の子宮筋肉組織を傷つけてしまい 母子ともに亡くなってしまうことから 子宮内膜を厚くすることを「考えた」という説明をしていました

子宮内膜の厚みというのは 食事や生活環境要因もありますが 基本的に遺伝的に決定しているものであって これもまた「昆虫の擬態」や「乾燥地帯の植物のトゲ」と同様に 変異によるバリエーションの中から偶発的に子宮内膜が厚くなる遺伝子を持った個体への収斂進化の結果でしかありません

「考え」て子宮内膜を厚くするように進化することはできないのです

そもそも「自分の子宮内膜を厚くしないと子供が作れない」ことがわかるわけでもありませんし わかったとしても自分の遺伝的要素を都合よく書き換えることなど最初からできないんですね

それでは一体誰の「考え」によって子宮内膜が厚くなったと言えるのでしょうか?

子宮内膜が厚くなるように進化したのは 誰かの「考え」によるものではなく 先天的に子宮内膜が厚くなる遺伝的要素を持っていなかった個体が全て死滅した「結果」であり これもまた収斂による進化という自然現象に過ぎないのです

同番組に於いて タレントのYOUは「月経の痛みは進化でどうにかなくならないのかしら」と述べていましたが 「痛い」とか「苦しい」といった後天的な個体の都合は遺伝的要素には影響を及ぼすことはありません

生まれつき月経の痛みが少ない女性だけが子供を作るようにすれば 月経の痛みが激しい女性の遺伝子が残らなくなりますから 遺伝的進化のプロセスを利用すれば月経で苦しまないヒトへの「品種改良」は不可能ではありません

こういった家畜の品種改良のプロセスをヒトに適用しようというのが フランシス:ゴルトンによる優生学の発想です

月経の痛みが激しい女性が社会的負担になるからといって断種や淘汰(殺害)することで 社会的負担の少ないヒトへの遺伝的進化を人為的に促そうという キチガイじみた発想です

「キチガイじみた」というより 「キチガイ」の発想です

タレントの井上咲良は月経の痛みが激しいそうですが それなら断種のために卵巣や子宮を摘出してしまって構わないとでも言うのでしょうか

タレントのYOUが そんな非人道的な結論を望んで「進化でどうにかならないか」と言ったわけではないでしょうが 遺伝的進化に頼るということは結果的に「ヒトを品種改良する」ことを意味するのです

YOU自身も「一月の半分は不調」と言っていますから 自分が断種淘汰対象になることなど到底望んでいるわけもないでしょう

 

遺伝的進化というものは 全てが自然現象であり 目的も意図も戦略も「考え」も何もなく ただ「繁殖を継続」出来て現存種として今現在「生物」種として存在している結果でしかないのです

ですから 現存する生物種がこれからも永遠に絶滅せずに繁殖を継続できる保証もありませんし 現存種があらゆる環境変化に適応できる保証もないのです

地球全体からほとんどの生物種が絶滅したとしても 別に何ら不思議でもなんでもないのです

実際に長い生物史の中では膨大な大絶滅(大失敗)が幾度も繰り返しており 現在の自然環境のような生物相というものは あくまで「現在の姿」でしかないのです

現存する生物相だけを見て「自然は素晴らしい」だとか 「野生生物の楽園」などと形容して大衆人気を得るのは簡単でしょうが 実際には生物密度が高い環境資源の豊富な地域というのは生存競争も激しく仲間同士でも殺し合いをするような過酷な「地獄」でしかありません

逆に環境資源の乏しい地域においても わずかな気候変動でも簡単に個体数が減ってしまう過酷な「地獄」であり 自然環境の中にはどこにも「楽園」なんぞ実在せず 生物学者達が勝手にでっち上げた「他人事」に対する「形容詞(主観的感想)」に過ぎないのです

 

生物学者の大半も含め マスコミや大衆の大半は遺伝的進化に対して万能なものだと勘違いし ほとんど全てが都合よく「成功」するものであるかのように錯覚しているようですが それこそが遠藤秀紀らが主張する「典型的な間違い」なのです

ヒトという種の生物は かつて狩猟採集生活をしていた時代から数万年ほとんど遺伝的進化をしていません

ヒトは 文明を築くことによって自然環境の過酷な生存競争から逃れ 淘汰(死滅)圧力による収斂が起きなくなったためです

月経の痛みや苦しみは 遺伝的進化によっては解決しませんが 痛みや苦しみの原因がわかれば対処治療も可能になるかも知れません

そもそも社会生産能力の高さだけで他人との間に順位序列を作り出そうとする事自体 人間としての知能が全く働いていない証拠でもあります

 

ヒトという種の生物は 他人と自分との間に順位序列を決定したがり 自分よりも「上」とみなした権威や上司に対して何の疑いも持たずに唯々諾々と盲目的に服従する一方 自分よりも「下」とみなした相手には暴力的排除や攻撃を仕掛けて蔑もうとする先天的習性があります

客観的にみれば そんな卑劣な行動は頭が悪いのが原因であるのは明白ですが ヒトの多くは自分の主観的感覚や印象こそが意識や知能の本質だと勝手に勘違いして疑う自己批判精神も持たないため 平気でヘイトスピーチや弱者や少数派を集団的に攻撃して満足しようとするのです

Microsoft社のTwitterAIがヘイトスピーチに同調し始めてしまったのも それだけSNS上にはヘイトスピーチが蔓延しているからこそAIが機械的に深層「学習」してしまったのであり ヒトというのは暇だと他人を差別して満足しようとするバカが大半であることの証明でもあるのです

イヌは社会性動物です

イヌは仲間内で上下関係による順位序列を決定し 「上」とみなした相手に腹を見せて服従忖度する態度を採り 逆に「下」とみなした相手には暴力的威圧をして服従させようとします

こうした行動をヒトが行えば ヤクザや暴力団や連合赤軍のような卑劣で凶暴なキチガイ集団が形成されることもあります

ヒトのこうした盲目的服従忖度迎合同調性を利用したのが軍隊であり 本当は大して役に立たない過酷な訓練を強要されることによって 兵隊は上官の命令に盲目的に服従するよう機械的に「学習」させられることで 戦争や自国民への民衆弾圧といったバカげた作戦にも便利に利用できるようになるのです

ヒトは 怖い相手に逆らうことを嫌います

多数が権威だとみなしている相手を疑うことは 多数からの同調圧力にも逆らうことになるため ヒトは権威を疑わないことにしておいた方が安心満足できるため 肩書権威さえあれば養老孟司だろうがマルクス:ガブリエルだろうが松沢哲郎だろうが日大理事だろうが疑うことをしなくなり 盲目的に服従忖度迎合同調するようになり これが組織腐敗を傍観放置する大きな要因ともなるのです

こうした「怖い」という情動は 遺伝的進化によって組み込まれた「結果」であって ヒトの先天的な認知上の欠陥としても働くことがあるのです

東京電力社内で社員達が原発の危険性を放置したことに対しては 大衆の多くは「組織の体質が悪かった」などと称して個人の自律的な社会的責任には言及したがりません

ですが 「組織の体質」を作り上げるのは 組織を構成する個人に自律的な社会的責任判断が欠如していたことが原因であって 「組織の体質」などと称して多数で責任をシェアすれば個人の責任が薄まるかのような錯覚による「言い逃れ」や「はぐらかし」にしかなっていないのです

 

人間性や倫理の根源とは 個人が自律的な社会的責任を負うことであり 腐敗した組織の内部における多数派や権威に服従忖度迎合同調することではありません

学級内で起きるイジメに反対すれば自分がイジメの標的にされることを怖れることで 8割の生徒はイジメを傍観放置されます

日本大学の内部で腐敗した組織に反対すれば左遷され職を失います

東京電力福島第一原発内部で原発の津波に対する静寂性を主張すれば上司から嫌われ会社に居づらくなった

ナチス政権下のドイツでは ナチスに反対すればスイス山中で自決を余儀なくされることもあります

自分が属する組織が腐敗した場合 腐敗した組織に服従忖度同調迎合しておくことの方が簡単で 組織腐敗を浄化するための行動など採らない方が楽なのです

山極寿一は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」という 論理的には何の根拠もない勝手な予測で大衆人気を集めました

長谷川眞理子も「道徳は進化的に組み込まれたもの」だと主張して大衆人気を集めています

大衆が信じようとするのは「科学的権威」という肩書だけであって 権威が言っている内容が科学的な根拠が伴う真実なのかどうかは 本当は何の興味もないのです

大学の哲学科教授がイマヌエル:カントの「純粋理性批判」を 「近代哲学の最高峰」だと形容すれば 学力偏差値が高いだけのバカな学生は何の疑いも持たずに鵜呑みにし 内容に論理客観的根拠が伴っていないことには誰も気付くことができないのです

日本大学の教授達や 東京電力福島第一原子力発電所の安全担当者だけが特別に組織腐敗を傍観放置したのではなく ヒトという種の生物には先天的に組織腐敗を傍観放置する認知的な欠陥が存在しているために 組織腐敗というものはヒトの社会で普遍的に見られるものでもあるのです

腐敗した組織に属していながら 組織腐敗を傍観放置しているヒトというのは 自分には責任がないと主観的に「思って」いるか 若しくは責任は組織を構成する多数他人によって薄まっていると「思って」いるからです

どんなに強く「思って」も それは個人的な主観や印象の範疇であって 論理客観的根拠を伴う真理(本当のこと)とは無関係なのです

話の内容が真実なのか嘘なのかを見分けるために必要なのは 主観的印象によって促される錯覚を 錯覚であると理解認識するための検証性(考え)です

ところがヒトの多くはそもそも個人的な主観的印象と客観的真実の区別がつかないから 簡単にデマや嘘に惑わされ 非合理で有害な行動にも簡単に陥ってしまうことになるのです

 

本論は学術権威の査読を受けていません 受けるつもりもありません

なぜなら 学術権威に対しての批判を大量に含んでいるためです

学術権威にとって都合の悪い話を 学術権威が認めるわけがありません

実際に私が「生物学上の社会性(社会形成習性)は人間としての社会性や公共性とは無関係である」という主張に対して はぐらかす形で松沢哲郎は「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性が立証できるかも知れない」などという論理的には何の根拠もない嘘によってマスコミや大衆から人気を集め 文化功労賞まで受賞しましたが 実態は11億円を超える研究費不正流用をした犯罪者でした

長谷川眞理子は「チャールズ:ダーウィンが人道主義者だった」ことは述べていますが フランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証も ダーウィンの進化のメカニズムも正確には理解せずに「〇〇のために進化を選んだ」といった間違った「説明」を未だに続けています

彼ら生物学権威達は 従来「説明」し続けてきた遺伝的進化における「典型的な間違い」を認めてしまえば既得権としての権威性を失うことになり また 彼ら生物学権威達に服従忖度迎合同調してきた研究者達もまた「同罪」として断罪されることを怖れ はぐらかしと言い逃れを繰り返すばかりであり 遠藤秀紀らが主張する論理客観的根拠に基づいた論証には一切耳を貸そうとすらしないのです

学術権威による査読というのは 権威自体に客観的信頼性がある場合にのみ有効なのであり 科学的論証をはぐらかしたり言い逃れやごまかしを繰り返す嘘つきには本来査読の権利すらないのですが 組織的な腐敗が進行してしまっていると自浄効果は全く働かず 嘘やペテンが平気でまかり通ってしまうことになるのです

 

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称:アイヒマン実験)では 普通一般の人の大半が権威とみなした相手の命令に唯々諾々と服従し 他人に危害を加えてしまうことを立証しています

現実にも香港警察やミャンマー政府軍による民衆虐殺は続いており 過去にはナチスやポルポトによる大量虐殺も幾度も繰り返しているのであり 実験室で検証するまでもなくヒトという種の生物は先天的に盲目的服従性が組み込まれているからです

ヒトという種の生物は 個人が自律的な社会的責任判断をしなくなるのは イヌの服従統率バイアスと同様に「自分よりも上とみなした相手に盲目的に服従すること」が快楽として組み込まれているのです

イヌもヒトも哺乳類ですから 産まれた直後には親に服従忖度しなければ生きていけません そのため 先天的に親を盲目的に信頼し 親に見放されないよう「甘え」る先天的習性があり これが大人になるにつれて群れの中でのボス(統率者)への服従忖度へと転移がしょうずることによって 群れの中での不公平な順位序列を形成し 結果的に封建的独裁体制集団を形成することで 効率的な狩猟「も」行えるようになっているわけです

再び「も」をつけました

封建的独裁は 狩猟において有利に働きますが 決して狩猟を「目的」として組み込まれたわけではなく 封建的独裁状態に陥る習性が結果的に狩猟に有利だったという「結果」でしかありません

学生や企業や海上自衛隊におけるイジメも 組織内部における封建的独裁状態が狩猟ではなく個人的好き嫌いによる差別に発揮されているために起きるものであり 粉飾決算を平気でやらかす大企業や日本大学の組織腐敗の原因でもあります

軍隊のように兵隊を盲目的に服従させるように「学習」させてしまえば ナチスやポルポトやかつての日本軍やミャンマー政府軍のように民衆弾圧などの非合理な行動も簡単に行えるようになるのです

日本大学の組織腐敗もまた「体育会系」組織ですから 軍隊と同様に「上」とみなした順位序列への盲目的服従性を強要され 結果的に組織腐敗を進行させることはあっても 自浄効果は全く働かなくなるのです

ヒトという種の生物は 自分で物事を判断することを嫌います

だからこそ「神」等の実証不能の服従対象を崇め 忖度し 盲目的であり続けることで安心満足することができるのです

ヒトが本能的に求めているのは 論理客観的な根拠を伴った「真実」ではなく 「権威」の肩書を持った「他人」を盲目的に信頼し続けていたいだけなのです

だから自律的には自分で物事を客観的に検証して 嘘やデマと真実との区別をせずに 主観的に気分が良くなる「信じたい話」ばかりを信じようとしてしまうのです

本能や欲望とは 自分から欲することはできないものであり 先天的本能として組み込まれた動物としての行動バイアスでしかないのです

「欲望自体を欲することはできない」のです

欲望や本能自体は大脳辺縁系から勝手に促されてくるものですが 欲望や本能が促す行動を「選択」することはヒトには可能なんですね

目先の欲望に左右されずに 人生全体において悔いのない行動を採ることが ヒトの大脳容積なら可能でもある

可能でもあるのですが やらない選択もできる

欲望のおもむくままに他人から搾取し 暴力的に威圧して服従させて支配させたり 暴力的統率者に唯々諾々と忖度したり 組織腐敗を傍観放置して自分が属する組織の利益を優先したりすることの方が簡単なのです

だからミャンマー政府軍による民衆弾圧も 太平洋戦争時の日本軍による特攻もできる

山極寿一のように「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」とか 長谷川眞理子のように「道徳は先天的本能」とでも言っておけば衆愚人気は集められ 金儲けにはなるでしょうが これらは全部衆愚迎合的な嘘やデマでしかありません

ヒトという種の生物は 主体的に自分の頭で物事を検証し 考え 何が本当に正しい行動であるのかを判別しなければ 「人間として」は行動選択ができない危険性を持っており

むしろ先天的には認知上の欠陥によって人間性を簡単に喪失する危険性を持っているのです

日本がなぜ無謀な戦争を始めたのか

ドイツがなぜ600万ものユダヤ人を虐殺したのか

アメリカがなぜ原爆を実戦で使用したのか

なぜミャンマー政府軍兵士は自国民に対する虐殺ができるのか

なぜ東京電力福島第一原発の職員は原発の津波に対する脆弱性を放置したのか

なぜ日本大学が組織腐敗を食い止められなかったのか

これら「人災」の最も根源的原因とは 「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が共通して言えるのです

腐敗した組織に属している個人は 組織腐敗は自分の所為ではないと「思って」います

「組織の体質」と称して 多数他人に責任を転嫁し あたかも多数に責任を丸投げしておけば自分の判断責任が薄まるという感覚(錯覚)に溺れることで ヒトは自律的な社会的責任判断を簡単に放棄するようになるのです

 

「現代人の多くは科学を信じている」と言われていますが 実際には科学的「権威」肩書を持った相手の言っていることを 論理客観的(科学的)に検証して判断しているわけではありません

遠藤秀紀らが主張している内容と 生物学界の大多数が未だに主張している遺伝的進化万能論との齟齬については マスコミも大衆の誰も一切気付かず ただ漫然とその場限りに鵜呑みにするだけで 論理的齟齬が存在していること自体全く気づいてもいないのです

遺伝的進化によって組み込まれたヒトの本能習性というものは あくまで「繁殖を継続」できた個体の子孫に過ぎず 「本能習性任せに行動しておけば全てが正しい結果に導かれる」かのように錯覚しておいた方が気分が良く 安心で満足できるために衆愚やマスコミから人気を集めることができるのです

科学は多数決ではありません

民主主義制度ですら民衆がバカならバカ主義にしか陥らないのであり 何が真実で 何が嘘やデマなのかを識別する個人の客観的論理検証性なくして人間としての行動選択は成立しないのです

 

「信じたくない」という個人的な主観(好き嫌い)は知ったことではありません

論理客観的に正しいのか間違っているのかを区別し 「理解」することが大切なのであり

「わかったような気分」に陥って論理客観的根拠をすっ飛ばしてしまう短絡性こそが バカになる最も簡単な道筋なのです

大衆の多くは「ハーメルンの笛吹き男(実話)」についていってしまうものであり 気分が良くなる「信じたい話」ばかりを多数で共有して 多数に同調迎合しない少数派を蔑もうとするものなのです

ミヒャエル:エンデ原作の「モモ」ではありませんが ヒトの多くは「時間泥棒」に唆されて大事なものを奪われても誰も気付くことができないものなのです

ヒトがデマや嘘に惑わされてユダヤ人を虐殺するようになるのは簡単なことであり それを止めることは非常に難しいものだからこそ 情報知識の豊富な現代においてもミャンマーや香港のような虐殺が繰り返されることもあるのです

民族国籍が問題なのではありません かつての日本人やドイツ人も独裁連合(同盟)を組んで無謀な暴力による支配を試みたことがあり ヒトという種全般に普遍的に見られる先天的本能習性だからこそ 国籍民族に依らず似たような事象が発生するのです

 

ヒトは暴力的な懲罰や報復が「解決」になると「思って」います

安全保障と称して軍拡競争という武力威圧をしても むしろ地域の危険性を増やす方向にしか働くことはありません

通り魔やテロリストなどの大量殺人犯を死刑にしても なぜ大量殺人などという何の役にも立たない犯行に及んだのかについての原因究明にも 具体的実効性のある再発防止策にもなりません

ましてや自動車運転過失で懲罰は意味が全くありません

スマホ運転とか飲酒運転のような悪質な事例は犯罪と同等ですが 誰もが陥る可能性のある「間違い」に懲罰は意味がありません

これは戦争においても同じことで 敗戦国の戦犯を死刑にしても なぜ日本が無謀な戦争を始めてしまったのかという原因究明にも再発防止にもならないのです

原因が論理客観的に解析できていれば ミャンマーのような事態には陥らなかったかも知れないのです

「ヒトという種の生物には 先天的に人間性や道徳が組み込まれている」とでも言っておけば 衆愚人気を集めて金儲けにはなるでしょうが それこそが「ハーメルンの笛吹き男」に他ならないのです

自分達「ヒト」に先天的人間性が組み込まれているとでも「思って」いれば 安心満足で優越感に溺れて何も考えなくても大丈夫だと錯覚することは簡単です

 

それはとても簡単なことなのです

 

 

Ende;

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